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【小説】桜の降る国 - Yayuki【ハイ・ファンタジー】

- 序 -

とある旅人の手記。

- 本篇 -

 随分と長い旅路になってきたものだ。僕は澄んだ青空を見上げた。僕は何世紀か前からこの世界を旅していて、趣味は世界中の文化や言語を学ぶこと。最もここまで長く旅をしていると、訪れたことのない国も減り、二度や三度目の訪問となる国も増えてくる。ちょっと前まで歩いていたところが砂ばかりの砂漠地帯であったせいで、僕の体は暑さと砂で悲鳴を上げていた。きしむ体を無理矢理動かし、羽織っているカーキ色のマントのフードを目深にかぶり、歩みを進める。マントは旅に出る前に友人からもらったもので“ノーテ”と僕の名前が刺繍されていた。
 ところで、数日前から歩いているこの草原はあまり記憶には新しくなかった。もしかしたら、新しい国に出会えるかもしれないと、僕は胸を躍らせる。気候も砂漠とは打って変わって、穏やかで過ごしやすい土地だ。そこからさらに半日ほど歩き続けると、再びゆるやかに流れる小川を発見した。太陽の光を反射し、きらきらと輝く小川にもまた見覚えはなかった。僕は小川のほとりにある小さな岩に腰掛けると、地図を開き場所を確認することにした。今まで通ってきた旅路を考えるとどうやらこの場所は、世界の東端にあたるようだ。僕は地図を肩からかけた薄汚れたバッグにしまうと、小川を渡りさらに東に向かって歩くことにした。いくつかの丘を越えた先で珍しい造りの建造物が立ち並んでいるのを発見した。それは、白とこげ茶色を基調とした建物で屋根が奇妙な三角形をしている。窓などはなく、入り口と思しきところが開いているものもあった。近づくにつれて僕はその建物が木でできていることに気づき、一体これは何のための建物なのかと考え込んだ。建物が集まる周囲にはまた、先ほどと同じような美しい小川が流れていた。僕は小川のほとりにしゃがみ込むと小川を覗き込んだ。透き通る水面にはフードの下から覗く僕の顔が映っている。砂漠を歩いた時の名残で、顔にはまだ砂が張り付いていた。その砂を手で払い落としていると、
「あまり見かけない格好ですけど、ここで何してるんですか?」
 と突然話しかけられた。僕が顔を上げると相手は驚いたように尻餅をつく。黒い頭髪と黒く輝く瞳を持つ人だった。容姿は、僕の記憶を探る限り、かなり珍しい。随分と柔らかそうな体をしている。
「え? うわっ、まって」
 慌てふためくその人はまだ幼く見えた。
「あまり見ない人だね」
 僕は笑いながら話しかけた。それでも相手の顔に張り付く、恐怖の表情は消えない。そこで僕は言った。
「怪しい者じゃないよ。僕はノーテ。この世界を旅しているんだ」
 その人はまじまじと僕の全身を見つめる。それから小さな声が聞こえた。
「ごめんなさい、取り乱してしまって。私はハルと申します。とても珍しい見た目だったもので・・・・・・。あ、すみません、そんなつもりじゃ」
 僕が首をかしげたのを見て、ハルは謝った。
「別に怒っていないよ。この国で旅人は珍しいのかな?」
「そ、そうですね・・・・・・。小さな国ですので」
 僕は少し納得していた。もし仮にハルがこの国の人々しか見たことがないとしたら、僕の姿を見て驚いてしまうのも無理はないかもしれない。それとも、この地域にはハルのような見た目の種族が多いのだろうか。かなり怯えているハルを見て、このまま回れ右をして引き返すことも考えたが、やはり好奇心が勝った。僕は言う。
「それじゃあ、まずは僕の自己紹介をしよう。それから、ハルにこの国を案内して貰いたいんだ」
 ハルは、しばらく僕をしばらく見つめた後、また小さな声で言った。
「私に出来ることであれば」
「ありがとう、ハル」
