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森保監督はマホウツカイになれるのか。


まさか全会一致で田嶋再選の方向とは。

日本サッカー協会の会長のおはなし。


オンラインで64人参加してのもの。

ただ、欠席者11名らしいが

欠席した人が田嶋じゃ無理だ

という反対の意思表示だとしたら?

200%憶測ですけど(笑)


森保を信じて、一蓮托生な

田嶋の言い分もわかるが

なんとなく感じるのは


日本人監督はトップレベルで

育つ場がないんだなということ。


監督の経験、育成の場を兼ねて

意図的にフル代表の場を使って

日本人監督を育成してる。


やはり同時に監督も日本人で

育てたい思惑が強いんですよ。


でも、シンプルに言うと

私たちが願っているのは

ただひとつ。


90分の試合の最中に

チームを勝たせるために

アクションを起こして

指示し、交代できる人物。


相手の変化に対応できるかどうか。

試合を動かす力があるかどうか。


監督が試合で勝つために

貢献していることがわかる、

そういう監督が必要なんです。


私たちシロウトレベルでも

その監督の采配で戦局が変わった

そうわかる人が勝つために

いま日本に必要な監督。


そういう指揮官のもと

日本がどれだけ戦えるのか。

見てみたいとは思いませんか?


いまは選手の目線と

監督や協会の目線の高さが

違うのかもしれない。


いまの森保ではパターン化して

先発も戦術もある程度わかるし

新しい引き出しもなく、相手にも

研究されてそのまま負けてしまう。


「瞬間負けの連続」というか。

負けそうだと雰囲気が変わって

そのまま負けるなぁっていう瞬間が

わかるんですよ。


観ていると、残念ながら

あぁ、もう負けるなこれは。

って瞬間がね。


わかったその瞬間も、それ以降も

何もできない選手や監督を

見せつけられる辛さ、不甲斐なさ。

持っていきようのない悔しさ。


ベースの方向性は間違っていない。

森保は、そう言っているそうだが

それは「監督」が言うことではない。


日本人はどうしても監督と指導者を

兼任する学校の先生的なイメージが強い。


私たちがいま欲している監督とは

指導者部分をあえて切り離したような

結果を出すために「勝てる監督」だ。


指導よりも大事な「勝利すること」

そのために優先すべきことがある。


フル代表は勝たなくてはならない。

まして親善試合でなく、

追い込まれたW杯予選だ。


育てながら勝つ場ではないし

監督の理想を時間をかけて

実現する(させる)場でもない。


日本の試合を何度も観ている人は

わかると思いますが

負けるって瞬間がわかるんです。


対策がたてやすい相手、日本。

それは想定にないことをされると

何もできないのが日本チームだと

相手国が知っているから。


この現状を考えるとピッチ外から

何もサポートもできない日本人監督は

いまの日本には必要ないと思う。


つまり現在の苦境を解決するには

ピッチ外で局面を変えられる監督で

あえて日本人とはメンタリティの

異なる外国人である必要がある。


日本人の監督の場合は主にJリーグ。

あるいは代表の各カテゴリーの指導者。

あとは学校やクラブの指導者、兼監督だ。


選手と違って、監督となると

育成する場がない、少なすぎる。


プロ監督を欧州の舞台で

という人材がまだ出てこない。

だから自前で育てないと

という発想になってくる。


森保の指導力を買っているという

言葉を田嶋は使ったようだが

フル代表の大事な試合では

指導力が必要だとは、まったく思わない。


サッカーファンも「フル代表で」

選手を育成してほしいとは

もう、思っていないはずだ。


昔の日本代表とは環境がまるで違う。

たしかに数十年前は国内で

プレーする選手がほとんど。


集まって指導して、戦術や技術

連携などを高めていく「合宿感覚」で

緻密さや育成の概念が強めにあった。


時代は流れ、選手が羽ばたいていき

どんどん世界との距離が近くなり

可能性が広がっていく時代になってきた。


国の代表チームには時間を割けない。

そんな選手が中心になる時代になった。

次の局面、段階に入っているんです。


中には参加しただけで結局なんの出番も

ないまま、長時間かけてトンボ帰りだ。

そんな選手もいたりする。


それなのに監督や協会が

ガラパゴス化したまま。

試合中の選手を信頼する

という手だけ。


自主性を伸ばしたい、戦術的な理解を

特に個人戦術の面でピッチで自分たちで

変えられるようになってほしい。


その気持ちはもちろん同意する。

しかし、それ「だけ」で勝てるか?


選手に任せてもう少し様子みるか。

もうそろそろ時間だから変えるか。


こればっかりでは選手は

自分たちだけで戦っていると

思ってしまうのではないか。


苦しいとき、苦しいですと言っても

今日は調子が悪いし、自分のところから

崩されてやられているとわかってても。


まだできるだろ?もう少し様子みて

それでダメなら交代するよ。

これが信頼する自主性だろうか?


信頼できる監督ってのは

いざというとき目の覚めるような

魔法を使って局面を打開する。


アイデアを授けて

勝ちに導いてくれる

タイミングを理解した

マホウツカイだ。


そういう人が最後の砦として

ピッチを見守ってくれてるという

信頼があればこそ、逆に選手は

思い切ってプレーできたりする。


どうせミスしてもやられてても

時間くるまで変えないし、

想定より上のこと、何もしない。

意表を突くことも何もない。


選手は自分自身で

ミスを恐れて消極的になり

責任を感じてしまうだろう。


こういう空気が流れているのと

信頼する後ろ盾があるときの

思い切ったプレー。

どちらが能力を発揮できるだろうか。


明日のオーストラリア戦。

選手頼みか、森保が

マホウツカイになれるのか。


あの残酷なほど負けるなっていう

落胆する瞬間は見たくないものだ。







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