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徒然なるままに死

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私はあなたを助けない。もし君が世界に絶望してるなら私とお揃いだねってだけ。
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一人でもちゃんと死にますから

一人でもちゃんと死にますから

『Fate/stay night Heven's Feel Ⅲ.spring song』

かなり遅くなりましたが、無事映画館で観測することができました。

間違いなく人生で一番のアニメを見たと断言できます。完璧です。

とりあえず、あと3か月くらいは余韻で生きていけそう。

私は人生で泣くことなんて、数えるくらいしかありませんでした。

だから映画で泣くこともありません。今回も涙を流すには至りま

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誰かが生きるほど死にたかった明日。

こんな名言を聞いたことがある。

あなたが無駄に過ごした“今日”は、“昨日”死んだ誰かが死ぬほど生きたかった“明日”なんだ

誰かの名言なのか、CMで流れた言葉なのかは知りません。

この言葉を憶えていたのは中学生の頃、同じ班だった女の子が『心に刺さった言葉』として挙げていたからです。

授業なんて一度も積極的に受けたことはありません。そのときの自分が掲げた言葉すら記憶の底で眠り思い出せない。

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死ぬまでにやっておきたい夢的な

「夢はーーーです!」

みたいに堂々と言える人は夢がない人と比べると早死してしまうという。

叶えてしまったときに生きる目標を失ってしまうから。

対して、夢なんてないし生きる目標とか大そうなものは持ち合わせてない、という人は失うものがない。

そう考えると、まぁ案外夢なんて無い方がマシなのかもと考える今日この頃です。

人生というものに活力を注ぐ人は羨ましいと思いながらも、心のどこかで蔑んでいる

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友達とバイバイするとき

別れ際「じゃあね〜」と言って別れますよね。

その友達はまた会う時まで自分の前には現れることはありません。

死は別れを意味します。

じゃあ、この「バイバイ」で別れた友達は一時的に死ぬのでは?

逆に友達の中で私は一時的な死を迎える。

そう思うと死を疑似体験しているような気がして不思議な気持ちになります。

という馬鹿げた発想をしてしまう自分に嫌気がさす。

今日も上手に絶望していきましょう。

鬱の判断

鬱病。

これを判断するのは難しい。

一例として私の鬱判断の方法を綴ります。

朝、目を覚ましたとき。

そこで何を思うかが自身の状態を判断するポイント。

「ああぁぁぁぁ、眠い…」

これは余裕。安定した精神状態と考えます。

二度寝しようが三度寝しようが問題まりません。

「あ、今日も生きてる…」

これは重症判断。

生と死でしか自分を捉えられていないときです。

私はこれに気づいてから、

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悲しむべきもの

死は悲しむものではない。

湊かなえさんの小説『絶唱』でトンガという南国が出てきます。

トンガで暮らす人々は死に対する向き合い方が日本とはまるで違う。

悲しむのは別れであって死ではない。

毎日、教会で祈りを捧げるトンガ人にとっては死は生から次のステージに行くという解釈らしい。

じゃあ、死は悲しくないんだね。

と今日から割り切って人生を送れたら良いのですが、長年染み付いた価値観はそう簡単に

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死を覚悟した瞬間の世界

大学一年生の冬に橋の上から飛び降りる決意をしました。

何か苦しいことがあったとか悩みがあったとかではありません。

敢えて言うのなら、自分自身が生きている事実に悩んでいました。

決意したのは朝起きた時に「死ぬか…」と思ったから。

死への決意は必ずしも劇的ではないようで、結局のところ普段生きている自分というのは『まだ死んでないだけ』に過ぎないんだなと。

その気持ちは今でも変わりません。

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最期

消えてなくなりたい。

それが一番適した言葉だと思う。

生きていたいわけではない。

死にたいとはよく思うけど、それは一時的に発生する感情。

生と死。

どちらを選択しても迷惑がかけてしまうのが辛い。世界の廃棄物のような気持ちになる。

はじめから世界のどこにも私は存在しなかった。

そんな最期を迎えたい。

今日も上手に絶望しましょう。

死にたければ死ねば?

「死にたい」なんてポロって言葉出すと、「じゃあ死ねば?」というおよそ考えられない答えが返ってくることがあります。

一言が抑止になることもあり、一言が後押しになることもある。

言葉の暴力はあるのに、言葉の警察はいません。

時に不公平なのが言葉です。

今日も上手に絶望していきましょう。