 僕はそう言ってから、ハルの持つ木でできた物体に気付いた。僕はしばらく考えてから、その物体の形状と今いる場所からある結論を導き出す。
「もしかして、川の水を汲もうとしてた?」
 ハルは頷いた。
「それじゃ、作業を邪魔したら悪いし、歩きながら話そうか」
「あ、ありがとうございます」
 そう言うとハルは美しい川に木を沈めた。
「まあそれで、さっき僕はノーテって名乗ったけど、本当の名前はノーティグラス。でもこの発音は難しいだろうしノーテでいいよ。僕はティフト国っていう、ここよりもずっと北西の方にある国の出身なんだ」
「すごく遠い所から来たんですね。それなのに私と同じ言葉を使うなんて驚きました」
 ハルのその言葉を聞き、僕は首を振った。
「いや、違うよ。僕の国では全然違う言葉を使う。ただ、前に旅していた場所で似た言葉を話す人たちと暮らしたことがあったからね。だからハルの言うことはほとんどわかるよ」
 ハルが目を見開いた。
「凄いですね! 凄く上手です」
「ありがとう。言葉を覚えるのは得意なんだ」
 僕は不思議に思っていた。確かに僕は以前、ハルと同じ言葉を喋る人々と暮らしたことがあるが、その国はここよりもはるかに遠く離れた土地だ。経験上、離れた土地の人々が同じ言語を使っているのはとても不自然だ。ハルの民族はどこかほかの土地から移動してきたのだろうか。でも、過去に出会った同じ言葉を喋る人々は皆、ハルとは違う種族だった。一体どうしてなのだろうか。
「ノーテ?」
 ハルの言葉に僕は我に返った。
「ごめん、少し考え事をしていたんだ。ここがハルの家?」
 そこは、先ほどから見えていた白と焦げ茶色を基調とした木の建物だった。
「はい。私は、この家に住んでいます。ここはオウビの国で、丘の下の方に見える町にはこの国の長が住んでいるんですよ」
 ハルは家の裏から見える丘の下を指さす。確かに丘の下には数多くの建造物が見えた。
「私はここで、サクラを作る仕事をしています」
「なんだって?」
 僕は聞き返した。聞きなれない言葉だった。
「説明しますので、とりあえず中に入ってください」
 ハルはそういうと、家の中へと入っていった。僕はハルに続いて、木で造られた家の中に入った。木のいい匂いが広がる。床は見たことのない材質で草のようなものを編んで作られているようだ。外から見たときはもう少し広いと思っていたが、いざ入ってみると、玄関にあたる部分は恐ろしく狭かった。周囲を囲うように紙で作られた扉が設置されている。僕が辺りを眺めていると
「あ、言い忘れていたんですが、ここは土足厳禁ですので、靴はお脱ぎください」
 とハルは言い、慣れた手つきで自身の靴を脱いだ。それから、ハルが扉を開けると、その奥はごちゃごちゃとしていて、見たことのないものがたくさん並んでいた。ハルはその部屋の中へ入ると、低い机のすぐ横に腰を下ろす。その机の上を見た僕は息をのんだ。そこには、美しい桃色が広がっていた。それは、小さな木で、枝の先端には白の花弁にわずかに桃色が滲んだかのような花がたくさんついている。
「初めて見る植物だ。凄く美しいね」
「綺麗ですよね。私の仕事はここの工房でこのサクラと呼ばれる花を作ることなんですよ」
 僕は、ある違和感を覚えて、ハルに問いかけた。
「作る?植物というものは、自然に生えるものなんじゃ?」
 僕はハルの容姿をまじまじと見つめる。この国の住民を、ハル以外見たことがないので、何とも言えないが、興味深い容姿な上に、興味深い文化も見られそうだ。
「確かに、ほとんどの植物は自然に生えるものですけど、このサクラは違うんです。私が研究し、私が作っています。この国の人々は、サクラが大好きですからね」
 そうハルは言う。サクラの花弁は不思議だ。淡い桃色の花弁が五枚集まり、焦げ茶色の木を華やかに彩っている。指で触ればすぐにでも落ちてしまいそうな花だった。

