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宮田笙子の処分は妥当なのか【オリンピック体操代表 出場辞退】

オリンピック体操女子の宮田笙子選手(19)が、飲酒・喫煙発覚により出場辞退になった問題で意見が割れている。

ネットを見る限りだと、処分を妥当とする声が多数派を占めているようだ。


やはりネット民とは価値観がことごとく合わない。

僕は処分が厳しすぎるという見解である。


ルールである以上しょうがない、という意見に関しては同意こそしないものの理屈は分からないでもない。

ただ、「自業自得だ」「なんでそんな馬鹿なことをしたんだ」「代表としての自覚が足りない」といった宮田選手を非難するコメントに対しては強い違和感を覚える。


過ちを犯し、それを本人が誰より悔いている。

そんな状況でどうして分かりきった正論を浴びせるのだろうか?

どうして失敗し反省している人の背中を蹴飛ばすような真似ができるのだろうか?


批判の理由


宮田選手に対する批判は大きく分けて3つある。


1つ目は法律違反だという批判。

これに関しては、喫煙・飲酒禁止法がもともと未成年保護のためにあることを考えれば本末転倒だと言える。


2つ目は大会の規定にあるからという批判。

例外を認めれば別の例外も認めることにつながり、規範意識がどんどん乱れていくという理屈は分からないでもない。

ただ罰則を与えるにしても、出場辞退というのはあまりに厳しすぎるように僕には思える。

形式的には辞退という形になっているが、そうした決断に追い込んだのは違反を許さない世間の風潮だろう。


3つ目は若いオリンピック選手だからといって特別視するなという批判。

これに関しては、少なくとも僕はオリンピック選手じゃなくても同じように擁護する。

30歳を超えるベテランだったとしても、高校の部活だったとしても厳しすぎると感じる。

これはルール違反を許容するという意味ではなく、罪に対して罰があまりに大きすぎるという意味だ。

罰を与えても構わないが、人生を大きく左右するような罰を与えるのはやりすぎだという話である。

速度違反で死刑という処罰が下されるとしたら罪が重すぎると考えるのと変わらない。


自業自得


自業自得。

たしかにそう。正論だ。

だが人は誰しも過ちを犯すものじゃないだろうか?

実際、僕はこれまで何度も過ちを犯してきた。


飲酒、喫煙、不良的行為といった類ではなかったが、失言や軽率な行動などは数え切れないほどしている。

今でもしょっちゅう記憶がフラッシュバックし、なぜあんな馬鹿なことをしたのだろうと後悔する。

それが宮田選手の場合は喫煙と飲酒だった。


僕は喫煙も飲酒もしたことがないから彼女の気持ちはわからない。

ただ失敗のレベルでいえば、彼女の行為よりはるかに馬鹿げたことを何度もしている。

もし彼女と同じ状況であったとしたら彼女と同じことを、いやもっととんでもない失敗をやらかしたかもしれない。

少なくとも僕は彼女を批判できるような立派な人間ではない。


過ち


第三者があとから過ちを指摘するのは簡単だ。

そんなことは小学生でもヤフコメ民でもできる。

だが人間はえてして客観的に考えれば不合理な行為をしてしまう。

若いうちであればなおさらだ。

僕なんて30代半ばの今ですら、ほんの数時間前の行為をよく後悔する。

よほど悪質な行為であれば話は別だが、今回の事例がそこまで悪質だとは到底思えない。


「4年後にまた挑戦すればいい」と気軽に言うが、4年後に今と同じパフォーマンスをできる保証などどこにもない。

とくに女子体操選手のピークは10代後半と言われる。

今回が人生で最後のチャンスだった可能性は決して低くない。


僕は大学受験の失敗を今でも思いだして後悔する。

受験の夢を今でも年に数回見る。

たかだか大学受験程度でそうなのだから、オリンピックともなればその後悔は計り知れない。

幼い頃からすべてを捧げてやっと辿り着いた夢の舞台が、小さな過ちで台無しになるのだから。


実力が足らなかったのなら、ある程度は諦めがつく。

だが実力以外の部分での失敗が原因であれば、いくら悔やんでも悔やみきれないだろう。

受験に例えるなら、学力では十分に合格基準に達していながら試験日を間違えてしまったようなものだ。

たしかに本人の責任ではある。

だがその努力や悔しさを思えば「自業自得」なんて言葉はとても出てこない。


出場辞退の影響


体操には団体種目もあるという。

出場辞退となれば彼女一人でなく、周りの選手にも影響を与える。

宮田選手の立場からすれば、その罪悪感は想像を絶するものだろう。


これは勝手な推測に過ぎないが、周りの選手からしても彼女に出場してもらったほうが良かったのではないだろうか?

厳重注意で済ませておけば最小限に抑えられた周囲の選手への影響が、厳しい処分のせいで却って大きなものになっているのではないだろうか?


人生で一度しかないかもしれないチャンスを奪い、さらに莫大な責任と罪悪感を19歳の女性ひとりに背負わせる。

たかだか飲酒や喫煙がそれほどの罰に値するとはとても思えない。

どう考えても罪と罰が釣り合っていないように感じる。

これを妥当だと思える感覚が僕にはわからない。

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