おっさん

30代半ば/某MARCH卒/低年収/友人0/運動音痴/趣味=読書、ソロキャンプ、一人旅…

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30代半ば/某MARCH卒/低年収/友人0/運動音痴/趣味=読書、ソロキャンプ、一人旅、散歩/アマゾンアソシエイト参加中/ブログ→ https://lornrider.com/

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いじめられる側にも原因はある

「いじめられる側にも原因はある」 という主張は非常にウケが悪い。 たとえば有名人の誰かがそんなことを言おうものなら 「いじめる側が100%悪いに決まっているだろう」 「加害者を擁護するのか?」 といったコメントが四方八方から飛んでくる。 しかし僕には、むしろそうしたコメントを書き込む人間ほどイジメっ子気質があるように思えてならない。 現に彼らのプロフィールから過去のコメントをたどってみると、別の話題では平気でいじめる側に回っているケースが多々見られる。 そもそ

    • 真面目を美徳と捉えている人が多いことが恐ろしい 【マジメ批判①】

      ネットを見ていると、世の中には「真面目」を美徳と捉えている人が非常に多いことが分かる。 おそらくこのNoteの読者にも同様の価値観を持つ人は多いだろう。 だからこんなことを書くとまた読者を不愉快にさせてしまいそうなのだが、僕は「真面目」を美徳ではなく諸悪の根源だと思っている。 真面目な人たちにとって許せない存在 小学生の頃、僕を傷つけるのはたいてい生真面目な人間だった。 体育の球技では、勝ち負けに対して生真面目なスポーツマンが、運動音痴の僕に毎回ブチギレてきた。

      • 滅多にないことだが、ごくまれにヤフコメ民の多数派と意見が一致してしまうことがある。そのとき僕はとてつもない恥辱を味わった気分になる。こんな人たちと同じことを考えていたのか、と。そして自分の考えに誤りがあるのではないかと不安でたまらなくなる。逆に彼らと意見が一致しないとホッとする。

        • 宮田笙子の処分は妥当なのか【オリンピック体操代表 出場辞退】

          オリンピック体操女子の宮田笙子選手(19)が、飲酒・喫煙発覚により出場辞退になった問題で意見が割れている。 ネットを見る限りだと、処分を妥当とする声が多数派を占めているようだ。 やはりネット民とは価値観がことごとく合わない。 僕は処分が厳しすぎるという見解である。 ルールである以上しょうがない、という意見に関しては同意こそしないものの理屈は分からないでもない。 ただ、「自業自得だ」「なんでそんな馬鹿なことをしたんだ」「代表としての自覚が足りない」といった宮田選手を非

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        • 真面目を美徳と捉えている人が多いことが恐ろしい 【マジメ批判①】

        • 滅多にないことだが、ごくまれにヤフコメ民の多数派と意見が一致してしまうことがある。そのとき僕はとてつもない恥辱を味わった気分になる。こんな人たちと同じことを考えていたのか、と。そして自分の考えに誤りがあるのではないかと不安でたまらなくなる。逆に彼らと意見が一致しないとホッとする。

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          善人という無自覚の加害者

          「誹謗中傷を書き込むのはどんな人物だと思いますか?」 そう聞かれたら、あなたはどう答えるだろう。 おそらく以下のような人物を想像する人が多いのではないだろうか。 現実世界で誰からも相手にされない 常識がない 社会的地位が低い 友人がいない 僕はこういった解答をする人ほど誹謗中傷を書き込んでいるんじゃないかと思っている。 あるいは書き込みはしないにしても、書き込んでいる人物に近い価値観を持っているんじゃないかと思っている。 誹謗中傷をする人物の特徴 誹謗中傷

          善人という無自覚の加害者

          善良な人間ほど鈍感である

          善良な人間ほど鈍感であることが多い。 ここでいう善良な人間とは、世間一般の価値観と自らの価値観にほとんどズレがない者を指す。 すなわち、大多数の人間が「善い」と感じることを善いと感じ、大多数の人間が「悪い」と感じることを悪いと感じる者である。 言い換えるなら感受性のマジョリティだ。 なぜそれが鈍感さにつながるのか。 彼らが人生の大半をエコーチェンバーの中で過ごしてきたからである。 エコーチェンバーとは、価値観の似た者同士が集まって特定の意見ばかり見聞きしているうち

          善良な人間ほど鈍感である

          高校デビューに失敗した話【高校編①】

          『喋らない人だった子供時代の話』で話したように、僕は中学卒業まで学校でほとんど喋らないぼっちだった。 そんな中学時代の自分とは決別するため、高校は少し遠くにある、地元の人が行かないところを選んだ。 いわゆる高校デビューを目指していたのだ。 環境さえ変われば友達なんてすぐにできる。 "本当の自分"は明るくて面白い人間なのだ。 そんなふうに考えていた時期が僕にもあった。 しかし生まれて15年間、同世代の人間とほとんど会話をしてこなかった人間である。 そんな簡単に変わ

          高校デビューに失敗した話【高校編①】

          誰かのために書いた文章は響かない

          誰かの役に立つ文章を書く。 いたるところで教えられている文章術の基本である。 だが誰かのために書かれた文章は、僕にはまったく響かない。 不特定多数に一斉送信された営業メールのように、嘘くささと軽薄さが漂うからだ。 やたらと同調してくるセールスマンのように、利己的な下心が透けて見えるからだ。 では僕の心を打つ文章とはどんなものか? 自分のために、自分のことが書かれた文章である。 なぜそれが心を打つのか? 誰よりも知り、誰よりも考えた人物によって書かれているからで

