シンバル

「本日お話してくださるのは、副島七星(そえじまななせ)さんです。どうぞ!」
 生徒たちの拍手に包まれて壇上に登場したのは四十という年齢を感じさせない綺麗な女性だった。
「皆さんこんにちは。ただいまご紹介にあずかりました副島七星です。本日は短い時間ではありますが、よろしくお願いします。」
 
 この学校では授業の一環として定期的に卒業生による講演会が開かれていた。でも私にとっては決して魅力的なものではなく、終わった後の感想文のために頑張って聞いているという感じだった。でも、今回の講演会はいつもと違った。
 今回講演してくださることになったのは、シンバル奏者として活躍しながら音大などで教鞭を執っている副島七星さん。
 私は吹奏楽部でトランペットを担当しており、パーカッションについて詳しいわけではなかったが、副島さんがうちの出身だということは前々から知っていたのでどこかでお話が聞ければ、と思っていた。だからこそ、今回の講演を知ったときは心が躍った。
 
「私は小学生の頃からバスケ部に入っていて、中学でももちろんバスケ部に入りました。」
 副島さんは笑いながらそう言った。
「でも二年生になってすぐに大きな怪我をしてしまって、そのままやめることにしたんです。当時の私にとってはバスケがすべてだったので、とても辛かったです。」
 大人からしたら大したことじゃないかもしれない。しかし中学生だった副島さんにとっては命を取られるのと同じくらい辛かったに違いない。
 それから副島さんは、吹奏楽部だった友人からの誘いでなんとなく入部。人数が少ないからということでパーカッションの担当になったという。
 初めのうちはそれでも花形であるトランペットなどに憧れていたがシンバルの担当になって練習していくうちにのめりこんでいき、高校は名門吹奏楽部があるところを目指したという。
「高校でももちろん吹奏楽部に入って、毎日のようにシンバルの練習をしました。強豪校だったこともあり、ありがたいことに全国大会にも出場させてもらいました。そして私は、いつしか音大を目指していました。」
 その後、音大に入学した副島さんは様々な経験を経て、大学で教鞭を執る一方で、一演奏家としても活動することにしたという。
 正直私にはまだ想像のできない話だった。今は漠然と吹奏楽が強い高校に行きたいという夢があるが、だからと言ってプロになりたいという強い思いがあるわけではない。
 副島さんの講演を聞いたら、吹奏楽にもっと打ち込もうと思えるのではないかと思っていたが、聞けば聞くほどわからなくなってきていた。副島さんは、そう悩まなかったのだろうか。
「何か質問のある方はいますか?」
 私は自然と手を挙げていた。
「では、そこのあなた。」
 副島さんは私を指名してくれた。
「菅原陽乃です。私は今吹奏楽部に入っていて、吹奏楽の強い高校へ進学したいと考えています。」
 副島さんはとても穏やかな表情を浮かべながら聞いてくれた。
「でもその選択が合ってるのか悩むときもあって、副島さんは悩んだりしませんでしたか?」
 副島さんはゆっくりと話し始めた。
「悩まなかったわけではないです。」
 副島さんはふと話題を変えた。
「実はオーケストラって、みんなギャラが一緒なんです。それだけ聞くと、一時間で一回くらいしか登場しないシンバルって楽そうですよね?でも、そのたった一音をしっかり決めないといけないし、少しでも外したら一巻の終わり。なかなかなプレッシャーなんですよ。そう聞くと今度は難しそうに聞こえません?」
 そこまで冗談交じりに話していた副島さんだったが、真剣な表情を浮かべる。
「でも私はこの選択を間違ったって思ったことはありません。何より、私はシンバルが好きだから。そこだけは中学生の頃から変わりません。」
 シンバルが好き、当たり前のようなその言葉に心を打たれた。
「だから、好きがあるならそれを大事にしてほしいです。極めなきゃいけないとか、仕事にしなきゃいけないじゃなく。何かを好きだという気持ちはどこかできっと力になりますから。」
ありがとうございました、それは心からあふれ出た感謝の言葉だった。
「自分の好きを大事にしてください。そしてどうか、他の人の好きを否定しないでください。その好きを否定せずに聞いてみたら、あなたの財産になるかもしれないので。以上で私の話は終わります。」
 今日の講演は大きな拍手で幕を閉じるのだった。
「ああ、やっと終わったな。」
 クラスに戻る最中、欠伸交じりにそう話す男子の声が聞こえきた。
いつもの私ならそう思っていたかもしれない。でも今の私は違う。私は次からの講演会は真面目に聞こうと、決心するのであった。

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