引っ越し

「実は折り入ってお話ししたいことがございまして。」
「どうしたんですか。」
 今日も今日とて打ち合わせをしようとカフェに来ていたのだが、雨相がそう切り出したのだった。
 しかし別にそれ自体は特段珍しいことではない。
 こうやって大風呂敷を広げてみては、意外と普通の話だったり、逆にそんな小さな話が次の話のヒントになることもあった。
 そのため高森は、雨相からこんな風に切り出されたときは、なるべく前のめりで聞くようにしていた。
「いや実は……引っ越しをすることになりまして。」
「ええ、引っ越しですか?」
 しっかりとした報告だったので、高森は思わず大きな声を出してしまった。
「高森さん。」
 しーっ、と制す雨相。
「あ、すみません。まさかの報告でビックリしてしまったもので。」
「ああ、突然驚かせてしまってすいません。」
「いやあ、本当ですか。」
「はい。」
「もう具体的に場所とかも決まってるんですか。」
「もう内見も終わってて、引っ越しの日付も決まってるんです。」
「ああ、そうなんですね。」
「すみません、勝手に話を進めちゃって。」
「いやいや、先生のことですから全然いいんですよ。」
「ありがとうございます。」
「都内ですか。」
「はい。前のところとそんなに遠くはないですかね。」
「あ、そうなんですね。でもどうして引っ越すことになったんですか。」
「まあ今住んでる家は元々一人暮らしで住み始めた家だったので二人で住むにはどうも手狭で。」
「ああ、なるほど。」
 正直、高森にしてみれば雨相の家は二人暮らしにも十分な広さに思われたが、あくまでそれは個人の意見。高森は納得して見せた。
「それでお引越しを。」
「はい。あとはちょんまげも飼い始めて、そうするともう少しこういう家がいいな、とか思うんですよね。」
「ああ、そういうことですね。」
「まあそれこそ、そのうち子供もとか考えると……」
「ああ、確かに。」
今の高森にはまだ縁遠すぎて、結婚や子供を持つということはイメージしづらかったが、そう考えてみると雨相の考えももっともだった。
「うわあ、もうそういうことを考える年ですよね。」
 高森は少し冷静になって頭を抱えてしまった。
「いやいや、関係ないですよ。」
「え?」
「もちろん年を重ねれば周りで結婚する人も増えてくるでしょうし、親御さんからのプレッシャーとかもあるかもしれませんけど、そんなんで焦って急いてはダメですよ。」
「まあ、そうなんですけど。」
「あのね高森さん、結婚することが正解とは限りませんよ。」
「いやでも先生は結婚されてるからそう言えるんですよ。」
「高森さんそれは違いますよ。」
「え?」
「僕は変な話、結婚しないで生きてくんだろうな、って思ってました。」
「そうなんですか。」
「ええ。結婚願望なんかまったくありませんでしたよ。」
「ああ、でも確かに出会った頃の先生がそう言ってたら納得できますね。」
「でしょ?」
「じゃあなんで結婚を。」
「それはもちろん、この人と死にたい、そう思える人に出会えたからですよ。」
「おお……」
「大げさじゃなく本当ですからね。」
「いや、わかります。」
「だから、別にそういう人に出会えれば結婚をすればいい、それだけです。」
「はい。」
「とにかく、焦らないでください。」
「はい。」
 雨相がコーヒーをすする姿は今まで何度も見てきたが、今日はとても大人に見えた。
「あ、新居になったらまた遊びに来てくださいね。」
「もちろん、うかがわせていただきます。」
 今日はいつもより落ち着いた気分になれた気がした。

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