「サクラ……ここか?」
 不意に玄関の方で声がして僕は振り返った。入口には、ある人が立っている。巨体を揺らしながら、その人は僕の目の前まで歩いてきた。驚いたようにハルが言う。
「あの、どなたか知りませんが、ここは土足厳禁です。まず靴を脱いでください」
「……ん?」
 来訪者は一瞬首をかしげると、何事もなかったかのように、ハルの方へ歩いてゆく。
 ハルは恐怖で動けないようで、ひきつったように突然の来訪者を眺めていた。
「分からなかったの?彼は靴を脱いでって言ったんだよ」
 僕がそう言うと、それを聞いた来訪者は驚いたように頭を下げて、玄関まで戻った。そこで丁寧に、履いていた靴を脱ぐと僕に言った。
「すまないね。この国の言語に疎いもので。助かったよ、見知らぬ旅人さん」
 それから、僕は不安そうな顔をするハルに言う。
「彼は服装からして恐らく、この国の西南に位置している国から来た商人だと思うよ。無礼なわけじゃなくて、この国の言葉が分からなかっただけなんだよ」
「そうだったんですね、それで一体彼は何をしに来たんでしょうか?」
 ハルはそれでもまだ不安そうだった。それもそうかもしれない。ハルからしたら、一日に二人も見知らぬ異国人が来たら、気が気ではないだろう。僕はしばらくこの商人から話を聞くことにした。商人の話によると、どうやら彼はこの国のサクラを求めて、遥々やってきたらしい。ここまで来るのに一週間も歩いたと商人はため息をついた。
 僕が商人から聞いたことをハルに話すと、ハルはますます困った顔をした。僕は不思議に思って、
「何か都合が悪いことでも?異国からサクラのために来てくれるなんて、凄いじゃないか」
 ハルは僕を見て言った。
「ここに来るのに一週間かかったと仰っていたんですよね?確かに、彼のためにサクラを作ることは可能ですが、一週間では、彼が自分の国につく前にサクラは枯れてしまいます」
「サクラというのは、枯れるのかい?!」
 僕は驚いた。ハルが、サクラについて研究していると言っていたのは、一体何だったのだろうか。サクラを作る仕事と言っていたが、なぜサクラを枯れにくくしようとは思わなかったのか。確かに僕の国にも時間がたつと枯れる植物は存在しているが、それにしても一週間で枯れてしまうのはあまりにも早すぎる。僕はその事実を商人へ伝えた。
「今、何と言った?」
 その瞬間、商人の表情が歪んだ。僕はため息をつくと、サクラが枯れてしまうという事実をもう一度丁寧に伝えた。
「なんと……、美しい花があるというから来てみれば、たった一週間で枯れるだと?馬鹿にするのもいい加減にしてくれ。そんな花、誰が買うんだ?ここに来た時間が無駄だった」
 商人はそう吐き捨てると、大きな音を立てながら、玄関から出ていった。
「ノーテ、商人の方はなんておっしゃっていたのですか?」
 商人が出て行って、少し間が空いてからハルは僕に問いかけた。僕は、なんて答えるべきか考え込んだ。確かに商人の言い分も分からなくはない。この国では人気の花なのかもしれないが、正直なところ、たったの一週間で枯れてしまっては、愛でることも出来なければ、記憶にすら残らないかもしれない。僕はこの国を去る前にサクラを買っていこうと思っていたこともあり、酷く落胆していた。とはいえ、商人の言ったことをそのまま伝えては、ハルを傷つけてしまうかもしれない。結局僕は、無難に質問してみることにした。
「ハルはサクラを長持ちさせようと考えたことはないの?」
「え、サクラを長持ちですか。」
 ハルは首を振った。
「そんなこと考えませんよ。サクラが枯れなくなってしまったら、そのサクラにはもう価値がありませんから」
「どうして? 長く楽しめた方がみんな喜ぶよね?」
 せっかく買ってもすぐに枯れてしまうのでは、面白くない。
「ノーテ、確かに私の作るサクラは一瞬で散って枯れてしまいます。でもだからこそ私たちはその一瞬を楽しみ、愛で、そして惜しむのですよ」

