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最近の記事

Amazonでレビュー数の多い本(ノンフィクション)を見ると「やさしい」本ほど人気なのがわかる。そしてその多くがツッコミどころ満載のトンデモ本だというところが恐ろしい。特に政治・経済分野と精神医学分野のそれは酷い。こんな本を読んでも(読者の自覚とは裏腹に)視野が狭くなるだけだ。

    • 人は話を聞く前から結論を決めている

      世の大多数の人間は、もともと自分の中にある意見と近似した意見にしか耳を傾けない。 自分の中にある意見とは、たいていその人が最初に納得した意見だ。 それは親や教師の言うことだったり、テレビやネットで見た情報だったりする。 人は一度「こうだ」と思いこむとそれを変えるのは難しい。 たとえ新たに見聞きする意見のほうがはるかに合理的であったとしても、結論は話を聞く前からすでに決まっているのだ。 こうした現象は動物行動学者ローレンツの話を彷彿させる。 ある雛鳥は、生まれた直後

      • ワクチン

        一時期「コロナ離婚」という言葉が流行ったが、新型コロナに対する考えは多くの人にとってリトマス紙的役割を果たしている。 コロナに対する考えは他の話題よりも性格や物の考え方がハッキリ出やすいのだ。 ゆえに読者離れを引き起こしやすい話題でもあるのだが、今回はコロナの話題の中でも意見が分かれやすい「ワクチン」について語りたいと思う。 まず僕はワクチンに対して推進派でも反対派でもない。 高齢者は接種による便益がリスクを上回っていたと思うが若年層は打つ必要がなかっただろう、という

        • 次に来るのは愛着障害ブームか?

          昔から精神疾患は流行すると言われている。 多重人格障害、境界性人格障害、双極性障害、新型うつ、アダルトチルドレン…… ここ数年でいえば発達障害とHSPが二大ブームと言えるだろう。 (これらの中には医学的診断名でないものも混ざっている) そんな中、最近目にする機会が多くなってきた言葉がある。 それは愛着障害だ。 このまま行けば近いうちに愛着障害ブームが来るのではないかと心配している。 (小さなブームは過去に何度か来ている) 愛着障害ブームの予兆 Twitter

        Amazonでレビュー数の多い本(ノンフィクション)を見ると「やさしい」本ほど人気なのがわかる。そしてその多くがツッコミどころ満載のトンデモ本だというところが恐ろしい。特に政治・経済分野と精神医学分野のそれは酷い。こんな本を読んでも(読者の自覚とは裏腹に)視野が狭くなるだけだ。

          何を書けば共感が集まるか、何を書けば読者が離れていくか、僕はよく理解している。主な読者層がどんな属性なのか、彼らがどんな発言を不快に思うか、これも手に取るようにわかる。だが彼らが欲しているだろう言葉と僕が語りたい言葉が一致しない。迷ったときどうしても僕は正直なほうを選んでしまう。

          何を書けば共感が集まるか、何を書けば読者が離れていくか、僕はよく理解している。主な読者層がどんな属性なのか、彼らがどんな発言を不快に思うか、これも手に取るようにわかる。だが彼らが欲しているだろう言葉と僕が語りたい言葉が一致しない。迷ったときどうしても僕は正直なほうを選んでしまう。

          心の問題をなにかひとつの概念で説明しようとするのは、極めて粗野で危険な行為であるように思える。しかし多くの人間がそれを求めていることがネットを観察しているとよく分かる。もし共感を集めたいのなら、間違っても「あのチェックリストって誰でも当てはまるよね」などと口走ってはならない。

          心の問題をなにかひとつの概念で説明しようとするのは、極めて粗野で危険な行為であるように思える。しかし多くの人間がそれを求めていることがネットを観察しているとよく分かる。もし共感を集めたいのなら、間違っても「あのチェックリストって誰でも当てはまるよね」などと口走ってはならない。

          人を不愉快にさせる生き物

          世の中には存在するだけで人を愉快にさせる生き物がいる。 多くの人間にとって犬や猫がそれにあたるだろう。 うちにも子犬がいるが、いつどんな角度から見ても可愛くないときがない。 嘘を知らない純粋な目。つい指で押したくなる鼻。質感と配置が絶妙にかわいい肉球。そしてあらゆる動作の数々が、多くの人を愉快な気分にさせるのである。 一方で犬や猫とは真逆の生き物もいる。 多くの日本人にとってゴキブリがそれにあたるだろう。 不気味な黒ぐろとした体。予測不可能な動き。予備動作のない急加速。繁

          人を不愉快にさせる生き物

          「甘えるな」は思考の怠惰から生まれる

          「甘え」とはなにか? 『甘えの構造』の著者である土居健郎によると、「甘え」に該当する言葉は他言語にはないらしい。 辞書には以下のように書いてある。 この説明では不十分だろう。 たとえば以下のような昔からよく目にする使用文脈では、上記の意味を当てはめてもピンとこない。 「うつは甘えだ」 「デブは甘えだ」 「〇〇ができないのは甘えだ」 僕が思うに「甘え」という言葉は「努力不足」や「なまけ」と同義で使われることが多い。 たいていの場合、それで前後の文章との整合性が

