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全ての雲は銀の

 欲求不満である。

 自分でもなぜこんなに欲求不満なのか、皆目見当がつかぬ。

 夫はすぐそこに寝転がっているというのに、指一本どころか髪の毛一本触れない。欲求不満を訴えても、「今は気分じゃない」だの「そんな性欲あった? どうしたの」だの、挙句の果てには「ゴムがない」と抜かす。夫婦だろうが。


 村山由佳の『すべての雲は銀の…』(講談社、2001年)が、好きだ。主人公の名前が初恋の人の音と同じだった。女々しい性格も考え方も結構好きだった。なにより、信州・菅平に一風変わった宿「かむなび」を構える園主がカッコいい。そのスタッフも、「かむなび」にやってくる地元の人々も、個々に一筋縄ではいなかいものを抱えていて、それが彼らをとても魅力的にみせる。園主の姪・瞳子さんの孤高さとやりきれない切なさは、主人公の祐介のものと比べ物にならない。だけど、本来抱えているものってのはだれかと比べるんじゃなくて、それぞれが悩み抱えるだけの重さがあり、それだけで意味があるもんなんだ、と思う。

 村山作品では、いろんな国へ行ける。『青のフェルマータ』ではオーストラリアの小島、『野生の風』ではアフリカ・ケニア、『ダブル・ファンタジー』の九份、『ありふれた愛じゃない』のタヒチ、『遥かなる水の音』のモロッコ・サハラへの旅、『翼』のアメリカ・アリゾナ州――。

『野生の風』の染色家・飛鳥に憧れ、本気で染色や織機に手を出したいと思ったことがあった。『ありふれた愛じゃない』の真奈のように、ばかみたいに「愛される女の幸せ」を享受したかった。『遥かなる水の音』に影響されて、飲む紅茶はマリアージュ・フレールの「エロス」。黒い缶に、サハラの砂をこの手で詰めるのはいつだろう。『ダブル・ファンタジー』の奈津と夫のやり取りは、自分を彷彿とさせるものがあって、正直ぞっとした。夫の口調に行動にびくびくと、顔色を窺って言いたいことも言えない。投げかけられる言葉の意味をとらえるのに必死で、頭がついていかない。これは私の未来を書いたものじゃないか――、読んだのはまだ大学生の頃だというのに。


 夫婦の話に戻る。

 二年半の交際の後結婚すると、夫の性欲はほぼ透明に近いブルーになった。薄い。つき合っている頃は、それこそデートのたび、だった。濃かった色は、だんだん生活で薄められ、そのうちきっとほんとうに透明になって消えてしまう。私のも、さっさと消えてしまえばいいのに。

 身体のふれあいがないというそれだけで、夫に必要とされている感がなくなってくるのも不思議だ。「あんなに一緒に居たがったのに」と恨めしい気持ちまで顔を覗かせる。

 そんな私たちでも、一時子どもを持った。たった十週。調べてみれば、よくある妊娠終了だ。

 なかったことにはならないはずなのに、まるで何もなかったかのような日常が、夫との間では流れる。ふとしたやさしさに触れ、過去を思い出して共有し、「ああ、変わらずこのひとを好きだなあ」と思う傍ら、思いがけない言葉や仕打ちにずたずたに引き裂かれる。

 これが、夫婦というものなのか。人間初心者の私には、ハードルが高すぎる。


 Every cloud has a silver lining.

「全ての雲は銀の裏地を持っている」と続く。裏地があれば、表地があるのだ。



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