天国

扉が開く。いつもと同じ訪問者だろう。
「先生、いる?」
予想通りである。
「いますよ。」
「やっぱり。物好きですねえ。」
「物好きじゃないですよ。僕の部屋なんですから。」
「でも、人体模型とかよく分かんない薬品とかある部屋だよ?絶対物好きでしょ。」
そう言われるとそんな気もしてくるので、強くは否定できない。
昔から生物が、中でもとりわけ植物が好きだった僕は、周りからはよく変人扱いをされていた。
樽井は植物オタクだから、そんな言葉を耳にしたのも一度や二度ではない。
一億総オタク時代と言われる昨今、何かしらのオタクであると言うことは恥ずべきことではなく、むしろ、好きといえるものがあると誇るべきことだと僕は思う。
まあそんなことを口早に言ったりするから、これだからオタクは、なんて言われるのだろう。そういう言葉を投げかけてくる人にも、他人には譲れないほど好きなものが一つや二つあるはずなのに。
「先生、先生?」
「あ、すみません。大桃さん。」
「もしかして結構気にしちゃった?」
「いや違いますよ。ちょっと考え事をしてただけで。」
「そう、ならいいんだけど。」
大桃さんは小さく頷きながらそういった。
「で、今日はどんな御用ですか?」
「何その言い方。なんか毎度毎度先生の手を煩わせてるみたいに聞こえるんですけど。」
その感じは否めない。
「何かあるからいらっしゃったのかと。」
「まあその通りなんだけど。」
それははじめから想定の範囲内だ。
「先生、クリスって覚えてる?」
「ええ、もちろん。この前大桃さんが連れてきた留学生の方ですよね。」
「クリスってアメリカ出身なのよ。」
僕は静かに頷く。
「で、彼女は、敬虔なクリスチャンなんですって。」
「うん。まあそういう方は少なくないですからね。」
「でそんな話をしてたら、実は彼女、天国とか地獄を信じてるみたいなんです。」
「なるほど。」
「どう思います?」
「どう思います、と言われても。」
「認知症の話、覚えてます?」
「ええ。確か、老化は赤ちゃんに戻ることなんじゃないか、って話してましたね。」
「よく覚えてましたね。意外と賢いんですね。」
「まあ、記憶力には割と自信があるので。それに、なかなか面白い考えでしたし。」
「ありがとうございます。」
彼女は一礼した。
「天国とか地獄ってあるんですかね。」
「分かりません。」
僕は即答した。
「普通もうちょっと悩んだりしません?」
「分からないものは分からない。テストだってそうですよ。序盤に分からない問題があったからと言って、ずっとその問題を考えてたら時間の無駄でしょう。」
「それはそうですけど……」
「どこまで行っても分からないと思いますよ。」
「えー。じゃあ先生は、個人的にどう考えてます?」
「考えません。」
「仮にも教師でしょう?」
怪訝そうな顔をしながら大桃さんはそういった。
「いいですか、死んだらどうなるのか、誰にも分かりません。天国や地獄に行くかもしれないし、何も無いかもしれない。幽霊は本当に存在するかもしれないし、全部見間違いかもしれない。分かります?」
「まあ、一応。」
「人は、分からないもの、未知のものに対して恐怖を覚えます。」
大桃さんは静かに頷く。
「だから、死というのは怖いんです。」
「先生も怖いんですか?」
「怖くないとは言えないですね。漠然としすぎてて、怖いかどうかも分かりませんが。」
強がりではなく、僕は思っている通りのことを言った。
「でも、死を怖がろうと怖がるまいと、死んだらどうなるんだろうと考えようと考えまいと、死は必ずやってきます。どんな人間にも、平等にね。」
「そうですね。」
「だから、考えません。考えても結論は出ないし、心は安らぎませんから。そんなこと考える時間があるなら、僕は自分がやりたいことをしたいので。」
「なるほど。」
「別にそういう学問を学んでる人をバカにしてる訳ではないですよ?」
失言してしまったのではないかと焦っている樽井を見て、ほのかは微笑んだ。
「まあ、若さは財産です。たまにはそんな哲学チックなことを考えるのも面白いと思いますよ。」
僕は教師らしくそうアドバイスをした。大桃さんの心に響いただろうか。
すると、大桃さんは笑いを堪えられなくなったのか、思わず吹き出しながらそう言った。
「先生だってまだまだ若いじゃないですか。」
確かに、それもそうだが……
「すぐ先生ぶるんだから!」
「だから僕は、先生ですから。」
大桃さんはまだ笑っている。
「若さは財産なんでしょ?まあたまには哲学チックなことも考えてみるよ、先生。」
大桃さんは今日一番の笑顔を浮かべて生物準備室を後にした。

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