誰かが生きるほど死にたかった明日。

こんな名言を聞いたことがある。

あなたが無駄に過ごした“今日”は、“昨日”死んだ誰かが死ぬほど生きたかった“明日”なんだ

誰かの名言なのか、CMで流れた言葉なのかは知りません。

この言葉を憶えていたのは中学生の頃、同じ班だった女の子が『心に刺さった言葉』として挙げていたからです。

授業なんて一度も積極的に受けたことはありません。そのときの自分が掲げた言葉すら記憶の底で眠り思い出せない。

にもかかわらず、その女の子の言葉だけ憶えている。当時の私がどう捉えたのかは今の私には見当もつかない。

名言や格言に対するリアクションは「その通りだ!」、「綺麗事だ…」、「どうでもいい」の三択になる気がする。

眠ることしか脳がない過去の私はおそらく三番目。

そして今は綺麗事だと否定的な姿勢を取ってしまう。

女の子の言葉の意味は『生きられなかった人たちの分まで私たちは全力で生きていこう。』的なものだと思う。そんな前向きに私はなれない。

否定するならこう。

『あなたが有意義に過ごした“今日”は、“昨日”生きた誰かが生きるほど死にたかった“明日”なんだ』

死ぬことすら許されない。昨日も今日も痛みを抱えて、明日も生きていくという絶望。そういった境遇の前でも女の子の言葉は絶賛されるのか?

生きたい願望があるのと等しく死にたい願望も尊重されていいのではないのか。

戦争で生き抜いた孤児は何を思い何を感じているのだろう。

女の子は今、何を考えているのだろう。

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