 その日の夕方、僕は夕陽を見に外へ出た。空が燃えているようだった。圧倒する僕を焦がすその夕日は異国の地であっても変わらず、見慣れたオレンジ色だ。ふと反対側の丘を誰かが歩いているのが見えた。しかも一人や二人ではない。長い列を作っている。夕陽に照らされた丘でその人々は黒い影のように見えた。砂利を踏む音が聞こえ、後ろに人の気配を感じる。僕は聞いた。
「あの行列は何をしているの?」
「あー、あれは多分、ソウギですね」
 ハルは遠くの丘を見ながら、目を細めている。僕はもう一度丘のほうへと目を凝らすと、黒く長細い箱のようなものを運んでいる人たちがいることに気づいた。そして、その箱の中に横たわる人の姿が見える。
「聞きなれない言葉だね。あの運ばれている箱の中には、何で人が寝ているの?」
 ハルは驚いたように僕のほうを見て言った。
「よくそんなに細かいところまで見えますね」
「まあ、それはそうと、何であの人は起きないの?それに同意の上で運ばれているの?」
 僕は箱の中で眠る人を見ながら聞いた。あんなに寝心地が悪そうな箱に押し込められているうえに、決して歩きやすくは無さそうな坂を登られているにもかかわらず、眠っている人はピクリとも動かなかった。僕がそんなことを考えていると、横から視線を感じる。ハルが信じられないとでもいうかのようにこちらを見ていた。
「ノーテ、あの人は死んでいるんですよ。死んだ人は動きません」
 僕は首を傾げた。今ハルは死んでいるといったが、それは本当なのだろうか。言葉の意味が分からなかったわけではない。確かに僕の国でも植物が枯れたり、星が消滅することを死ぬと表現することがあるが、この国では、人に対して死ぬという言葉を使うのか。僕は自分の聞いた言葉が聞き間違えではないか再確認したが、ハルの発した言葉は間違いなく“死ぬ”を意味するこの国の言葉だった。
「あの人が死んでいるのは分かったけど、何で死んだの?それにこれからどうするつもりなの?」
 そう僕が聞くと、ハルは困った顔をした。僕は何か変なことを言ったのかもしれない。確かに自分の国では当たり前の文化を知らない人に話すのは難しい。僕はそう思って、ハルのことを見つめていたが、急にハルが顔を上げて、僕のことを見た。それからゆっくりと視線を僕の体へとおろしていく。そして、何かに気づいたかのように話し始めた。
「確かにノーテは、死ぬとは無縁なのかもしれませんね。でもこの国の人々は誰でも年を取れば平等に死にます。誰も死からは逃れられないのです。だから残された人々は死んでしまった人を弔おうとします。あの行列は死んだ人を弔うための儀式です」
「誰も死から逃れられないなんて、この国の人々は呪われてるのかい?でも嬉しいよ。知らない文化を知ることが出来て」
 ハルの説明に僕は感心してそういった。人が死ぬというのは考えられなかった。この土地に何か問題があるのか、はたまたこの民族の特徴なのか。久しぶりに興味深い国に訪問出来た、と僕はハルの柔らかそうな体を眺めた。

