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「親子は仲が悪くて当然」の時代をどうやって生きるか考える。関係がこじれるのは向き合おうとしている証拠。


親子の関係はこじれて当然。ぜんぶ情報化社会が悪い。そういうもの。


今日は親子関係の悩みについてライフコーチとしての意見を書きます。あくまでこれは僕のいち意見なので、人によっては「何を言ってるんだこいつは」と不快になるかもしれません。僕は家族関係の専門家でもないし、カウンセラーでもありません。真に受けないでください。


ここは僕のnoteですから、僕が考えていることを書きます。誰かの役に立ったらいいなあと思っているだけで、誰かを不愉快な思いにさせたいわけでもありません。「言ってることはわかるんだけどなんか違うなあ」と1ミクロンでも思ったら、プラウザバックしてください。


親子関係の問題は当事者にしかわからない苦しみや大変さがあります。「客観的に見たらこうだからこうすればいいじゃん」という意見ほど役に立たないアドバイスはありません。他人から見て気づくようなことは、大概本人もわかっています。わかっているのに改善できないから苦しんでいるのです。それを外野からワーワー言われて気分がいいはずがない。


僕が今回のこの文章を書くのは、悩んでいる人を不愉快な気持ちにさせたいからではありません。「君が悪いわけでも、ましても親が悪いわけでもないんやで」と伝えたいからです。正論を言うつもりはありません。ただ持論を語ります。それではスタートです。




子も親も悪くない。そこに揉めごとが起こりやすい『構造』があるだけ


親子は揉めて当然です。わかりあえなくて当たり前。生きている時代が違うからです。親子関係がこじれてしまうのは「親と子はこうあるべきだ」という思い込みと、「うまくいかないのは自分が悪いのかも」と自責してしまうところに問題があると僕は考えています。揉めることや衝突することが悪いわけではありません。それを「問題だ」と捉え、深刻になることが問題なのです。


親から強く言われたら、「自分が悪いのかな」って思うじゃないですか。この感情が膨らんだものが自責になり、親子関係を鬱々としたものにしていきます。「うるせえクソババア!(ジジイ!)」と言えたら苦労しないし、むしろ面と向かってそう言える親子ってなんだか健全な気がしますねえ。


親子関係がこじれる1番の原因として、その構造の理不尽さがあります。親は「誰がここまで育ててやったと思ってんだ」という無敵のカードを持っていて、子供は育ててもらった恩を1mmでも感じてしまっている以上、これを出されるとぐうの音もでなくなります。



強すぎる禁止カード「誰がここまで育てたと思ってるん?」


この切り札が強すぎるが故に子は対等に交渉のテーブルに着くことができません。「誰の金で食ってんだ」も同じです。パワーバランスがそもそも親に偏りすぎているので、親子関係は子が真正面からぶつかって行っても解決しにくいのです。もちろんこれは僕の考えですよ。あくまで参考に。あくまで29年しか生きていない、その辺のフリーランスの意見として、それでもいい人だけこのまま聞いてください。もうちょっと深掘りしていきます。


これがカードゲームなら「誰がここまで育てた?」は禁止カードとして使用が制限されるでしょう。ゲームが成立しないからです。そのくらい強いカードを一方だけが使える状態で、まともに渡り合える能力がある人がいたとするならば、その人はこんなところでこんな何処の馬の骨が書いたnoteなんて読んでいないで、ぜひその交渉力を使って世界中の争いごとを止めてください。あなたの活躍する場所は少なくともここではない。



親子関係に真正面からぶつかるな



親子関係に対して真正面から向き合っていくということは、そういうゲームだと思ってください。言葉のウェイトに差がありすぎる。子供側からからまった親子関係をほどいていくとはこういうことなんです。基本的に無理ゲーです。しかも時代は情報化社会。常識がマッハで移り変わっていく。


この時代はリモート出社が推奨される時代ですよ。なんですか、リモート出社って。「出社せずに家で働け」って言うんですよ。信じられない。親が生きてきた時代と子である我々がこれから生きていく時代が違いすぎるわけです。


この激動の時代をこれから生きていくのは子。親子関係で取り上げられるのはいつも『子の問題』です。揉めている子が22歳だったとして、親が22歳だったのは20年も30年も前です。


どちらが正しく時代の流れを読めますか?いい歳になった子の心を親が本人以上に理解していることなんてあるでしょうか?時代も読めない、心も読めない、当事者ですらない。この状態で正しく状況を判断できるのはどちらでしょう。子ですよね。でもパワーバランスは?親が無敵のカードを持っている。この状態でこじれないわけが、ない


