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なんかちょっと吹っ切れた~漫画「パラダイムシフト」を読んで~

数日前、発見の多い作品がTwitterでバズっていた。鬱だけでなく、必要以上に卑下してしまうネガティブさんにも当てはまるものがあるように思う。

私は仕事のキャパオーバーで適応障害になったが、鬱症状出始めの「頭に霧がかかる感じ」が当てはまって読み進めた。自分の症状を言語化するのは難しい。それを作者は丁寧に分析し、過程を淡々と書き進めているので、読みやすい。特に、中盤から終盤にかけて納得する場面が多かった。


毎日、毎秒、『鬱である自分』のプログラムを実行し続けている

治したいと言いつつ心のどこかで、「ネガティブは治らない」とか「正直このままだらだらしていたい」とか思っていた。でもこのままだと何も変わらないのは明白だ。かといって、「何でもできる超ポジティブ人間になるぞ!」というのも負担になる。

鬱になる原因は「不安」です。そして不安が起こる理由は「自己虐待」です。

思い当たる節がありすぎる。私はよく「自分はダメダメだ」と思う。褒められても「私が褒められる?そんなことあるか。だって私だぞ???」と謙遜を通り越した卑下をする。しかし、事実と感情を捻じ曲げてはいけない。褒められるということは何かしら良い点があったから。褒められるべきではない理由が「私が成すことはキモイから」というのは論理的でない。

そして、不快な感情から目を背けることも自己虐待に当てはまるようだ。たとえば二次会のカラオケにみんなが行きたがっている中、行きたくない私は変だから無理して行く。変だからというのは理由になっていないし、無理してボロが出ては元も子もない。「みんなのことが嫌いなのではなく、大きな音が苦手だから今日は帰るね。」で済むはずだ。それで付き合いが悪いとハブられるのであれば、そんな関係こちらから断ち切っていいだろう。

不快な感情に耳を傾けるうちに快感情にも気づけるようになるようだ。しばらく好きなものが分からなくなり、ワクワクする気持ちを忘れてしまっていたが、最近は生活の中にちょっとした幸せを見出すことができるようになった。

そういえば、日常のちょっとしたことから幸せを見出すプロだった。フェスに行かなくてもひなったぼっこで満足するし、高級フルコースじゃなくても月に一度のコンビニスイーツでご褒美と思える。そうして快感情を積み重ねる訓練も必要だ。

「病気が治る」って幸せなことに違いない。けど実際は見たくなかった現実がいろいろ分かってしまう。痛痛しくてカッコ悪い自分がたくさん見えてしまう。

何でもできるというか、何でもしなきゃと思っていた。できない私はおかしい。でも、自分と向き合ってみると苦手なものが結構多かった。さらに体調を崩してから怖いものが増えた。電話や人混みは以前よりも苦手になって、冬なのに冷や汗ダラダラだ。みっともない姿でカッコ悪い。でも、それが今の私なのだ。将来的に平気になるかもしれないけれど、大きな期待をするのではなく、今の自分を少しずつ受け入れる練習も必要だと思う。


そんなわけで今日の自分を見つめなおそうと思う。今日は朝から壁や床に張り付いてメソメソするナメクジになっていた。自分の力で体を縦にする気力が起きない。昨日から今日にかけて気圧が急上昇し、変動が大きかったのが原因かもしれない。曇り空の低気圧の日は頭痛や吐き気がして起き上がれないことがあるが、今日は快晴の暴風。日の光が部屋に差し込み、ふわふわとした気持ちだが快いとはいえない。綺麗なのに不安な感情でいっぱいだ。天国ってこんな感じ?なんてちょっとメルヘンな気持ちでヌメヌメと壁に張り付いて泣いた。

ぼーーーーーーっと午前中を過し、昼食に温かいお味噌汁を啜った。途端に視界がサッと開け、これまでのどんよりが吹き飛んだ。一体何なんだ。恐るべし熱々お味噌汁パワー。今度から朝元気がないときお味噌汁を飲もうかな。ちょっとした快体験ができた。そうやって積み重ねて、自己虐待を減らしていきたい。

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