「ぜひ、うちに泊まってください。この後夕食も用意しますので」
 僕がこの辺の宿を探していると伝えると、ハルは笑顔でそう言った。しかし、そのあとの言葉に僕は疑念を抱き、慌てて確認した。
「僕とハルとでは、食べるものが違うかもしれないし、一応自分の分は持ってきているんだけど……。ところで、ハルは何を食べて生活しているの?」
「普通にお米とかお肉とかだけど」
 僕は納得した。ハルの体を見た時から予想はしていたが、やはり生き物を食べる種族のようだ。
「それなら申し訳ないんだけど、僕の分はいらないよ」
 ハルは不思議そうな顔をしていたが、それからハルが工房の横側にある扉をあけると、新しい部屋が現れた。見たことのない器具がたくさん並んでいる。僕はハルの行動を後ろで眺めた。以前、別の国で見たことがある、生物を加工する技術。確か、リョウリと呼ばれていたはずだ。しばらくすると、白い湯気が上がり、いい匂いがしてきた。元気が出るにおいだ。それからハルは、固形物の混じった液体をボウルに注ぐと僕の隣に腰を下ろした。木でできた棒のようなものを操りながら、器用に固形物を持ち上げているハルを眺める。液体の滴る固形物が次々とハルの口の中に吸い込まれていくのを僕は感心して見つめた。
「そんなに見つめないでください」
 ハルが恥ずかしそうに言った。
「ごめん、珍しくって」
 僕の国や他の多くの異国を考えても、口から栄養を取る種族は珍しい。
「確かにノーテはご飯食べなさそうですもんね」
 そう言って、ハルは笑った。
「ハルから見たらそう見えるんだね。でも僕はハルとは食べるものが違うだけだよ」
「何を食べるんですか?」
「……えっと、この国の言葉で言うなら、光?電子?」
 何も理解出来てなさそうなハルを見て、この国にはない物質なのかもしれないと僕は思った。やはり、携帯用の保存食はこういう時に役に立つ。僕はバッグの中から、紫色の液体の入った瓶を取り出した。それから、腕のカバーを外すとそこへ流し込む。ハルは眼を丸くしていた。先ほど初めて会った時、ハルが驚いていたことを思い出す。きっと、僕の食事は随分と奇妙に映っているのかもしれない。
 その夜、ハルは布団にくるまり、動かなくなった。寝るといっていたが、睡眠をとる生物は、興味深い。穏やかな寝息を立てて、横たわるハルを眺めた。それはまるで夜の波のように規則正しかった。僕は、ハルの隣に腰を下ろすと、自分の体を眺める。少し前の砂の影響がまだ残っていて、体の節々に砂がこびりついていた。それらを丁寧に払い落とす。特に接合部位に入り込んだ砂を取り出すのは至難の業だ。ハルとは似ても似つかない硬い金属の体。異国を旅するからこそ見えてくる違いもあるものだ。僕はバッグの中から使い古したドライバーを取り出すと、足のネジを外し始めた。この作業は長くかかりそうだ。明け方までに終わらせなければ、再びハルを驚かせてしまうかもしれない。