別にどっちが正しいかなんてどうでもいい問題なんです。ただ、これからこの大変化の時代を歩いていくのは子なので、責任は本人が取るしかない。これが仕事だったらめちゃくちゃです。


想像してみてください。あなたは現場を任されている管理職。なのに社長が後ろからあれやこれやと口を出してくる。でも社長は現場に立っていないから、現場の状況が見えていない。社長に意見しようにも、「誰がお前に給料を払っていると思ってるんだ」とパワープレイ。絶望しませんか?この状況でワクワクできる人は敏腕経営コンサルタントになれる才能があるかもしれません。ぜひ僕のコンサルもお願いします。


実際に僕も会社員をしている時はこういう現場に立ちあったことがあるのですが、「もうどうしようもないよね」という雰囲気が充満していて、その場にいる全員が諦めムードでした。



親子関係はリタイアが許されないゲームが故に難しい


まあ仕事は辞めちゃえばそれで終わりですが、親子関係はそうはいかないのです。だからこじれた親子関係はこの状況の100倍は難しいと思ってください。式で表すとこうなります。


「1人の従業員が声を上げて現場に革命が起きる」×100<「親子関係を当事者どうしで解決する」

なおとしらべ


こう考えたら少しは楽になってきませんか?そもそも解こうとしている問題の難易度が高すぎるんです。誤解がないように言っておきますが、僕は「親子関係は親サイドが悪いんだよ」と主張したいわけではありません。構造上「子供側からのアプローチで何かを変えるのは難しいよね」と伝えたいだけです。「親が悪いから気にしなくていいよ」って話ではありません。というかあなたもいずれ親になる可能性があるので、親を悪者にした結末は必ずいつか自分に返ってきます。相手を恨むのは問題を先送りにするだけなのでオススメしません。


ではどうしたらいいのか、という話を相変わらず僕の偏った考え方のまま進めていきます。めちゃめちゃなことを言っているのはわかっています。ただ僕はこう思っているだけ。あなたもそれを了承した上で読んでくれているわけですよね。「なんやこいつ」なんて思わないでくださいね。変な奴の変な文章をこんなところまで読んでいるあなたも、また変な人です。では続けていきましょう。



しかたないものはしかたない


結論、「仕方ないよね」で置いておくのはどうでしょう。「自分が悪いのかな」と思う必要はないけれど、「理解してくれない親が悪い!」と言ったところで問題は解決しないからです。親は子供に関心があるし、子供は親に認めて欲しいし、パワーバランスは親>子になるし、親が生きてきた時代は子がこれから生きる時代と全く違う。わかりあえるわけがないじゃないですか。


親が求める子像と、子が求める親像がすりあわないから問題が起きるわけです。親の言い分は「私の求める子像になって」ですし、子の言い分は「僕の求める親像になって」です。両者の言い分がバチっと綺麗にまとまるわけがありません。もしこの時代に仲良くできる親子がいるなら、それは「両者の思想が完全に一致している」わけではなくて、「全然違うけれどたまたま許容できる範囲だった」だけです。


仲の良い親子が努力をしているわけでも、関係が崩れている親子が努力してないわけでも、ありません。たまたまです。ラッキーです。運がいいだけです。この令和において、親子関係は『悪い』または『疎遠である』がデフォルトだと考えていいのではないかと僕は思います。


ちなみに僕は両親と仲が良い方ですが、これは僕たち親子が運のいいことにお互いを許容できているから関係が保てているだけ。努力の賜物でもなんでもなく、ただ運が良かっただけです。もし僕か両親のどちらかが少しでも相手に価値観を同じくすることを求めるタイプだったら、この関係は成立していないでしょう。毎週のように孫の顔を見せにいくことも絶対にないと思います。断言できます。


もし僕の親が僕に対して親としての圧をかけてきたらなら、僕はすぐさま距離を取ります。子としての義務感で親と付き合っているつもりはありません。僕はやりたくないことはなんとしてもやらないタイプです。たとえ親だろうと、嫌いになったら絶対会いません。それを親もわかっています。仲のいい親子だけど、いい意味での緊張感はあります。お互いを雑に扱わないし、大人として付き合っている感覚です。


