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子ども主体の教育ってどういうこと?

こんにちは、おあです🤗
3児子育て中で、小学生の娘2人はホームエデュケーションを選択しています✨
子どもたちが毎日を楽しく、自分らしく過ごせる社会にしていくために、これからの学びの在り方について考えるnoteです📒
今日は、「子ども主体の教育ってどういうこと?」というテーマで書いていきます🖋


■2つの異なる教育思想の対立

よく「子ども主体の教育」と言いますが、どういうことか、皆さんご存知ですか?
「子ども主体の教育」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?

実は、教育には大昔から2つの全く異なる思想があり、その異なる思想が対立し続けているという歴史があります🙌

教育の歴史

■大人主導の教育

1つは、「大人主導」の教育です💡

私を含め、これをお読みのほとんどの方が、この❝大人主導の教育❞を受けて育ったのではないかと思われます🏫
一言で言えば、❝大人が子どもに何かを教える❞というタイプの教育です。
「知識を与える」のが教育であり、そこには必ず「正解」が存在すると。
そのため、「いかに多くの知識を持っているか」「いかに素早く正解を導き出せるか」で優劣が測られることになるわけです🖋
その知識量やスピード、正確さを測る❝テスト❞が用いられ、❝競争❞が生まれていきます。

結果として、より速く、より正確に、より知識のある人間が上に立つ・・・🫅
そのため、どうしても❝暗記❞といった詰め込み型に陥りやすいわけなんですよね💦しかも、それを評価するのは❝先生❞(他者)なわけです😅
この大人主導の教育の根底にあるのは、「子どもは無知であり、大人が正しいことを教えてあげなければならない」という考え方です。私たちの多くは、このような価値観を刷り込まれて育ってきた、ということなんですよね😣


■子ども主体の教育


・・・対して、「子ども主体の教育」というのは、遡ること、ジャン・ジャック・ルソーになります💦260年も前になります👇

ジャン・ジャック・ルソー(1712年~1778年)


その後、❝ジョン・デューイ❞(1859~1952年)が、ルソーの教育思想を「子ども主体の教育」として発展させたと言われています。
日本において、このデューイの教育思想(=子ども主体の教育)で盛り上がったムーブメントが❝大正デモクラシー❞でした☺

デューイの提唱した教育哲学を「子ども中心主義」とも呼びます。
これは、❝大人が何かを教え込む❞というような大人主導の教育とは全く真逆で、❝子どもは自ら育つ力を持っており、自由に自ら学んでいく❞という考え方です。
大人主導の教育が「大人が教える」と言っているのに対して、子ども主体の教育では「子どもが学ぶ」と言います。
大人主導の教育で「知識」を与えるのに対して、子ども主体の教育では「問い」を立てます。
大人主導の教育で「正解を教える」のに対して、子ども主体の教育では「考える力を育む」と言います。
大人主導の教育が「上下関係に基づいた管理型」だとすると、子ども主体の教育は、「対等で自由な関係性」を重視します👇

2つの異なる教育思想の対立


子ども主体の教育では、学びはその子1人1人の❝興味・関心・好奇心❞から始まるものであり、そこに他者からの評価(=「テスト」)は必要ない、と考えています。
子ども主体の教育で大切にされるのは、❝創造性(クリエイティビティ)❞や❝達成感❞❝満足感❞、その子自身の❝好き❞❝楽しい❞という「感性」「感覚」「感情」です🤗
そのために大事なのは、その子が自分で自分のことを決めて、探求していくこと✨

子ども主体の教育では、人と❝競争❞するのではなくて❝共働❞することが大切とされています。
子ども主体の教育では、❝1人1人違う人間である❞ということが大前提になっているため、障害があるから別の学級に行く、というような❝エクスクルーシブ(=分離)教育❞は否定されていて、どんな子も一緒に学ぶ❝インクルーシブ(=包括)教育❞が行われています。

インクルーシブ教育



■教育改革の挫折の歴史

この「子ども主体の教育」、日本でも過去2~3回取り入れようとしたことがあるそうなんです😅
1番有名なのが、戦前の大正デモクラシー(=自由教育運動)。
次に、戦後すぐ…GHQが入ってきた時…にもトライした時期があったそうで💦

最近ですと、ゆとり教育ですよね💡
これも実は、この子ども主体の教育に転換していく流れだったそうなんです😱
ところが、トップダウン型の日本の教育構造にはそぐわなかったのでしょう・・・。3回とも失敗に終わってしまいました😨

失敗。



・・・ただ、この❝大人主導の教育❞の弊害というのはもうずっと言われてきておりまして・・・😱

1番有名なのが、林竹二先生です👇

林竹二先生(1906年~1985年)


元宮城教育大学の学長を務めていらっしゃった、日本の教育哲学のレジェンドです✨

林竹二先生は40年以上も前の書籍に、このような言葉を残しているんですね👇

 「今日本の社会を覆っている教育不在の教育加熱はもはや狂気としか言いようのないものだ。 まさに教育亡国である。 教育的に見て亡国だというのではない。 教育そのものが国と社会を滅ぼそうとしているのである。 むしろ教育によって自滅に向かって突き進んでいるというべきであろう。 入試地獄はこの亡国の一局面に過ぎない。 この地獄が制度いじりで解消し得るはずはない。 地獄はそれを作り出している根源を立つほかなくなるようはない。 教育全体の根本からの懺悔洗礼がない限り、日本の全体が落ち込んでいる教育地獄から脱出する道はない。」

