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出会わないし食べないし行かないけど旅が好きな理由

僕の一人旅には巷でよく言われる旅の魅力がほとんどない。

旅先での出会いはないし、名産も食べないし、海外にも行かない。

お土産も買わないし、すぐ近くに観光名所があってもたいていスルーする。

じゃあ旅先で何をするのかといえば、普段していることをするだけだ。


「ならわざわざ行かなくていいじゃないか」

そうツッコミたくなる人は多いかもしれない。

僕自身、何度も同じことを思った。

しかしなぜだが旅に行きたくてしょうがないのだ。

いったいなぜだろう。




どこでもいいから遠くに行きたい


どこでもいいから遠くに行きたい。

この感情が小さい頃からずっと僕にはある。


遠くに行ったところで何があるわけでもない。

日本の町並みなんて全国どこに行ってもだいたい似たりよったりだ。

観光名所と呼ばれる場所にはいくつも訪れた。

「ふーん」という感想しか出てこなかった。


しかし"ここではないどこか"へ行きたい気持ちは、今なおずっと消えることがない。

特別やりたいことや見たいものはないけど、ただなんとなく遠くへ行きたいのだ。


同じような人間は僕以外にも意外といるらしい。

たとえば以下の言葉は、かの有名な詩人ボードレールが述べたものだという。

いつもぼくには、こんなふうに思えるのだーーいま居るところにさえ居なければ、ぼくは元気になれるんじゃないかと。この移動の問題は、ぼくが永遠に魂に抱き続けるものなんだと。

アラン・ド・ボトン『旅する哲学』安引宏訳,集英社.


距離


単に見知らぬ場所に行きたいだけなら、わざわざ遠くまで行かずとも普段降りない駅で降りれば目的は達成される。

それどころか半径500m以内ですら未知の場所は山ほどあるだろう。


だが距離がないとダメなのだ。

ある程度の物理的距離がないと、どうも旅した気分にはならない。

芥川の言うように50kmほど離れたあたりから気分が変わり始める。

僕は僕の住居を離れるのに従ひ、何か僕の人格も曖昧になるのを感じてゐる。この現象が現れるのは僕の住居を離れること、三十哩[30マイル=約48キロ]前後に始まるらしい。

芥川竜之介『決定版 芥川竜之介全集』千歳出版.


普段思いつかないことを思いつく


旅をしていると、どうしてだか分からないが普段思いつかないことを思いつく。

とりわけ移動中にいろいろな考えが頭に浮かんでくることが多い。

どうやらこれは誰にでも起こる現象のようだ。

旅は思索の助産婦である。移動中のジェット機や舟や列車ほど、心のなかの会話を引き出す場はまずない。眼の前にあるものと、頭のなかで考えることができるものとの間には、奇妙なと言っていいくらい相関関係がある。

アラン・ド・ボトン,前掲書


昼行便の高速バスに乗って、窓から景色を眺めるのが好きだ。

ずっと眺めているのもいいが、本を読んでいる途中にチラッと景色のほうに目をそらしてまた本に戻るのもいい。

あるいは音楽を聴きながら、ただぼんやり外を見ているのもいい。

こうした移動時間が一番旅をしている気分になる。

考えが進むのは、頭脳の一部がほかの課題に(たとえば音楽を聴くとか、並木の列を目で追うとかに)気をとられているときに多い。音楽とか景色が、しばらくのあいだ、頭脳の神経質で批判的で実用的な部分の気を逸らせるからだ。

同書


ホテル


ホテルに到着し、ベッドに寝転ぶ。

「やっとついた!」という達成感と安心感が心地良い。


そのまま寝てもいいし、街に出かけてもいい。

それともスーパーでお菓子をたっぷり買ってこようか。

大浴場でリフレッシュするのもいいかもしれない。

あるいはGoogleマップを見ながら翌日の計画を立てようか。

家から持ってきた本をじっくり読むのもいいな。

「これから何をしてもいい」という自由さと開放感がとにかく最高なのだ。


時折ふと自分の人生を見つめ直すこともある。

不思議なことに旅先で物を考えると、いつもなら辿り着かないところに思考が届くことが珍しくない。

自分の体を見るとき鏡から距離を置くと全身が見えるように、自分の精神を見るときにも家から距離を置くことで見える部分が広くなる。

ホテルの部屋も、わたしたちを心の習慣から解き放つ、似たようなチャンスを差し出してくれる。ホテルのベッドに横になっていると、ときおりエレベーターがビルの内部をすうっと通り過ぎる音以外は、部屋はひっそりとしていて、わたしたちは到着以前の自分との間に一線を引くことができる。
(中略)
わたしたちは、毎日の仕事のさなかではとうてい達することなど不可能な高みから、自分の人生をじっくり考えてみることができる。

同書


旅の予定


たいていの人間は大人になるにつれて日常の変化が少なくなっていく。

だが旅の予定を入れると、刺激のない生活にメリハリが生まれる。

近い未来に楽しみを持つことで気分が明るくなってくるのだ。


この効果を実証した研究もある。

ブレダ応用科学大学の研究によれば、旅行を計画しただけで被験者の幸福感が上昇し、その効果は平均で約8週間持続したという。

僕が深刻なうつ状態にならないのも、定期的に旅行を計画しているからかもしれない。


旅先で触れたもの


旅先で触れたものは不思議と記憶に残りやすい。

たとえば旅先ではよく図書館を訪れるのだが、そこで読んだ本の内容は地元の図書館で読んだときよりも記憶に深く残っている。

本を思い出すと図書館も想起され、さらには図書館に行くまでの道中で考えたことや、その日に立ち寄ったスーパーの記憶なども蘇ってくる。

あるいは反対に旅を思い出したときに本の内容が連想されることも多い。

本だけでなく、聴いた音楽なんかでも似たようなことが起こる。

そしてこのときに感じる哀愁がまたいいのだ。


旅の効用


旅に出ると、普段と同じものを見てもまったく別の感情が湧き上がってくる。

ホテルで見るテレビはいつもより面白いし、お菓子もいつもより美味しい。

時間が限られているせいか、本もいつもより集中して読める。

地元と大して変わらない町並みなのに、なぜだかとても新鮮な感じがする。

人も空気も景色も、あらゆるものが違って見える。

旅の利益は単に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、――全く新しいといい得るものが世の中にあるであろうか――むしろ平素自明のもの、既知のもののように考えていたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。

三木清『三木清全集』千歳出版


冒頭で述べたように、僕は旅先でほとんど他人と触れ合うことがない。

せいぜいスーパーの店員やホテルのスタッフと数秒の事務的やりとりをする程度だろう。

しかし自分との対話は普段よりもはるかに増える。

他人とは出会わないが、新たな自分とは幾度となく出会う。

これが旅のもっとも大きな効用かもしれない。

旅において出会うのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。

同書

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