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伝わらないのは誰のせいなのか?

前回の記事で話したように、伝わるように努めることは重要である。

ただし「伝わるように努める」とはあくまで自戒的な言葉であり、受け手側の怠惰や開き直りを正当化する言葉ではない。

ちょうど「有名税」や「お客様は神様」が自戒的な言葉であり、誹謗中傷者やワガママな客を正当化する言葉ではないのと同じだ。


1.それってあなたの願望ですよね


「本当に賢い人はもっとわかりやすい表現をするんだよなぁ」

こんなセリフをよく目にする。

だがこれは願望から生まれた俗説に過ぎない。

たとえば大学や図書館にちょっと足を運んでみれば、反証例がいくらでも見つかるだろう。


わからないことは決して恥ではない。

だが自分の理解能力のなさを棚に上げ、「わからない」と声高に主張し、安易に表現者を非難する人間は恥知らずである。

粗筋や登場人物の名前を平気で間違える。自分が理解できていないだけなのに、「難しい」とか「つまらない」と断じる。文章自体がめちゃくちゃ。論理性のかけらもない。取り上げた本に対する愛情もリスペクト精神もない。自分が理解できないのは「理解させてくれない本のほうが悪い」と胸を張る。自分の頭と感性が鈍いだけなのに。

豊崎由美『ニッポンの書評』光文社.

2.伝わらないのは誰のせい?


「伝わらないのは受け手側に理解能力がないせいだ」

「伝わらないのは発信側の伝え方が下手なせいだ」


両者の主張は一見すると正反対に見える。

だがその思考回路は共通している。

他責的なのだ。


むろんどちらの言い分も現実に正しい可能性はある。

ただしその判断が誤りであれば自省の機会を失うことになるだろう。


3.自責感


ここ最近はやたらと"自己肯定感"がもてはやされるようになった。

「あなたはそのままでいいんだよ」

そんな無責任な言葉に多くの称賛が寄せられる。

自責感があたかも悪いものであるかのように扱われている。


だが自責感を失った人間ほどタチの悪いものはない。

自らを責めることを忘れた人間はまたたく間に独善に陥る。

健気だった弱さは卑劣な弱さへと変貌する。

あらゆる不幸の原因を自分以外のなにかに見出すようになる。


4.他人の目


毒がまわっている人の特徴は、何でもやりすぎるということです。

吉本隆明『真贋』講談社.


他人の目は毒にも薬にもなる。

他人の目を絶対視すれば固有の感受性を失ってしまうが、完全に無視すれば自責能力を失ってしまう。


優れた表現者は自分の感受性を大事にしているが、同時に他者の目もつねに意識している。

自信と不安が互いに睨み合い、自己愛と自己嫌悪がしのぎを削っている。

こうした不安定な葛藤を通して生まれる繊細な表現は、確信を持った精神からは決して生まれない。


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