          誰かのために書いた文章は響かない

          Noteで面白いと感じる文章の特徴

          Noteで面白いと感じる文章の特徴は何だろう? ここで言う面白さとはお笑い的なものではなく、興味深い、心を惹かれる、続きを読みたくなる、といった意味だ。 元電通のコピーライターであり、16万部超えのベストセラー『読みたいことを、書けばいい』を執筆した田中泰延はこう語る。 僕の考えはこの真逆だ。 内面を語らない文章を面白いと思うことはほとんどない。 僕が読んで面白いと思ったNoteはどれも自分語りばかりだ。 役に立つ情報はもうお腹いっぱい 役に立つ情報は今やネット

          Noteで面白いと感じる文章の特徴

          よくある勘違い

          非常識な人間が好きだ。 ただしそれは常識を知らない人間ではなく、常識を絶対視しない人間である。 変人が好きだ。 ただしそれは図々しい変人や他人の目を気にしない変人ではなく、遠慮と恥じらいを持つ変人である。 空気を読まない人間が好きだ。 ただしそれは空気を読む能力がない人間や、むやみやたらと水を差す人間ではなく、ここぞという時に空気を無視できる人間である。 正直者が好きだ。 ただしそれは頭に浮かんだことを何でもペラペラと口に出す無礼者ではなく、深く考えたうえで功利

          よくある勘違い

          出会わないし食べないし行かないけど旅が好きな理由

          僕の一人旅には巷でよく言われる旅の魅力がほとんどない。 旅先での出会いはないし、名産も食べないし、海外にも行かない。 お土産も買わないし、すぐ近くに観光名所があってもたいていスルーする。 じゃあ旅先で何をするのかといえば、普段していることをするだけだ。 「ならわざわざ行かなくていいじゃないか」 そうツッコミたくなる人は多いかもしれない。 僕自身、何度も同じことを思った。 しかしなぜだが旅に行きたくてしょうがないのだ。 いったいなぜだろう。 どこでもいいから遠

          出会わないし食べないし行かないけど旅が好きな理由

          人を愛したことがない

          僕は人を愛したことがないのかもしれない。 たとえば好きなミュージシャンを聞かれれば何人かすぐに浮かぶ。 しかし僕が好きなのは彼らが作り出す楽曲や歌声であり、彼ら自体を愛しているわけではない。 僕が好むミュージシャンの中には麻薬所持や素行不良で話題になった人が複数いるが、そうした事実が明るみに出ても一切ショックを受けないのだ。 つい先日、人気声優が不倫かなんかでバッシングされていた。 ファンからは怒りや悲しみの声が殺到しているという。 だがもし仮に僕の好きな声優(若

          人を愛したことがない

          ルッキズム?

          小学校3年生のとき、川で捕まえたオタマジャクシを飼っていた。 「タマちゃん」という何のヒネリもない名前をつけられたそのオタマジャクシは、幼い僕にとって愛しいペットであり、唯一の話し相手でもあった。 しかしあるとき異変が起こる。 タマちゃんから手足が生えてきたのだ。 そう、タマちゃんはオタマジャクシからカエルに進化しようとしていたのである。 むろんポケモンではないため一瞬でカエルに姿が変わることはない。 日を追うごとに手足がニョキニョキと伸び、少しずつカエルに近づい

          ルッキズム?

          我が家にコロナがやってきた

          とうとう我が家にも新型コロナがやってきた。 まず兄が職場で感染し、そこからあっという間に家族全員が感染。 一応書いておくと、家族のワクチン接種歴は以下の通りである。 父・・・3回接種 母・・・5回~7回接種? 兄・・・3回接種 僕・・・0回接種 接種歴にかかわらず、ウイルスは平等に39℃超えの高熱をもたらした。 むろん言うまでもないと思うが、こんな少ないサンプルから何か一般法則を導き出そうという意図はない。 これから語るのは、多種多様なコロナ体験談の単なる一

          我が家にコロナがやってきた

          伝わらないのは誰のせいなのか?

          前回の記事で話したように、伝わるように努めることは重要である。 ただし「伝わるように努める」とはあくまで自戒的な言葉であり、受け手側の怠惰や開き直りを正当化する言葉ではない。 ちょうど「有名税」や「お客様は神様」が自戒的な言葉であり、誹謗中傷者やワガママな客を正当化する言葉ではないのと同じだ。 1.それってあなたの願望ですよね 「本当に賢い人はもっとわかりやすい表現をするんだよなぁ」 こんなセリフをよく目にする。 だがこれは願望から生まれた俗説に過ぎない。 たと

          伝わらないのは誰のせいなのか?

          身内にウケる言動ほど気持ち悪い

          身内にはウケる言動が、外部から見ると気持ち悪い。 これはいたるところで見られる現象だ。 もっとも分かりやすい例は「ツイッターデモ」だろう。 ツイッターデモとは、同じ思想を持つ人間が同じハッシュタグ(#)をつけて特定のイデオロギーを一斉に主張する行為だ。 少し前のツイッターでは 「#安倍やめろ」 「#ワクチンは生物兵器だ」 といったハッシュタグが毎日のように流れていた。 (ここ最近はハッシュタグがほぼ機能していないが、野蛮な政治関連ツイートを垂れ流されるよりは幾

          身内にウケる言動ほど気持ち悪い