          「甘えるな」は思考の怠惰から生まれる

          結果は努力という単一の要素から生まれるものではなく、環境や才能といった「運要素」の影響を大いに受ける。あらゆる結果の原因を努力に求めるのが「甘え論者」であり、あらゆる結果の原因を運要素に求めるのが「どうせ論者」である。前者は不愉快だが、後者も行き過ぎると負けず劣らずの悪臭を放つ。

          結果は努力という単一の要素から生まれるものではなく、環境や才能といった「運要素」の影響を大いに受ける。あらゆる結果の原因を努力に求めるのが「甘え論者」であり、あらゆる結果の原因を運要素に求めるのが「どうせ論者」である。前者は不愉快だが、後者も行き過ぎると負けず劣らずの悪臭を放つ。

          2024年2月~3月の振り返り

          2月と3月を振り返ります。 ブログ 1月の振り返りで書いたとおり、このブログは優先順位を下げたので執筆数が減少。 1月→18記事 2月→5記事 3月→6記事(この記事も含む) ちなみに3月は「続く」と書いた記事がいくつかあったのですが、あまり評判が良くなかったので続きはゴミ箱に捨てました。 確定申告 契約相手の企業が10社ぐらいあるため、すべて記入するのがなかなか面倒でした。 ただしすべて足しても同年代の平均年収をはるかに下回ります。 ハゲ治療開始 薄毛

          2024年2月~3月の振り返り

          どのコミュニティにも属せない人間

          現代では多種多様のコミュニティがある。 ネット上にはコミュニティへの入口がいたるところに張り巡らされ、それぞれが強烈な引力を放っている。 かつては社会不適合者とされた者の多くも今ではこの引力に吸い寄せられ、「同じ悩み」や「同じ怒り」を集団内で共有するようになった。 だがどうやら僕はどのコミュニティにも属せそうにない。 「集団」に共通する独特の臭気が鼻について仕方ないからだ。 それはある種の鈍感さだったり、高慢さだったり、帰属意識だったり、排他性だったり、思考の怠惰だ

          どのコミュニティにも属せない人間

          内モードと外モードのギャップが大きいほど労働が苦痛になる

          人間は多かれ少なかれ「家にいるときの自分」と「外にいるときの自分」とで振る舞いや精神状態に差がある。 前者を内モード、後者を外モードと名付けよう。 僕は内モードと外モードのギャップがかなり激しいタイプだ。 とくに子供の頃はそれが顕著だった。 少年時代の内モード・外モード 家の中ではいくらでも話すのに、外に出ると一切話せなくなる。 クラスメイトと会話した時間は小中学校合わせても5分に満たない。 ゴリラーマンか僕か、というぐらい何もしゃべらなかった。 一度も同じク

          内モードと外モードのギャップが大きいほど労働が苦痛になる

          終わり悪ければすべて悪し

          なぜあんな退屈なものにハマっていたんだろう…… あの人のいったいどこが良かったんだろう…… かつて夢中になっていたのに今ではまったく興味がない。 そんなものが僕には腐るほどある。 以前ハマっていた某漫画はその典型だ。 現在では惰性で最新話を読んでいるが、昔の僕がなぜこの退屈な漫画に夢中になっていたのか、今となってはサッパリ分からない。 昔の自分は見る目がなかったんだなぁ…… かつての自分の感性が恥ずかしくさえ思えてくる。 終わり悪ければすべて悪し ところが先

          終わり悪ければすべて悪し

          自称カサンドラ症候群の増加から見える発達障害ブームの弊害

          最近「カサンドラ症候群」という言葉をよく目にするようになった。 ウィキペディアによる定義は以下の通りだ。 カサンドラ症候群とは正式な医学名ではなく、海外では差別を増長する言葉として問題視する声も多い。 実際SNSでの使用文脈を見てみると、家庭内で生じた問題の原因を発達障害者(とされる人)に押しつける手段として使われているケースがほとんどだ。 つまり責任転嫁を正当化できる便利な言葉として使用されているのである。 増え続ける自称カサンドラ症候群 夫婦や家族の不和など誰

          自称カサンドラ症候群の増加から見える発達障害ブームの弊害

          便利は不便を生む

          便利はたびたび不便を生む。 車は便利な移動手段だ。 だが頼りすぎると足腰の筋力が衰える。 車という「便利」によって体が「不便」になる。 スマホは便利なツールだ。 だが膨大な時間を奪われる。 少なくとも僕に関していえば、得られた恩恵よりも失ったもののほうがはるかに多い。 スマホが存在しなければ、今より何倍も本を読んだり考えたりする時間を過ごせていただろう。 ネット検索はたしかに便利である。 しかしそこで得られるものは自分が欲しい情報に限られる。 「既知の未知

          便利は不便を生む

          なかなか治らない厄介な病気

          子供の頃からずっと厄介な病気に悩まされている。 "本音言いたい病"である。 もちろんこれは正式な病名ではなく、僕がいまテキトーにつくった病名だ。 この病気の厄介なところは、黙っていたほうが得をする場面でも本音を言いたくなってしまうところである。 強迫性障害の罹患者がその不合理性を自覚していても同じ行動を繰り返してしまうように、損することが分かっていても本音を言ってしまうのだ。 なぜ嘘は不快なのか 僕は「嘘」を蛇蝎のごとく嫌う。 嘘をつかれるのも嫌いだが、嘘をつく

          なかなか治らない厄介な病気