語り部の人生 酒渡塔一郎編

 つい先日のことである。ちょっとした野暮用で珍しく都心の方まで出てきた私は、せっかくの機会だからと、お昼ごはんでも食べて帰ろうと思い立った。
 いわゆる会社勤めをしていない私にとって、平日昼間の都心など、スーツ姿のサラリーマンだらけで思わず当てられそうになったが、自分だっていっぱしの成人男性。仕事だってもちろんしているんだから何も日和る必要はないと、自分に強く言い聞かせたのだった。
 普段の外食と言えばもっぱら牛丼屋の私だったが、せっかく都心に出てきたんだからとジーパンのポケットからスマホを取り出すと、この周辺で美味しいと評判のラーメン屋を検索した。
 せっかくこんなところまで来たのにラーメン屋かよ、という気持ちが全くないわけではないが、今や世界の三ツ星レストランを紹介する雑誌にラーメン屋が載る時代である。何もおかしいことはあるまい。

 とりあえず、近くによさそうなラーメン屋を見つけた私は、地図を頼りにそのラーメン屋へと向かった。
 おそらくこのあたりだろうとスマホから目を離して辺りを見渡すと、すぐに自分の目指しているラーメン屋が見つかった。
平日のお昼時、皆昼休みなぞ決して長くはないはずなのに、そこには既に五人ほどの列ができたラーメン屋があった。
 やはりやめようかとも一瞬思いかけたが、今日の予定は既に終わっている私にとって、ラーメン屋に並ぶことなど造作もないことだということに気付き、意を決して列の最後尾へと着いた。

 何にしようかなどと、スマホでその店のメニューを見ながら待っていると、意外とあっという間に自分の番となった。
上下黒い服装にタオル鉢巻をした、いかにもという格好をした店員のお兄さんから、店内に入って食券を買うように促される。
 何にしようか、実はまだ決めかねていたのだが、最近のラーメン屋さんは親切である。食券機の醤油ラーメンのボタンの部分には、「当店人気No.1」の文字が。
この店での初めての思い出を確実なものにしたかった私は、迷わずそのボタンを押し、カウンター席に座ると先ほどのお兄さんに食券を渡す。
「醤油一丁―!」
 私から食券を受け取ると、お兄さんは狭い店内に響き渡るような大きな声でそう言った。

 ラーメンが来るまでの間、何気なくカウンター上にあるメニューを眺めていると、ふと横に座っている大学生らしき男性二人組の会話が耳に入った。
「明日の飲み会、行くよな。」
「いや、ちょっと……」
「え、なんだよ。来ないのかよ。」
「すまん。」
 黒髪の男は茶髪の男に手を合わせながら謝った。
「えー、なんでだよ。」
「いや実は。夏休みに彼女と旅行行くことになってさ。」
「なんだよ、惚気話かよ。」
 金髪の男はそれだけ言うと、水をごくりと飲みほした。
「そういうつもりじゃないよ。ただお金貯めなきゃで、明日も一日バイト入れちゃったんだよ。」
「それなら今日のラーメンも我慢した方がよかったんじゃないのか?」
「それは、まあそうかもしれないけど。」
「まあいいわ。末永くお幸せにな。」
「そんな言うなって。」
 そんな何気ない会話を耳にしていた私の脳裏に、一人の男が思い出された。

 私がその男、酒渡 塔一朗(さわたり とういちろう)と出会ったのは大学に入学した初日のことだった。
 特出した個性はなかったが、昔から一癖も二癖もある人間と出会い、中を深めることが多かった私は、もっと色々な人間と交流してみたいと、さらなる変人を求め、およそそんな謎めいた理由から様々な大学を調べた。
そしてその結果、変人の巣窟と名高い、雉櫻大学(ちおう‐)の文学部想像創造学科(以下、雉想)を見つけ出し、必死の受験勉強の末、合格の切符を手に入れたのだった。
 いざ入学してみると、その前評判通り、雉想は変人の巣窟そのものだった。そしてそこで出会った中でも、一番最初に衝撃を受けたのが、この酒渡だった。

