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シャルレ二番館の闘いたい学生

古く煤けた畳のうえに大の字に寝転がってみる。もう1週間近くまともに外に出ていない。
辺りにはこれから学ぶであろう、
学科のカリキュラムに関する本が散乱していた。

ここはシャルレ二番館。

急勾配な坂道を登りきったところにぽっかりと出てくる昔ながらのアパートだ。濃紺の外観と特徴的な出窓が目立つ建物だった。

京都らしい風にたなびく竹藪もとても好きだ。

窓の外からは屋根に雨粒が叩きつける音が、
響いている。

この部屋にはテレビもゲームもない。 

大学進学をきっかけにこのシャルレ二番館に越してきたから、部屋のなかは雑然としていた。

大学の講義がなくなった今できることは、
部屋のなかでの空想と勉強だけだ。

長かった浪人生活を抜け、
この春からようやく念願の大学に通う筈だった。桜が舞い散るなか、正門をくぐり真新しいスーツに身を包んで憧れのキャンパスライフを送るはずだったのに…

やりきれない気持ちが、胸のなかで騒つく。

「くそ…」と寝返りを打ちながら小さく呟いた。

あまりにもやりきれない気持ちだったので、
かつて人類を恐怖に包んだ天然痘の歴史について色々調べてみた。

今流行ってるコロナみたいに、むかしも天然痘に苦しめられた時代があるのだ。
今はむかし平城京から平安時代
高位貴族たちが権力を奮っていたころ
街中には天然痘が流行っていたらしい。

天然痘は今のコロナウィルスのように40度近くの熱が出て、呼吸不全に陥るような怖い病気だったそうだ。昨日まで元気だったひとが突然病を発症し、バタバタと倒れる。そのことにびっくりし、看病していた人までも天然痘を発症しいつしか同じように苦しみもがきながら亡くなる・・

そんなあまりにも猛威を振るう天然痘を恐れた聖武天皇は、奈良に東大寺と奈良の大仏で知られている盧舎那(るしゃな)仏像を作ったらしい。

その当時はいまのような医療技術も発展していなくて皆が神様にすがるような気持ちだったに違いない。仏殿を創ったうえで日本では陰陽師などにお願いをして、神に祈るような気持ちで祈祷をしたのだろう。

どんな貴族の人たちも、猛威を振るう天然痘というウィルスの前には成すすべもなかったのかもしれない。平安時代猛威を振るった天然痘。

成すすべもなくただ、時が過ぎるのをじっと待っていたのだろうと推測するといまこうして自宅待機をしている状態とさほど変わらない部分もあるのかもしれないと思った。

天然痘のワクチンを開発したのはそれから随分と経った頃のことだったそうだ。

18世紀ごろイギリスの開業医エドワード・ジェンナーが牛痘というワクチンを人間の体内に入れたことがきっかけだったそうだ。

その前から天然痘に一度かかった人は、二度は罹らないことを突き止めた医学者たちが天然痘をそのまま人体に入れるという方法を取り始めていた。しかし、2%にも及ぶ多くのひとが命を落としていた。

それを知ったエドワード・ジェンナーはこれではいかんと、他の方法を探し始めたそうだ。そのころジェンナーの住んでいた田舎では牛の乳しぼりをしていた少年が自然と牛の天然痘にかかり、その結果人の天然痘にはかからなかったという噂話を聞いていたそうだ。

そこから自分の召使の少年に牛痘を入れてみたところ、少年は多少気持ち悪さを訴えたものの特別異常はなかったと聞いた

天然痘撲滅にはこんな歴史があるのだ・・・

そこまで読んだところで、俺は再び寝返りをうち、このコロナウィルスに対峙するワクチンが出来るのはいつの頃になるだろうと思った。

自宅待機を国から要請されるということは、それほどこのウィルスは未曽有でワクチンを開発するまでは未知数な問題が山積みだという証拠なのだと思った。

それでも・・・何度も人類はこのパンデミックの危機を乗り越えてきたではないか。

そうして再び俺は煤けて色の変わった畳のうえに寝転んでみた。

いま出来ることは・・・

こうして部屋のなかで鬱々と過ごすことではなく、こうして部屋に籠っていることで、
もしかして誰かのいのちを救えているかもしれないという事実を感じることなのかもしれない。

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