着たい服が着れない母親たち

「好きな服ってどんなのだっけ。」

クローゼットの中の服を眺めて自分に問いかけてみた。

お尻がすっぽり隠れる黒のトレーナー、何度洗ってもそれっぽく着られるデニムシャツ、お買い得な値段で買ったからどんなに汚れても気にならないスキニーパンツ。

どれも私の日常のスタメンだ。

でも、これはみんな着やすい服だ。“私の好きな服”ではない。

グレー、ネイビー、黒、カーキ。暗く重い色がグラデーションのように積み重なった衣装ケースに手を差し込みながら考えてみる。

7cmのヒールを好んで履き、秋の新色リップでショッピングに出かけていた頃に思いを馳せてみたが、ピンとこなかった。

洗濯しやすい服、汚れても気にならない服を基準に服を買うようになってからもう3年以上は経っていた。


私は昔から好きな服を着ている自分が大好きだった。

小学生の頃は、ブーツカットの真っ赤なコーデュロイパンツがお気に入りでハート形の星条旗が描かれたセーターとよく合わせて学校に行った。その日は一日ゴキゲンな気分だった。

中学生の頃は、流行りのティーン誌に載っていたオシャレテクに憧れて、制服の胸ポケットに可愛いピンを差しカラフルなハンカチをのぞかせた。

地味な見た目で、青ブチのださいメガネに整えていない眉はぼさぼさだったが、トイレの鏡で胸元を見れば心の中はそっとハッピーになった。

高校生の頃は、ベージュのカーディガンに身を包み、これまた学校の流行に乗っかった。クラスで一番可愛いあの子みたいになりたくて、ゆったりサイズの萌え袖で着てみたがモテモテにはならなかった。

でも、私カワイー!とひそやかに思っていた。自分にときめきすら感じた。

大学時代からは、好きな服を買いあさり、かたっぱしから着た。服にお金を注ぎ過ぎて学食でほうれん草のごま和えしか食べられない日もあった。

でも、私は満足だった。

好きな服を着てサイコーにカワイイ私サイコー!だったのだ。


結婚して子どもが出来た途端、無敵の日々は終わった。

可愛い服は着やすい服になり、

好きなデザインは洗濯しやすいデザインになり、

New Arrivalはシーズン最後の最終セール70%オフ!になった。

子どもファーストの毎日は私をものすごいスピードで母親にし、より妻らしくし、普通のアラサーの大人に押し上げたが、その分サイコーにカワイイ私は押し出されてしまった。

朝、鏡の中の服を着た自分を見てわっと歓声が上がり紙吹雪が舞うような盛り上がりを感じることはなくなったし、じっくり自分の姿を見てニコリと笑いかけることもなくなった。

袖がガサガサになってきたニットから目を逸らすようにして、子どもの着替えを済ませる。

「だって仕方ない、これが今の最善策なのだ。」

何度も自分に言い聞かせて、納得しようとする。


母親というステータスを得てから、日々小さなときめきを少しずつ胸の外に捨てている。

読みたい本は夜の寝かしつけから起きれたら。気になる映画は時間が出来てから。華奢にきらめくブレスレットは子どもの手が離れてから。

少しずつ捨てたはずのときめきはいつの間にか大きな塊になって、塊になってからあの頃の大好きな自分だったと気づいた。

誰のせいでもない。

だからこそ、失った大好きな私が恋しくて、遠くて、苦しい。

大人になってから、ちょっとした価値観の違いがどんどん大きくなって10年以上親友だった友人と連絡を取らなくなってしまった時とよく似ていた。

サイコーにカワイイ私は、ずっと私の親友だったのだ。


別にときめきが無くとも生きてはいけるし、親友がいなくてもご飯が喉を通らないなんてことはない。

でも、インスタのおしゃれママコーディネートを見る度に心がぎゅっとなり、#丁寧な暮らしのハッシュタグを見る度に心がざわざわ落ち着かなくなる。

ああ、この人たちは親友と仲直りできたのか。

実際の親友とも心の中の親友の私とも別に喧嘩別れしたわけではないのだが、仲直りという言葉が妙にしっくりきた。

また自分の一部と笑って再会できた人がいるのだ。

羨ましく、そして私は失った親友を思い、鼻の奥がつんとなるのに気づかないフリをして別のハッシュタグを探した。


「でも、やっぱり、私はサイコーにカワイイ私を呼び戻したい。」

育児が少し落ち着いてきた頃、強くそう思うようになった。

親友だったカワイイ私をもう一度心に住まわせて育児・家事・仕事に忙殺される日々の避難場所にしたいのだ。

私はあなたがいるから大丈夫。

鏡の中の私にそう言いたかった。


だから、1シーズン、1着だけでも好きな服を買おうと決めた。

それはリネンシャツのアンサンブルであったり、手洗い不可のニットであったり、プリーツが繊細すぎるパンツであったり。

後のことなんて考えない服選びの時間は、高いヒールを履いてた頃の私をより鮮やかに思い出せた気がした。

そんな気持ちをずっと持てたら、サイコーにカワイイ私はまたひょっこり顔を出してくれるに違いない。

そうしたらきっと、子どもがフローリングに描いてしまった色鉛筆の落書きも炊飯ボタンを押し忘れて晩ご飯まで放置されていた炊飯器も。

「そんな日もあるある~。」

親友が代わりに笑って許してくれる、そんな気がするのだ。


たった一人の親友が戻って来るその日を思って。そんな期待を胸に、私はまた今シーズン好きな服を1着だけ買う。

今年こそ、ずっと着てみたかったあの真っ白なダウンコートを買おう。そうして、心にときめきを引き止める。



私たちは毎日毎日、飽きもせずに服を着る。

明日袖を通す服が、あなたの大好きな服でありますように。



おばた


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