「おはようございます、ノーテ」
 日が昇り、小鳥たちがさえずり出した頃、ようやくハルは目を覚ました。
「おはよ、ハル」
 僕は笑顔でそう言った。そうして何事もなかったかのように座りなおす。夜通しのメンテナンスのおかげで少し体が軽くなった気がした。
「今日は予定もないですし、町を見に行きますか?」
 ハルの言葉に僕は頷いた。この国の文化を深く知れるチャンスだ。この家は少し町から外れた場所にあるようだし、町に行ってみればまた違う発見があるかもしれない。僕は胸を躍らせながらハルの案内で丘を降りて行くことにした。
 丘を降りると、道に沿って多くの露店が並べられているのが見えた。その向こうには居住区と思しき建物も多く見える。町は賑やかだった。
「あちらには、焼きだんごが売ってますよ」
 ハルは楽しそうに笑う。
「確かにいい匂いがするね。食べられないのが残念だ」
 ハルの指さす方を見ると確かにハルと同じような見た目の人が柔らかそうな食べ物を売っていた。見た目は同じとはいえ、かなり老けて見えた。老化が見てわかる種族は珍しい。さらに町を見ているうちにあることに気づいた。どうやらこの国の人々には性別があるようだ。服装の系統や頭髪の長さが主な違いに見える。さらに体の大きさにも違いがあるように見える。僕が珍しそうにしているのが伝わったのか、ハルが言う。
「私以外の人は珍しいですか?」
「そうだね。この国に来てから、ハルしか見ていなかったからね。新たな発見があったよ」
 そう僕が言うと、ハルはおかしそうに笑った。
「いつも見慣れてる光景がそんな風に思われてるなんて、ちょっと不思議ですね。私もいつかノーテの住む国に行ってみたいです」
「うん。ぜひ僕の国も見てほしいよ。きっと驚いて腰を抜かすんじゃないかな」
 僕とハルは二人で笑い合った。
「あ、あちらで売っているのがこの国の特産品の一つです」
 ハルが指さした先にあるのは美しく輝く布だ。不思議な光沢を放つその布は、他のどの国でも見たことがない物だった。何の模様も入っていない真っ白なものから、華やかな柄が入っているものまで多種多様だ。
「すごく触り心地がよさそうだな。触ってもいいのかな」
 僕がそう聞くと、ハルは少し考えてから僕の耳のそばに口を近づけて、小さな声で言った。
「これは、噂なんですけど、あの布って実は虫から出来てるらしいんですよ」
 僕は自分の顔が引きつるのを感じた。昔から虫は大の苦手だ。
「む、虫?! いや、冗談だよね?」
「まあ、あくまで噂なんですけどね。私も作り方は知りません」
 ハルの笑顔が怖かった。しかし、もしハルの話が事実だとしたら、一体全体虫のどの部分からあの光沢を取り出しているというのか。殻の部分だろうか。そもそも、その虫は僕の知っている虫なのか。様々な疑問が浮かんできたが、嫌いな虫の姿を頭に思い浮かべ始めたところで、僕は考えるのを辞めた。
 さらにしばらく、進んでいくと突然生臭いにおいが鼻を突き、僕は咄嗟にマントで鼻を覆った。
「なんだ、この臭いは?」
 僕は顔をしかめた。まるで何かが腐っているようなにおいだ。
「あれじゃないですか?」
 ハルが道の反対側にある露店を指さした。
「あれは魚です」
「魚って、あの海とかで泳いでる生き物の事?」
 半信半疑で尋ねた。
「そうですよ。あれはもう死んでいるので泳ぎませんけど。食用なので」
「つまり、この国の人は魚を食べるって事?」
 確かに僕も魚を見たことはあるが、食べるという発想はなかった。店で売られているものもあったが、それは観賞用だ。
「……美味しいの?」
 食べる予定はないし、そもそも生き物を食べる体のつくりはしていないが気になった。
「とても美味しいですよ。私は好きです」
 国が違えば、感性も違うということらしい。腐ったにおいにしか思えなかった。そういえば、かつて魚を飼っているという友の家へ遊びに行ったとき、部屋からはこのにおいが漂っていた。魚は美しかったが、どちらにせよいい匂いではなかった。
 やがて、日が暮れると甲高い鳴き声が聞こえた。空を見ると、頭上には真っ黒い何かが飛び回っている。
「そろそろ、家に戻りましょうか」
 ハルはそう言った。見れば、多くの露店商が帰り支度を始めているところだった。人通りも昼間と比べるとだいぶ少なくなってきている。それから僕たちは来た道を引き返した。
 その日の夜、ハルは言った。
「ノーテ、君のためにサクラを作ろうと思います」
 願ってもない言葉だった。僕はすぐに頷いた。
「ありがとう。楽しみだよ」
 それから、僕はハルに続いて工房に入ろうとしたが、その前に止められた。
「ごめんなさい。サクラの作り方は秘密なんです。朝には終わりますから、隣の部屋で休んでいてください」
 僕は言われた通りに工房の隣の部屋で横になった。正直な話、中の様子がとても気になったが、秘密と言うからには仕方がない。最も僕が見たところで何をしているかなんて、分からないだろう。僕は隣の工房から聞こえてくる、木を切る音や何かが擦れる音、時折聞こえてくる風の音を楽しんだ。