「問いつづけて~教育とは何だろうか~」(林竹二)より引用


林竹二先生は、40年も50年も前から、この日本の大人主導の、一斉一律画一集団教育、競争教育ということに対して、ずっと警鐘を鳴らし続けていらっしゃいました。
林竹二先生は、教育というのは、外から何かを注入してやるものなんかではなくて、「子どもの中にある閉じ込められているかけがえのない宝を解き放つようなもの」だといって、全国各地の小中学校で対話型の子ども主体の授業というのを実践し続けていらっしゃいました。
しかし、周囲に理解されず、公教育への絶望を深めて倒れられたそうです😔

・・・こうした林竹二先生はじめ、様々な教育の専門家たちが、「こんな教育をしていたら国が滅びる」と以前からずっと訴えていたわけです。
そしてその警告が今、現実になってしまっていると言わざるを得ません😔

絶望



■幸福感に直結する自己選択・自己決定

最近、人の幸福感に1番直結する要因が「自己決定」だと分かってきたそうです☘
❝自分のことを自分で決める❞。それが幸せなのだと✨
逆に言えば、何もかも誰かに決められてしまっている人生というのは、どんなにお金があっても、幸せを感じられないということでしょう。

・・・翻って、 今の学校はというと・・・。
まず、通う学校自体、学区で決められています。
クラスのメンバーも担任の先生も選べません。
始業式の日に、「あなたは何年何組の何先生のクラス」と言われるわけです。
学ぶ場所、学ぶメンバー、学ぶ先生のみならず、学ぶ内容(=教科書)、学ぶ順番(=時間割)、学ぶ方法(=授業)も全て学校に決められていますよね。
「学習指導要領」に基づいた年間カリキュラムで、今日は1時間目にこれを教わる、1年生でここまで教わる、と全て決められています。

このような教育システムの中で、子ども自身が自分のことを自分で決められていることってどれだけあるのでしょうか?


子ども達は、ただただ受け身で、指示に従うしかないような学校環境に置かれてしまっています😥
そんな教育を受けて育つ子どもたちが、何事も自分で考え、自分で決めて、自分の人生を自分の手で切り開いていく・・・そんな自立した人間になれるでしょうか?

自信に満ちた大人


・・・やはり難しいのは、今の私たち大人自身が、❝大人主導の教育❞しか知らないということです💦
子どもたちを教育する側の大人自身が、自分が受けてきた教育以外「知らない」わけなんです😨

知識を詰め込み、正解が必ずあるという教育しか受けてこなかった私たち大人が、子ども自身の❝好き❞とか❝楽しい❞といった内発的動機から探求していって、問いを立てて、自分で考えて、自分で選んで、自分で決めて・・・。
人と競争するのではなく、共働すると。
子どもを指導するのではなく、子どもと対話をすると・・・。


・・・そんなこと、自分がそういう体験をしたことがなければ、やりようがないですよ、親も先生も。
そういうのって❝マインド❞なので。
見よう見まねでできるものではないんですよね😱
それこそ「子ども観」「教育観」を根底から覆される話なわけで💦
自分の考え方とかやり方とかをまるっきり変えなければならないわけなんです😨

そりゃね、つけ焼き場的に「ゆとり教育」とかって、いきなりやれって言われたって、先生たちだってできるわけがありませんよ😨
日本の教育改革が3度失敗してきた、という歴史も、仕方がなかったと思いますよね😥

戸惑う先生


■子ども観を変える難しさ


・・・というわけで、「子ども主体の教育」って簡単に言いますけれども、めちゃくちゃ大変な話なわけです😣
それこそ私たち大人自身の生き方を問われるわけです。
これまで「正解」を「教えて」もらっていた身なのに、いきなり今日から全部自分で考えて、自分で選んで、自分で決めろなんて、めちゃくちゃしんどいことだと私は思いますね😨
決して、誰にでもできる教育ではないですし、誰にでも合う教育ではないのかもしれません。
そもそも、大人主導の教育の方がお互い楽なのは間違いないわけですしね・・・。


そう考えると、教育はやっぱり宗教みたいなところがありますね🤣
子どもをどういう存在だと捉えるのか。
その時代を生きる大人たちの価値観に拠るところが大きいのだと思います🙌

大人たち




私自身は「子ども主体の教育」が自分の価値観に合っているし、大事だと思っています。
でも、だからと言って「子ども主体の教育が正しい!」とか、「子ども主体の教育こそいい教育だ!」というのも違うのかもしれないと。
これまでメインストリームであった日本の大人主導の教育というものに、私が納得できないだけであって。

みんなそれぞれいろんな考え方、違うやり方でいいのではないかと。
自分に1番合う、1番納得できる教育。
それが選べるのが豊かな社会であり、お互いにそれぞれの選択を認め合える未来を目指していく必要があるのではないかと思います✨

明るい未来


 
今回は、❝大人主導の教育❞なのか、それとも❝子ども主体の教育❞なのか、という全く異なる2つの教育思想を対比して、「教育とは何か」という本質に迫ってみました🧐

皆さんが、子どもとはどのような存在なのか、学ぶとはどういうことなのか、ご自身の考えを深めていく際のヒントになれば嬉しいです🤗



お読みくださりありがとうございました💕
また次回お会いしましょう✨
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