 大学初日、学科の人数がそれほど多くなかったこともあり、皆で親交を深めがてらランチでもしようという話になったことがあった。いたって普通のことである。
 そこに不参加表明をする理由などなかった私は当然のように出席しようとしたが、酒渡は断ったのだった。
 周りからのなんでだよという声に、金欠だから、と答える酒渡。
 そう言われると周りも気を使ってか、あまりそれ以上詮索はしなかったが、どうにも気になった私は彼にこっそりと近づき話しかけてみることにした。
「突然ごめん。金欠って本当なの?」
「ああ、なんでだい?」
「なんていうか、含みがあるように見えちゃって。」
「そうだったか。なんてことはないさ。」
 そう言うと酒渡は、私の肩をポンと叩いた。
 なんとなくこの男に興味を持った私は、もう少し話を続けてみることにした。
「酒渡くんはどこ出身なの?」
「俺は、金欠村の出身なんだ。」
 ダウト、やはり金がないからというのはただの言い訳に過ぎない。間違いなくクロである。長年、一癖も二癖もある人間と関わってきた私の目は本物だったようだ。
 しかし私はそんな雰囲気など微塵も出さずに、
「へえ。是非詳しく聞きたいな。」
 そう言い放った。
「もちろん。」
 酒渡はなぜか自信に満ちた表情で、答えた。
 後になって聞いたところによると、ここで私が日和ってしまうようならそれ以上深く関わる必要はないと思っていたそうだが、私のその決して身じろぎしない姿勢にある意味で関心し、私という人間に興味を持ったということだった。

「今日はいったん、あの食事会に行ってきた方がいい。」
そんな言葉を酒渡から投げかけられた私は、なぜだかわからないが素直にその言葉に従うことにした。

 その次の日。私は昼頃に酒渡と会うことになった。
昼時とはいっても、もちろん自称金欠村出身の酒渡と会うのは学食などではない。
学食なぞ、他の飲食店に比べれば破格の値段だが、酒渡がそんな選択肢を取ることはない。
酒渡に呼びだされたのは、大学の校舎内の一つの棟の中にある、あまり人通りの多くない廊下にひっそりと置かれたベンチだった。
「お疲れ。」
「おお、お疲れ。」
 既に到着していた酒渡は、青い色をしたシンプルなデザインの水筒を持ちながら座っていた。
「昨日はどうだった?」
 私がベンチに腰掛けると、酒渡はおもむろにそう尋ねた。
「色んな人がいて面白かったよ。」
「そうか、それならよかった。」
 そんな一見上から物を言うような感想を吐かれても、不思議と嫌な気はしなかった。

 すると、静かな廊下に酒渡のお腹が鳴った音が響いた。しかし酒渡は動揺したりしなかった。
「あのこれ、おにぎりだけどよかったら。」
 気まずさに耐えかねた私は、つい先ほどコンビニで買ってきたおにぎりを差し出してみたが、酒渡は受け取ろうとはしなかった。
「大丈夫だ。」
「ああ、ごめん。」
 何とも言えない私に対して、酒渡はこう切り返した。
「いやなに、別に施しを受けたくないとかそういうわけではないんだ。ただ単純に、僕は今この空腹と、それを訴える腹の音を楽しんでいたいんだ。」
 私はこのとき、酒渡という男はとてもまどろっこしい言い方をするが、しかし間違いなく面白い男だと思った。
「本題に入ってもいいかい?」
 私はインタビューでもするかのように切り出した。
「ああ、もちろん。」
「金欠村出身って昨日言ってたけど、その金欠村いうのは……」
 私はここまで言ってから、どう続けるべきか悩み、言葉に詰まった。
「どうした?」
 酒渡はまだ私の言葉の続きを待っているようだった。
「どう聞いたらいいものか迷って。」
「なるほど。慎重になるの君の気持ちも分かるよ。」
 酒渡はなぜか私に同意してみせた。
「さあ、続けて。」
「じゃあ……君の出身は本当に金欠村っていうの?」
「本当、か。何をもって本当と呼ぶかにもよるけど、そもそも名前なんてものは人間がつけた印の一つでしかない。」
「印?」
「他の人と区別がつくように名前を付けるし、他の場所と間違わないように地名をつける。あくまで便宜的な物だ。」
「うん……」
 私は酒渡の言葉の意味が少しわかるようで、よくは分からなかった。
「まあ要は名前なんてどうでもいいってことさ。」
「どうでもいい。」
「大体、今どき君のポケットに入ってるスマホさえ取り出せば、金欠村があるかないかなんてことはすぐにわかる。でも君が僕に聞きたいのは、そんな表面的なことじゃないはずだ。」
 私はなんだか強引に説得されたように感じた。
「じゃあ、金欠村ってのはどういう村なんだい?」
「うん、それでいい。ありとあらゆるものには、いい部分と悪い部分がある。いい報告と悪い報告、どっちから聞きたい、なんて言ったりするだろ。」
「洋画とかのイメージだけどね。」
「では、どちらから聞きたい?」
 酒渡は少しワクワクする質問をこちらに投げかけた。
「うーん……」
「どっちでもいいぜ。」
「それじゃあ、やっぱり金欠って言うとマイナスなイメージがあるから、悪い部分から教えてほしい。」
「わかった。では金欠村がなぜ金欠村と呼ばれるかだが、決して財源がないからではないんだ。」
「あ、そうなの?」
「ああ。村が財政破綻しそうだから金欠村なわけではない。むしろ、村自体は潤ってる気すらする。」
「村は潤ってるんだ。」

