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【小説】自然への回帰 或いは袋小路 - トム ファフロツキーズ【SF】

本文

6/11
 ついに日本にたどり着いた。

 はじめに私が遭遇したのは、少々大きな豚の群れだった。ニホンセイの車と同じくらいの大きさだ。
 やはりこの列島も大きな影響を受けているようだった。だが、私がここに来た目的は観光では無い。

 改めて今日から私、冒険家アダム・モールスは日誌をつけていくこととする。
 早急に日本の東京、そこにある仮設天体望遠鏡を発見したい。私は小説の最後の一節を思い出す。
 日本を題材にしたそれは、ちょうどこの時期が舞台だったはずだ。

「雨上がりの葉桜に 夜明けのラムプが生っている」
 この日本で、夜明けのラムプを見つけられることを願う。


6/12

 今日はとりあえずのテントを設営した。

「ニホンセイ」といえば強固で信頼性が売りだが、いざ日本に来てみると、想像以上に多くの建築物がその形を残していた。
 おかげで動物の侵入を気にしないような高い建物にテントを設営することができた。
 日没までまだ時間がある。記録媒体も新しくしたことだし、今日は世界の状況を振り返ることにする。
 あらためて記せば、あの日失った人々を忘れることもない。

 発端は2024年の5月25日だった。あれからもう10年になる。
 NASAの発表では、木星の周回軌道上にあった衛星がいくつか軌道を外れて地球に向かってきているとのことだった。

 この時点では、我々のような一般大衆の生活はそう変わらなかった。だがそれから2ヶ月くらいして、各国が目に見えて協力するようになっていた。
 そして各国に天文台や、軍事基地のようなものが作られていった。

 そして、人類史上類を見ない強調路線から1年、それは壮絶な終わりを迎えた。
 地球にその衛星の一つが落ちてきたのだ。1年という時間で綜合された人類の科学力という武器は、太陽よりも輝く、その衛星を粉砕するのに十分だった。

 しかしそれは、人類を救うにはそれは不十分だった。地上に降り注いだ破片は文明の表面を削ぎ落とした。
 その後の顛末を簡単に言えば、人類は20分の1の数まで減り、その大半は最も多くのシェルターがあったヨーロッパに住んでいる。

 我々は生き残った。だがそれだけだった。

 人類が外に出ることができるようになった時、そこに広がっていたのは異世界だった。多くの都市に降り注いだ隕石は放射線を帯びていて、それは地球上の生態系を根本から変えた。

 シェルターの中に閉じこもっていたうちに、専門家の見込みでは哺乳類だけでも200種は増えたらしい。
 しかし、確かなことは何もわかっていない。だからこそ私は今、外の世界に出て、目的を持って歩き続けている。

 日没を迎えたので、今日はここまでにする。
 明日はこのテントの安全を確認したいため、定点観測を行う。

 そうなればまた暇になるだろうから、今日の続き、つまりは私の目的を記すことにしよう。


6/13
 定点観測が終わった。

 やはり文明があった頃の景色はどこにもない。海の形が変わったために日本が陸続きになったことが関係しているのだろう。

 日本にいないはずの動物に似た生物が多く見える。なかでも衝撃を受けたのは、まるでゾウのような生物だ。
 東洋にゾウがいることに衝撃を受けたのではない。その生物はビルと同じ程の高さまで鼻を伸ばし、人間が残した廃墟を我が物顔で歩いていった。

 ビルの中段にテントを設営しただけで安全だと思っていたが、想像していたよりもこの場所は安全では無いのかもしれない。
 そうであるとして、更に東京に近づく必要がある。このテントは片付け、先を急ごうと思う。

 しかしながら、この僅かな不安を解消するためにも、昨日予告した私の目的を記すことにする。

 私がこうしてシェルターの外に出たのは、外の世界の観察が一つ、そしてもう一つは、人類にとって死活問題である、仮設天体望遠鏡を用いた天体観測である。

 外の世界の観察の意義はとてもわかり易い。我々はたしかに生き残っている。だが、変わってしまった世界に対してあまりにも無知であるのだ。

 その一方、もう一つの目的は一見重要そうではない。

 それも人類の死活問題などと題されては、なにも知らない人は首をかしげるだろう。
 もはや終わっている隕石とその惨状のために、望遠鏡を覗く必要がどこにあるのかと。

 しかし、目的はそこにある。「もはや終わって」いるのかを知る必要があるのだ。

 目的も記し終えたので、明日からは本格的に東京に向かいつつ、もっと仮設的なテントを用いることで、その都度野宿ができる環境を作っていく。

 東京までの距離はそう遠くないが、道のりは実際の距離以上にある。
 放射線を帯びた大気の中では、一つの国の横断も簡単ではないのだ。

 早めに灯りを消し、明日に備えなければ。


6/14
 今日は東京がある方角へと、すこしだが歩を進めた。

 道行く景色は動植物で溢れていた。もう少し長く観察したかったが、不測の事態が発生したため、建物内に避難した。

 雨が降ってきてしまったのだ。隕石のせいで、天気予報などというものの意味がなくなった現状、3日も晴れていたほうがむしろ幸運だったのかもしれない。


 憂鬱な気持ちのままに記録をしているが、ふと動物たちに目が向いた。彼らは雨などお構いなしに草を食んでいる。
 この放射線を纏った雨に打たれたら、そう長くは生きられないだろう。

