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夜、旅を始めてみる。

陽が沈もうとしているころに家を出る旅というのは、いつもの旅とは違った特別感がある。1日のバイトを終え、家に帰って急いで荷造りして(缶ビールを開ける間もなく)、旅行用のトランクを抱えて 京都駅行きのバスに飛び乗った。バスを運用するだけの費用が稼げるのかと不安になるほどの数の乗客を乗せ、村上春樹のエッセイ集をめくっている間に京都駅へ到着する。家を出て1時間が経とうとしたころ、ようやく旅の出発点に立てた。

待ち人を待つ間、僕は京都駅から程なく歩いた場所にある立ち飲み居酒屋に入り、一杯やる。つまみはエビマヨとだし巻きだ。居酒屋に入ってとりあえず生と一緒に頼むものと言えば、ここら辺のおつまみであり、他に挙げるとするならば、ポテサラや唐揚げがあるけれど、そんなことはこの話の本筋ではない。一杯やりながら煙草を吸い、待ち人が京都駅に到着したという連絡を見てそそくさと店を出る。

また程なく歩いて京都駅で待ち人と合流し、電車で飲もうと缶ビールをひとつと、ポケットに忍ばせ旅の間にちびちび舐める酒として小さいウイスキーの角瓶を手に入れ、僕を含め3人の旅仲間で神戸行きの新快速の電車に乗る。しばらく......と言っても、京都から兵庫までの時間はやれやれとため息が出るほどには時間を要し、それくらいの間電車で揺られる。神戸ゆきとは言ったものの、その直前で神戸を裏切って三宮で降りる。

時刻はすでに22時に近く、周りを歩く人と言えば、仕事終わりのサラリーマンか、遊びから帰る若者か、どうしようもないお年寄りか、そんなところだ。そんな人々とすれ違いながら、神戸のポートライナーという類の電車に乗ると、モノレールのように車道の上に作られた線路の上を走り出し、そのもの珍しさは電車の先頭に乗った僕らを興奮させる。京都には景観条例なるものが存在し、古風な街並みを守るため、ビルの2階ほどの高さに線路など作られることはあり得ないの だ。電車は無人で進み、全て機械によって作り出された無機質な動きによって僕らは目的地まで運ばれる。 

海が近い。そう感じる。ような気がする。京都よりも風が増え、空気は少しだけ冷たい。目的のフェリー乗り場まで、酒と旅による気分の高揚を抑える努力の必要もなく歩き、公園でスケートボードやバスケットボールのゲーム、ダンスに興じる若者たちを横目にさらに歩く。

神戸の街というのはやはり光が多く、さらに海があるので光は水面を跳ね返り、より一層光が多い印象を与える。海のない町・京都で暮らす人間として、ただでさえ多い光が倍増する神戸の光景を目の当たりにすれば、流している音楽に合わせて手を上げ、腰を振りながら踊る衝動を抑えることは不可能である。3歩ほど踏み出せば海に落ちてしまうという場所で音楽と酒に酔った僕はさらにウイスキーをちびちびと舐め、今はフェリーの搭乗口でこの文章を書きながら、乗船を今か今かと待っている。転覆も沈没もせず無事に船の上で夜を越すと、香川県は高松へ着いている予定だ。それからいくつかの島に渡り、瀬戸内芸術祭を堪能する予定なのである。

お、乗船開始のアナウンスが聞こえたから、そろそろ船に乗ろうかと思うので、ここらへんで。

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