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学びはアウトプットではなくプロセス

こんばんは!
埼玉県で介護福祉士をしている大西です!

今回のテーマは「哲学」

哲学や言葉って、表面的な言葉だけが切り取られがちです。

しかし、その言葉に至るまでの過程を知った方が良いよー、という話です。

それでは第110弾よろしくお願いします。


表面だけでは掴みきれない


人生における学びは二種類あります。

それは

プロセスからの学び

アウトプットからの学び

である。
  

はい、本に書いてありました(笑)

しかし僕も以前から思っていた事なんですね。

どうしても人は結果や言葉など、目や耳に残りやすい部分だけを見てしまいます。

それはそれで良い時もあるでしょう。

特にこと『人間』を知るのには「過程」すなわちプロセスが大切になるでしょう。


そりゃそうですよね。

理解しようとするなら「結果」だけじゃどんな人かわかりませんよね。

例えば「この社長さんの事気になるなぁ」と思って調べたりお話をした時に、○○企業を立ち上げてていくつで独立してどこ学校に行って、、、と。

あるいはこんな本を出していて、こんな講演を開いている。

とかが、調べたら出てくるとします。

しかしその人の事を知りたいなら、どんな想いで会社を立ち上げたのか?どんな意図があって講演を開くのか?


何故?どうして?


そこを気にすべきですよね。

人の裏側、言葉の裏側、そういったものを感じ取る事こそが学びになると。

そうなんじゃないでしょうか。


我思う、ゆえに我あり

デカルトという有名な哲学者が残した言葉です。

我思う、ゆえに我あり

さて、ここがアウトプットです。

どうでしょう、ここだけ切り取ると「うん、だから何?」と思う方もいるのではないでしょうか?

さて、ではこの言葉はどんな意味があるのでしょうか?

この言葉は『自分という存在や意識というものの発見』を意味するのですが、もう少し深く理由を掘り下げていくとデカルトは絶対的な真理を求めて徹底的に全てを疑っていったそうです。

その過程の中で、疑ったものは排除していったわけですが、中でも「自分というのは本当には存在しないんじゃないか?」と考えたそうです。

しかし疑っても疑っても、自分が自分であることは疑えなかった。

そして「自分が何故ここにあるのか」を考える事が存在証明になる。と考えました。
 

そうして『我思う、ゆえに我あり』  

という言葉が出来たんです。

どうでしょう、我思うゆえに我あり、というアウトプットだけではなく『過程』を知る事で深く学べましたよね?


そう、これが哲学の面白い所で日々の考察の学びの深さです。


哲学だけでなく学びに共通する

個人的に哲学も面白いのですが、哲学に関係なく学び会話が楽しくなる秘訣があります。

それは相手の主張や思考のプロセスや問題に対する意識を追体験する、事です。


誰かの話を聞いて、主張を聞いて、そのまま受け取るのでは無くて「どうしてなんだろう?」これを考えると非常に学びになります。

しかも楽しいです(笑)

オススメな方法。

是非ですね、表面的な言葉やアウトプットだけでなく、そこに至る過程、プロセスを気にしてみて下さい。

今回はそんなお話でした。


それでは今回も読んで頂きありがとうございます!

次回もまたよろしくお願いします!

未来を創る介護福祉士 大西

 

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