……私は昔から様々な場所に冒険をしたが、時々そこに住む動物たちが羨ましかった。
 彼らは未来のことなど知りもしないし、考えない。好き勝手に進化をし、過去にそこで死んでいった人間のことなど知らずに、そこに居を構える。
 彼らになりたいと思うことすらあった。

 いや、私は人間だ。我々人間には理性があり、それによって過去や未来を見据える事ができるのだ。

 忘れてはいけない。アダム、お前は何億もの人間の歴史の先鋒なのだ。

 心を入れ替えるべきだ。憂鬱な気持ちのままでは何事も悪い方へ転がる。

 今日はもう寝て、明日もう少しだけ進もう。


6/15
 ビルの様子がすこし変わったような気がする。

 雨のせいではっきりとは見えないが、なんというか、デザインが奇抜だ。

 もしかしたら、私は東京にたどり着いたのかもしれない。だとしたら予想よりも早く仮設天体望遠鏡を見つけられるかもしれない。いい兆候だ。


 だが一方で、私自身の体調がすぐれない。少し歩きすぎたのだろう。今日はここまでにして、東京の中のどこに仮設天体望遠鏡があるかを考えよう。


6/16
 天体望遠鏡を探すために周囲を探していたら、「東京」という字が見えた。

 やはりここはすでに東京の中のようだ。ここが東京だと考えると、あらためて東京の様子はかなり奇妙だ。

 いわゆる都会にしては、ありえないほどの動物がいる。
 それにビルのかなり高いところまでツタが伸びている。

 コンクリートジャングルと形容されるような都会が、本当のジャングルに変わり果てたのだろうか? あるいは生物の進化という力は、我々人類の2000年以上の科学を簡単に凌駕するのだろうか? もしそうだとすれば、改めて彼らを羨まざるを得ない。

 我々がシェルターまで作ってようやく生き延びたこれを、彼らは過去も未来も考えないで、ただ生きるだけで生き残ったのだろうか。


6/17
 今日はずっと歩き通したが、その甲斐もあって仮設天体望遠鏡が見つかった。といっても、遠くからその方向を確認する程度だったが。

 一方で、自然の驚異には驚くほかなかった。
 高いタワーのようなものから東京を見下ろした時、天体望遠鏡の反対側、駅のような建造物の近くで、大きな四足歩行生物が見えた。

 その大きさは遠くから見た天体望遠鏡と同じくらいだった。放射線が影響を及ぼしているとは言え、これほどまでに大きな生物が陸上にいるとは、信じられなかった。

 自然とは、科学よりも力があるのかもしれないという、漠然とした恐怖が形となって体を走った。

 だが、いずれにせよ仮設天体望遠鏡の位置はわかった。人類の存続のため、私は脅威を知らなければならない。

 自然も脅威だと言うのならば、科学によっていつかそれを超すまでだ。


6/18
 ようやく見つけた仮設天体望遠鏡は圧巻と言わざるを得ない。すさまじい大きさに、一人で声を上げてしまったほどだ。

 聞いた話では、情報管理棟、研究棟、宿舎などをすべて備えた、一つの超巨大研究施設らしい。
 だがここまで来ると当然とも思うが、人の気配はない。

 電気も通っておらず、雨の中で薄っすらと頂上が見えるそれは、もはや人間の科学力の結晶には見えない。
 或いは、それは息絶えた巨大な死骸に見えた。

 中に入ると、流石に生物の跡はなかった。宿舎の方には動物が住み着いているかも知れないが、この研究棟や天体望遠鏡など、彼らにはなんの価値も無いだろう。

 それは私にとってもだ。雨が止まなければ、生き残った天文学者のくれたデータも、私の今までの努力も実らない。

 だが、雨が上がりさえすれば、希望のラムプに手が届く。それまでは研究棟にある史料を調べることにする。


6/19
 私は……私は率直に言って、絶望している。

 それがもたらした未来の予測にだろうか。あるいは……それを知ってなお、何もできない人類の叡智の限界にだろうか。

 日本人の中にも天文学者が多くいるから、研究棟のデータの中にも有用なものがあるかと思ってデータを調べた。

 成果は大きかった。例えば、今リアルタイムで日誌の記録ができている。
 これは音声入力筆記システムで、私の声を直接文字に起こしてくれているからだ。
 他にも、ライターやインスタント食品など、生活に必要なものが多く手に入った。

