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好きは返さなくても構わない。
私には恋愛感情がありません。
巷ではアセクシャルなどと呼ばれていたりします。
そんな私に恋人ができました。
矛盾しているようですが、事実です。
今後の人生を孤独で生きると確信していた私自身とても驚いています。人生何が起こるか分からないというやつです。
その方は私を好いてくれていると言ってくれました。
ただ私にはそれを返すだけの熱量が明らかに不足しています。
突き放すように伝えました。
一人でもちゃんと死にますから
『Fate/stay night Heven's Feel Ⅲ.spring song』
かなり遅くなりましたが、無事映画館で観測することができました。
間違いなく人生で一番のアニメを見たと断言できます。完璧です。
とりあえず、あと3か月くらいは余韻で生きていけそう。
私は人生で泣くことなんて、数えるくらいしかありませんでした。
だから映画で泣くこともありません。今回も涙を流すには至りま
誰かが生きるほど死にたかった明日。
こんな名言を聞いたことがある。
あなたが無駄に過ごした“今日”は、“昨日”死んだ誰かが死ぬほど生きたかった“明日”なんだ
誰かの名言なのか、CMで流れた言葉なのかは知りません。
この言葉を憶えていたのは中学生の頃、同じ班だった女の子が『心に刺さった言葉』として挙げていたからです。
授業なんて一度も積極的に受けたことはありません。そのときの自分が掲げた言葉すら記憶の底で眠り思い出せない。
手を洗う回数が増えて、手を繋げなくなった。
私には恋愛感情がありません。
巷ではアセクシャルと呼ばれたりするそう。
そんな私がまだ自分のことを恋愛をする側だと疑わなかった頃の話。
人がいるところに恋がある。風が吹けば髪がなびくくらいにそれは自然な事象だと思っていました。
ありがたいことに私のことを快く思っていると伝えてくれる異性がいました。当時の私は舞い上がりその想いに寄り添う返答をします。
二人の時間は順風満帆に過ぎていき、仲も
死ぬまでにやっておきたい夢的な
「夢はーーーです!」
みたいに堂々と言える人は夢がない人と比べると早死してしまうという。
叶えてしまったときに生きる目標を失ってしまうから。
対して、夢なんてないし生きる目標とか大そうなものは持ち合わせてない、という人は失うものがない。
そう考えると、まぁ案外夢なんて無い方がマシなのかもと考える今日この頃です。
人生というものに活力を注ぐ人は羨ましいと思いながらも、心のどこかで蔑んでいる
アセクシャルが抱き寄せてみた
私のことを好きと言ってくれた人を抱きしめたことがあります。
(人ってあったかいなぁ…)
人を抱きしめたとは思えない最低な感想です。
しょうがないですよね。
恋愛感情なんて無いんだから。
今日も上手に絶望していきましょう。
友達とバイバイするとき
別れ際「じゃあね〜」と言って別れますよね。
その友達はまた会う時まで自分の前には現れることはありません。
死は別れを意味します。
じゃあ、この「バイバイ」で別れた友達は一時的に死ぬのでは?
逆に友達の中で私は一時的な死を迎える。
そう思うと死を疑似体験しているような気がして不思議な気持ちになります。
という馬鹿げた発想をしてしまう自分に嫌気がさす。
今日も上手に絶望していきましょう。
アセクシャルが交際した末路
私には恋愛感情がありません。
漠然と人と違うことは認識していました。
ただ、交際してみれば他の人のように好きという感情が芽生えてくるはず。
学生時代にそうやって失敗を繰り返しました。
ありがたいことに告白してくださる方がいて、私は頷きました。
好きな気持ちなんてないのに。
相手は毎日が充実しているようでした。
いわゆるリア充です。
私もそちら側の人間であると他人の目には映っていたは
アセクシャルが告白されると
「あなたのことが好き」
そんなことを言ってくれる異性が私の人生にはいました。
でも、私には恋愛感情がありません。
告白という一大イベントは私にとって不幸を生み出すイベントにしかなり得ないんです。
どうあがいても相手の好きに対して同レベルの好きで返すことができないから。
嫌いなわけではありません。めちゃくちゃ嬉しいんです。
世界に私のことを好きと言ってくれる人がいるんですから。最高の気分
死を覚悟した瞬間の世界
大学一年生の冬に橋の上から飛び降りる決意をしました。
何か苦しいことがあったとか悩みがあったとかではありません。
敢えて言うのなら、自分自身が生きている事実に悩んでいました。
決意したのは朝起きた時に「死ぬか…」と思ったから。
死への決意は必ずしも劇的ではないようで、結局のところ普段生きている自分というのは『まだ死んでないだけ』に過ぎないんだなと。
その気持ちは今でも変わりません。
家