手を洗う回数が増えて、手を繋げなくなった。
私には恋愛感情がありません。
巷ではアセクシャルと呼ばれたりするそう。
そんな私がまだ自分のことを恋愛をする側だと疑わなかった頃の話。
人がいるところに恋がある。風が吹けば髪がなびくくらいにそれは自然な事象だと思っていました。
ありがたいことに私のことを快く思っていると伝えてくれる異性がいました。当時の私は舞い上がりその想いに寄り添う返答をします。
二人の時間は順風満帆に過ぎていき、仲も深まるばかり。自分が幸せであることを始めは疑いもしません。
しかし、異変に気付きました。
私と相手の好きには乖離がある。
大切に思っていることは間違いないのに、堂々と愛していると言えない。これはちょっとおかしい。
私が抱いているこの感情は恋愛感情ではない?
自分という像を認識したとき、恐ろしさで震えました。
そして変化は感情の認識だけでなく、身体にも表れるようになりました。
汚れている。
手が汚れている。
休日、手を繋いで歩いていたとき、突然ありえない思考が頭を埋め尽くしました。
こんな異常な思考になってしまった以上、恋愛がどうのこうのという発想など二の次。相手には何の罪もないのに私の勝手な都合で別れを切り出しました。
もちろん「手を繋ぐと汚く感じるから別れよう」なんて無神経なことは言っていません。後腐れのないよう努めました。
それから今まで日常生活で何も感じなかったものまで、汚らわしさを意識するようになりました。
つり革に触るとき、お金を触るとき、食券機のボタンを押すとき、学校のパソコンを触るとき。
人に触れるとき。
そして、私の生活において手を洗うという行為は以前の2倍・3倍と増え、手を洗っていない時間が積み重なると何処からともなく恐ろしさが湧き出てくるようになりました。
逆に、石鹸やシャンプー、洗顔クリーム、保湿ジェル、洗剤に触れている時間は今までの何倍も落ち着いた時間に。
コロナウイルスの影響で現在はどこにでもアルコールが配備されています。
これは私にとって救いです。アルコールの匂いに包まれた空間は控えめに言って天国。
いつかこんな思考から解き放たれる日が訪れることを願っています。
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