 朝日が家の中に差し込むころ、工房とこの部屋を隔てる扉が開いた。そこには、少し疲れた顔のハルが立っている。
「見てください。私の自信作ですよ」
 そこには大きめの鉢から延びる太い幹と、その先に延びる枝から溢れんばかりに咲き誇る薄桃色の花弁があった。目を閉じたら、消えてしまいそうな淡い色と、工房全体を華やかに飾る桃色のサクラに僕は目を奪われた。これが見たかったサクラだ。ハルは僕に説明した。 「このサクラは、今は薄い桃色の花弁をつけていますが、明日にはさらに鮮やかな桃色になります。明後日には少し褪せた桃色の花弁が舞い散ります。そして、最後に四日目になると、全ての花弁が落ちて、枝が枯れます」
「凄いな。毎日違う色が楽しめるってわけだ」
 僕はそう言ってから続けて、思ったことを言った。
「でもまあ、これで枯れなければ最高なのにね」
 ハルは呆れた顔をした。
「いいんですよ、これで。これが私の考える最高のサクラです」
 この国の人の感性は中々理解し難い。僕はこの美しさを故郷の友に見せてやりたいと思った。それでも、枯れてしまうものは仕方がない。僕はバッグから手帳を取り出すと、このサクラの魅力を少しでも多く伝えるべく、丁寧に絵を描くことにした。
 絵を描いている最中、ハルは僕に問いかけた。
「ノーテの住む国にはどんな文化があるのですか?」
 僕は少しの沈黙の後、話し始めた。
「僕の国で、一番人気と言ったらやっぱり音楽だね。音楽が嫌いな人はいないと思う。あとは、雑貨を作ってる人もいるかも。時計職人とか、結構人気の職業だよ」
 僕は、手帳のあるページをハルに見せた。
「これは楽譜って言うものなんだけど、自分の好きな曲をこうやって書き留めておくんだ。この黒い丸が音の高さを表してる」
「私にも歌えるでしょうか?」
「うーん、どうだろう。出ない音もあるかも。僕も普段は楽器を使うから歌うのは苦手なんだよね」
 僕は、故郷の国で演奏していた楽器を思い出した。月の明るい夜に家の屋根に上って、演奏したことは数えきれないくらいある。少しだけ故郷が懐かしくなった。久しぶりに帰ってもいいかもしれない。それで、僕は言った。
「なんか話してたら、帰りたくなっちゃったよ。でも、旅もまだするだろうから、また200年後くらいに来よう。出来ればそれまでにもっと長持ちするサクラを……」
 話している途中でハルの表情が曇ったことに気づいた。何か気に障ることを言ってしまっただろうか、と僕は不安になった。
「ノーテ、申し訳ないんですが、200年後ではもう私は会えません」
「どうして? どこかに行く予定でもあるのかい?」
 ハルは悲しそうに言った。
「ノーテはここに来た日にソウギを見ましたよね。もしかしたらと思ったのですがノーテは死なないかそれとも、とても寿命が長いんですね。私はあと100年もしないうちに動かなくなって、土に埋められてしまいますよ」
「そうか……、君の寿命はそんなに……」
 寿命がある人というのはこの世界ではそこまで珍しくはない。しかし、その寿命が100年や200年となると話は別だ。
「しかし、そんなに寿命が短いなんて、一体何故?」
「私には分かりませんよ。でもこの国ではこれが普通です」
 ハルの気まずそうな顔を見て、出してはいけない話題だったのかもしれないと、後悔した。そうすると、このサクラを見られるのもこれが最後かもしれない。そう考えてから、ふと疑問がわいた。
「ハルが死んだら、その、このサクラはもう見られなくなってしまうんだよね?」
 ハルは静かに首を振った。
「それはないです。確かに私たちは他の国の人たちから見たら寿命が短いかもしれません。ですが、職業においては、そうではないですよ。親から子へ、技術は継承されますから」
「継承……、なるほど。技術を継承させるのか。面白い考えだね」
 ハルの言葉を聞いて、少しだけ安心している自分がいた。ハルに会えるのはもう最後かもしれないが、サクラはまた見られる可能性がある。
「でもハルにもう会えないのは残念だね」
 僕はそう言って、サクラを見上げた。
「いつかまた来たときに、継承されたサクラを見られるのを楽しみにしているよ」
「ええ、もっと美しいサクラを見せてあげます」

