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不登校の息子と家族を救った、医師の話  〜 その3. K医師との出会い 〜


「まさか、自分の人生に、こんな景色をずっと見てる時間があるなんて、想像したこともなかったなぁ。」
畑の一角に建てられたトタン貼りの小屋の壁の前に、無造作に植えられ伸び放題に繁ったアカシアの枝を見つめて、夫がつぶやいた。
いま、そういうことを思うんだ。この人は。
夫婦といえども理解できないことは多いものだ。
息子のこともそうだけど。。。

車で片道3時間の診療所

とはいえ、今日訪れているK医師の情報を持ってきてくれたのは、夫だった。知人のとある社長さんと話をしていて、実は自分の息子も不登校だったが、この先生の講演を聞いてから変わったのだと教えてもらったそうだ。なんでも県立総合病院の小児科の先生で、不登校や引きこもりに関する講演会までやるほどの評判の医師で、紹介してくれた方も息子さんのことを診てもらっていたという。しかし医師はすでに定年退職しており、隣県の実家に戻り、自宅兼診療所でカウンセリングを行ってるらしい。
車なら街からそれほど遠いわけではいないが、Googleマップなしではとうてい辿り着くことのできない山際の集落のはずれに、その診療所はある。
少し早めに到着したので、先約がまだカウンセリング中で、私たちは家の前の駐車場に車を止めて、待つことにした。
道を挟んだ目の前には、花の時期はとっくに終わって伸び放題になったアカシアの枝が、風にさわさわと揺れていた。

さわさわ... さわさわ...

なぜか、心静かに時間だけが流れていった。
そこであの言葉だ。
バックシートの息子は相変わらず、黙って携帯ゲームをしている。
しばらく待つと、どんな人が家から出てきたかは覚えてはいないが、私たちよりも先に停めてあった車が出て行き、その後また家のドアが開いた。

「お待たせしました。どうぞ、入って。」
ホームページの写真で見た、先生が顔を出して言った。

新築のお洒落な一戸建て。玄関から奥へと長い廊下がつながっていて、その先の、ガラス張りの部屋へと通された。

カウンセリングルームというよりは別荘のリビングのようなその部屋からは、美しい山の借景を臨むことができる。シンプルだがセンスのよい調度品も置かれていた。
「素敵なお部屋ですね。」
感心して思わずそういうと、先生はこの家を建てた経緯や息子さんのことなどを世間話のように話してくれた。

問題は、「親」でした

医師には、事前に電話でいろいろと相談していた。それは無報酬であるにもかかわらず、彼はいつも丁寧に対応してくれた。いや、私が図々しいのかもしれないが、面談の日まで、待ってなどいられなかったのだ。
そして、この面談では親が二人揃ってくるようにと言われていた。息子は、まあ、どちらでも。とのことだったが、もちろん連れて行った。

挨拶がてらの雑談が終わると、医師は息子に、別な部屋でゲームでもして待っているようにといい、息子が別室に行くと私たち夫婦に向かって話し始めた。
「息子さんね。いいお子さんじゃないですか。彼なら大丈夫ですよ。」
....... なぜ?
「ただ、信じて、待ってあげればいいんです。」
....... いつまで待つの?
「それは、2年か、もっとかかるかわかりません。でも、絶対によくなります。」
....... 私たちは、これからどうすればいいんですか。
「あのね。人は、それぞれ違う感受性を持っているんです。あなたが一日、学校に行って疲れる度合いを30とすると、息子さんは100とか、150とか疲れる。そういう人がいるんです。30の疲労は一晩眠れは回復するかもしれないけれど、100や150も疲れる子は、毎日毎日どんどん疲労が溜まってしまう。それがずっと続いてきたんです。
だから、その疲労が心身ともになくなって、そこに気力が溜まってきたら、普通の生活ができるようになります。
わかりますか?」

私たちはその言葉を信じた。信じるしかなかった。
いや、違う。誰かにそう言って欲しかったのだ。ずっと前から。

夫は、医者というものを絶対視している、普通の人。
だから子どもが熱を出せば「薬をもらえ」「注射はしてもらったか」と聞く。私は熱は体内で免疫が戦っている証拠だから、37度台なら医者には行かず、頭を冷やすなどして対応したいタイプなので、その『医者確認』にイラっとする。
不登校にしても、起立性調節障害・自律神経失調症・統合失調症などなど、その病気(?)だとして、何がわかっているものか。
「医者はなんと言っていたか」「いつ頃治ると言っていたか」と聞く夫に対して、そんなことに答えられる医者なんていない、と私は思っている。

けれど、K医師の言葉は、夫も私も理解できた。

そして私たちは、待つことにした。自信を持って。


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