 酒渡と出会った時点ですでにそうだったのだが、私はもうこの時点で酒渡の話がどこまで現実なのかわかっておらず、また酒渡が楽しませてくれるというのなら全てを信じて莫迦に徹してみようと思った。
 それゆえに、これから先の話も世間一般からしてみればおよそ荒唐無稽かもしれないが、是非真剣に、莫迦に徹してほしい。

「昨日の食事会を断った通り、僕は金欠だ。その理由はまさに、金欠村の出身だから。ではなぜその村の出身だと金欠になるのか、そこを話していこう。」
「お願いします。」
「一言で言ってしまえば、金欠村っていうのはとにかく税金が高いんだ。」
「税金が高いってそんなに?」
「ああ。少なく見積もっても、収入の九割は持っていかれる。」
「え、九割?」
「そう。そしてさらにおそるべきことに金欠村に生まれたもの、金欠村に一度でも住んだものは、金欠村を離れてもなお、納税の義務が発生するんだ。」
 もうこの時点で私は、馬鹿らしいと一蹴することはできなかったし、これを読んでくれている皆にもそんなことはしてほしくない。
「そんなの許されるの?」
「許されるか許されないかじゃない、納めるか納めないかだ。」
「おお……なんだか怪しい宗教のような気もするんだけど。」
「怪しいかどうかっていうのはあくまで周りの判断であって、結局は自分がどう思うかなんだよ。」
「そういうものなのか?」
「そうさ。今の世間一般の価値基準だから認められないことをすべて否定してたら、成長することはないからね。」
「なんかすごい大きな話になってる気がするんだけど……」
 私はまるで脳みそだけを吸い取られ、異空間に飛ばされたかのように、日本語で会話しているはずなのに理解が追い付かなくなっていった。
「例えば、明日君が朝起きたら、君以外全員が四足歩行になってたとする。君はどう思う?おかしいと思わないか?」
「もちろん、おかしいと思う。」
「でももしその常識が存在したら、おかしいのは君の方になってしまうんだよ。」
「えっと、何の話から四足歩行だなんだの話になったんだっけ?」
「ああ、すまない。つまり税金が高くて、その身を金欠村から解放することができても、その納税の義務からは逃れられないって話をしたかったんだ。」
「ああ、そうだったね。でもそれだけ聞くとただただ怖くて、いいところなんてないように見えるけど。」
「まあ確かに。一般的に言って、物価が高かったり、税率が上がったりするのは恐怖でしかないからね。しかし、次に大事になってくるのが、金欠村の良いところだ。」
「うん、是非それを聞かせてほしい。」
 私は前のめりになりながらそう言った。
「それはズバリ、その税金がしっかりと使われ、生活に還元されているということさ。」
「還元されてる?」
「医療や福祉関係が無料なのはもちろん、教育すらタダで受けることができるんだ。」
「ええ、それはすごい。」
「僕みたいにこうやって金欠村を離れて就学、もしくは就職した人も対象となる。」
「それは、夢のようだね。」
もちろん他にも数えきれないほど、様々な種類の手厚い保護を受けられるからこそ、みんな多少の文句を言いながらも、納税の義務を怠らないんだな。」
「なるほど……じゃあ金欠であることにも文句がないの?」
「もちろん。人は少しでも何かを得ようとするけど、何もない、少しのものしかもっていないという状況も楽しむべきなんだよ。」
 酒渡は目の前の窓の方に目を向け、遠くの方を見つめながらそう呟いた。
「他には何かあるかい?」
「うん、他にも聞きたいことはまだまだあるはずなんだけど、正直今日は既に僕のキャパをはるかに凌駕する量の情報を入れてしまったから、おとなしく引き下がるよ。」
「そうか。じゃあ次に話すときは、君の話を聞かせてくれ。」
 酒渡は少しだけ微笑んだ。

 それからも食事会や飲み会が設定されるごとに断る酒渡の断りの理由は少しずつ広まり、その理由聞きたさにわざと誘うものや、頭を下げ、飲み代を出すからと無理に誘うものもいたが、酒渡は一貫してそのスタイルを崩すことはなかった。

 そんなことを思い出した私は、久しぶりに酒渡を誘ってみようかとも思ったが、やはり今でも断られる気がして、スマホをそっと横に置き、人気No.1の醤油ラーメンを食べ始めるのだった。
 嗚呼、私はまだやはり、ない状態を楽しめる境地に至っていないようだ。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,651件