 約260年後。
 結局僕は、一度故郷の国に帰った後、すぐに次の旅に出発した。ここまで長く生きていると、見慣れた自国の風景には飽き飽きしてしまう。それからまた、異国の土地を渡り歩いた。そうして、たどり着いた。砂漠を歩き回り、疲れ果てた僕の目に見慣れた小川が飛び込んでくる。辺りは、草に囲まれた草原地帯だ。いくつかの丘を越えると、建造物が見えてきた。僕は立ち止った。そこは、見覚えのある風景ではなく、金属のようなもので作られた無機質な建造物が立ち並んでいた。しばらく見ないうちに随分と変わったものだ。僕はそう思って、そばを流れる小川を渡り、ある地点で立ち止まる。
「地図的にはこの辺りか」
 地図を何度も確認したが、確かにハルの家があった場所だ。そこには一軒の小さな花屋が建っていた。店先には色とりどりの花が並べられている。その時、店の中から不審そうな顔をした店主が出てきた。
「見たことない顔ですけど、どなた?」
 僕は答えた。
「怪しい者じゃないよ。僕はノーテ。この世界を旅しているんだ」
 相手の表情から疑いの色が消えたのを見て、僕は問いかける。
「ここはオウビの国で合ってるかな?」
 店主は眉をひそめた。それから思いついたかのように
「ああ、オウビの国ですか。あの国は80年前くらいの内戦か何かがあって、滅んだんじゃないかと思いますよ。国民も散り散りになったとかで」
 と話した。
「そうか」
 僕はため息をつく。オウビの国の人たちとの寿命の違いを感じていた。たった、200年程度でここまで変わってしまうものか。他に類を見ないほどに短命な種族だ。きっと、あと何年もしないうちにその血も淘汰されてしまうかもしれない。僕は諦め、道を引き返そうとして、当初の目的を思い出した。
「そういえば、ここってサクラは売ってる?」
 店主は大きく頷いた。
「もちろんですとも。ここは、どんな花でも取り揃えております。ぜひご覧ください」
 そう言って、店主が差し出したのは、紛れもなくかつて見たのと同じサクラだった。淡い薄桃色の花弁が枝から舞っている。その様子はとても美しかった。そして、僕はある事を思い出して、尋ねる。
「ところで、このサクラは何日で枯れるんだい?」
 店主は困惑の表情を浮かべた。
「とんでもございません。当店のサクラは雨風に強く決して枯れませんし、雷に打たれても傷一つ付かない頑丈な作りですよ」
 そう店主は自慢げに言ってから、続けて
「お買い求められますか?」
 と僕に聞いた。僕の心は決まっていた。何故サクラにこんなにも魅力を感じるのか。今やっと理解した。ハルの顔を思い出す。ハルと一緒にいた時に、気づけなかったことに少しだけ後悔した。僕は名前も知らないこの店主に背を向ける。
「いいや、辞めておくよ」


- 評言 -

執筆する頃には桜は散っていました。
桜餅みたいなぼってりした桜が好きです。

この話のストーリーを友達に話したら、フリーレンの観過ぎと言われました。
確かにその通りだと思います。

サークル・オベリニカ|読後にスキを。


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