 だが、それに喜びなど無い。
 研究等で見つけたデータ。
 これには隕石落下の予測データが入っていた。

 それを備え付けのコンピューターに入れ、計算すると、80%の確立で第二の隕石が落下するという結果がでたのだ。

 それも、次の落下地点はこの東京だ。だからこの島には誰もいなかったのかもしれない。
 しかし、そんなことは問題ではない。2000年分の科学力があったから、ギリギリ文明の崩壊ですんだのだ。

 もう何も残っていない今、隕石を退けることなど出来はしない。

 こんなことならば、何も見つけなければよかった。


6/20
 なにか、なにか解決策があるのでないか。

 こんなにもどうしようもない終わりなどあるものだろうか。データに基づくならば次の隕石は2日後に落ちてくる。
 それまでにできることなど何もないし、もはやこの地球から逃げる手段なんてものもない。

 そもそもヨーロッパまで通信もできないから、人類の最後の叡智の科学者に教えを請うこともできない。

 死ぬしかない。死ぬしかないのではないか。

 いや、そうだ。たとえ死ぬとしても、私には理性が残されている。
 科学が太刀打ちできないとしても、人類が死ぬとしても、我々はそれを知るという事ができる。

 残された時間をかけて、私の理性が残してきた日誌を、生きた過去を、歴史を読み返そうと思う。
 空は晴れた。だが、それを見上げることは恐ろしい。

 私にはラムプを覗き込むことなどできない。


6/21
 読み返していて気づいたことがある。

 私がここまで歩いてきたのは、単に私は人類が生き残る未来を手にしたいと願ったからだろう。
 であるならば、そこには未来の予測ができる、私の理性が前提としてある。
 つまり、人類が滅ぶという未来を恐れる私自身が、人類理性の体現であり、2000年以上に渡る科学力の証明ではないだろうか。

 私はこの滅びを恐れることはない。
 夜中になると、犬か何かの遠吠えが聞こえる。

 東京に入ってからずっとそうだ。ふと考えたことがある。
 私はなんのために人類が生き残る未来を望んだのだろうか?

 それは幸せのためではないだろうか。
 人類が生き残れば幸せであり、逆に言えば幸せを望むから人類の生存を望むのではないか?

 であれば、現在のこの状況はおかしくないだろうか?

 私はなぜ絶望しているのだ。
 私はなぜ恐怖している?

 人類の歴史が過去のものであるとしたならば、私を苦しめるのは私の理性であるということになるのではないか?

 例えば動物のように過去も未来もなく、今のみを幸せに生きることができれば、それは幸せなのではないだろうか……理性があるよりも! 


6/22
 今日だ。今日終わる。

 昨日の夜に悩んだ末の結論は、私が人間である限り過去や未来を捨てて物を考えることなどできないということだ。

 私は動物になれない。
 私は人間だ。

 だが、人間であるのも今日が最後だ。
 考え抜いた末に私は考えついたのだ。

 過去と未来をつなぐ今が永久に失われるならば、私はその生命に過去や未来の不安を見ることは無いだろう!

 その時初めて私は動物になるのだ。
 死を持って私は動物となることができる。
 であれば、ずっとずっと絶望だと考えてきた隕石はもはや恐ろしくなど無い!

 あれによって私は幸せになることができるのだから。

 ああ、日本に来たことを後悔もしたが、とんでもない勘違いだった。
 
 私は覚悟を決める事ができたし、何も知らずに死ぬこともない。

「結論」を出せたのはこの場所のおかげなのだ。


 やはりこの場所に来てよかった。




 ラムプはここにあったのだ!



 雨上がりの葉桜に 夜明けのラムプが生って





作品概要

題名:自然への回帰 或いは袋小路
作者:トム ファフロツキーズ
ジャンル:SF(サイエンス・フィクション)、ホラー・怪奇・狂気
製作者コメント:(χ ファフロツキーズ)
理性的に見せる文章が大変でしたが、なかなかに満足した作品です。次回はもっとハッピーエンドになるといいですね!

【参加企画】
本作は、創作企画「キーセンテンス:雨上がりの葉桜に 夜明けのラムプが生っている」に投稿された作品です。
【企画概要】
「雨上がりの葉桜に 夜明けのラムプが生っている」というオベリニカのキーセンテンスをテーマに、各自、好きなジャンルで創作する企画です。このフレーズをどう解釈するかは創作者次第。様々なアイデアでもって、オベリニカのイメージを膨らませてみましょう。

サークル・オベリニカ|読後のスキを。



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