もしこれから親と何か揉めることがあれば容赦なく距離を取ります。ということは孫には必然的に会えなくなります。僕は義務感で親と付き合っているわけではないですから、残念ですが仕方のないことです。親孝行するかしないかのカードはこちらにある。極端ですが、そのくらいのスタンスで関わっています。僕が孫の顔を見せるのは「子としての義務」ではありません。そうしたいと思わせてくれる関係がそこにあるから、それだけです。


こんな僕がこれだけフラットな関係を親と保てていることは奇跡としか言いようがありません。親に感謝しています。育ててくれてありがとう、じゃないです。育ててくれたのにその見返りを求めないでいてくれて、です。


僕みたいな素直な人間は、関係がこじれたらびゅーん!と高飛びします。飛ぶ自信があります。世間一般に「毒親」と言われるような親が行ってくる介入の10歩くらい手前で、猛ダッシュで逃げます。そのくらいの気持ちでいるからこじれません。こじらせるほど向き合おうと思っていないからです。


優しいから高飛びしない、高飛びしないからこじれる


親子関係に頭を抱えているということは、少なくとも僕よりは優しい人です。高飛びせずにきちんと向き合おうとしているということですから。ただ、「親子関係がうまくいかないのは自分に非があるからだ」と1ミクロンでも考えているのなら、その考えだけは間違っているかもしれません。そもそも親子関係はうまくいかないものです。宝くじは当たらないのが普通だし、猫は家の壁紙を傷つけるものだし、タンスの角には小指をぶつけるものです。それと同じこと。


どちらかに非があって、それを改善すれば良くなるというものではない。誰も間違っていないし、もしまちがっているとがあるとするならば「親と子は仲良くしなくてはいけない」という思い込みの方かもしれません。そもそもこんな時代に、20以上歳が離れた介入の激しい他人とうまくいくわけがないのでね…


個人個人が信じているものが違いすぎるのです。情報化社会ですから。それをわかった上で揉めるのはいいと思います。わかってやっていれば喧嘩も子猫のじゃれあいに見えてきませんか。見えてこないか。失礼しました。以上です。




追記



この文章を書いていて僕も自分の親との関係を振り返ってみたのですが、僕はあまり親と揉めた記憶がないんですよね。僕は親に相談をするという文化がありませんでいた。就職も結婚も全部事後報告。意見が対立しないんです。そもそも親に意見を求めていないから。笑


だって親は関係ないじゃないですか。先日僕の友人が親から「お前の人生はお前だけの人生じゃない」って言われたと嘆いていましたが、まあそれも一理あるっちゃ一理あるんですけど、だからといって「私の人生は私だけの人生じゃないので私だけで決めることはできません」というロジックは成立しないと思っています。


確かに家族には影響があるんだけど、だからと言って口をだす権利があるわけでもない。そもそも僕たちは天気が悪いだけで自律神経に影響を受けてなんとなく気分がどんよりする生き物です。親子だけではなくて他のものからもビンビンに影響を受けまくってるわけです。「私が不愉快だから雨なんか降らしてんじゃねーよ、晴れろよ!!」なんて言っても意味ないですよね。他人の人生に口を出すなんてそういうものです。


親子といえど他人です。影響を受けたくないなら影響を受けないくらい距離を取ればいいじゃん。僕と僕の両親は仲がいいんですが、距離は結構離れています。親だけではなく兄弟もそうです。僕は弟とよく遊びますが、私生活はあんまり知りません。


妻からはよく「あんなに仲がいいのになんで知らないの?」と聞かれます。どうでもいいというか、弟がどこで何をしていようと僕には関係ないというか、1人の人間として一緒にいて楽しいから一緒にいるだけで、別に兄としてどうこうって感じじゃないんですよね。親に対しても同じ感じです。


「親だからこうして欲しい」とか一切ないし、「子だからこうしないといけない」というのも一切ない。別にどうでもいいと言うか、なんでも好きにしたらいいと思う。関わっていて楽しい距離を保つ。深入りはしない。いい歳こいた大人が決めたことに外野がワーワー言うのって、シンプルにダサくないですか?


家族だからってプライバシーを犯していいことにはならないし、なにを口を出してもいいなんて理由はないし、たとえ無茶苦茶言ってくる親でもそれを全部受け止めてあげる義理なんてないし。


他人のことを必死に考えて消耗するくらいなら、自分のことを考えて少しでも人生を充実したものにしたいなって考えています。なんの話?よくわかんなくなってきたので、今日のところはこれで終わりです。また書きます。最後まで読んでくれた人はスキ押してね。以上です。




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