年の瀬のみかん
「お母さーん、みかん取って」
娘の言葉でハッと我に帰った。
気づけばもう今年も残りわずか。
テレビでは年の瀬の特番がしきりに流れ、
いつも行くスーパーのレジではお正月前のタイムセールの音楽が流れていた。
街全体が忙し(せわし)なくソワソワしているように思える。
私は台所に置いてあるみかんをひとつ、
炬燵の中でゲームをしながら寛いでいる娘に1つ渡すと、
「お母さん今日の夕飯の買い出しをしてくるわ」と娘に伝え外に出た。
厚手の濃紺のダウンジャケットを羽織り、
ジッパーで前を閉めて、白い毛糸の手袋をして
いつものように自転車でスーパーに向かった。今日は北風が冷たい。
自転車で走っていると、風の冷たさが頬にあたる。集合住宅地をぬけ、いつもの団地に寄ると木枯らしのせいか枯れた葉っぱが沢山落ちていた。木ももうすっかり冬支度なのだ。
自転車置き場に自転車をとめ、
いつものようにトントントンと古びた階段を3階分ほど上がるとそこには
「一戸(いちのへ)」とかかれた、年季の入った木の小さな表札があった。
「お母さん、きたでー」
いつもの日課になっているせいか、何の疑いもせずに腰の丸くなった眼鏡ブチの女性が出てくる。私の母だ。
相手が誰か確かめもせずに、いつも扉を開けるので無用心だと怒るのだが母は一向に直そうとしなかった。
「やすこぉ、よぉ来たな。寒いからはよ入り」
そう言われると怒る気もなくなってしまう。
5年前に他界した父と暮らしたこの思い出の公営団地で、母はもう30年以上くらしていた。
70歳を優に超えた母は、買い物が負担になるだろうと週に2回こうやって買い物する前には
家によって買い出しリストをもらってくるのだ。
携帯を持てば?と話したこともあるが、
最近の機器に疎い母に、携帯はよく分からないものらしく、結局こうして買い物と買い物あとに実家に寄るのが日課になってしまっていた。
ただ、そんな母も花だけは、
どうも自分で買いに行っているらしい。
自宅の隅に置かれた小さな仏壇の横には、
和かに笑う父の遺影と共にいつも花が飾ってあった。
季節に応じた花を週に1.2回買ってお仏壇に備えるのが母の日課らしい。
背中も丸くなり杖をついた体で、
えっちらおっちらとスーパーにきっと花を買いに行ってるのだろう。
お茶を用意してくれている母の丸い背中を見ながらそう思った。
父と母は娘の私でも感じるくらい仲がよく、
おしどり夫婦と呼ばれていた。
どこに行くにも母は、父の後ろをついて回り嬉しそうにしていた。
決して言葉数の多いわけではなかった父も、
母のことは可愛くて仕方なかったらしく、
母が手袋をしてくるのを忘れてくしゃみをしたときも
「ん!」と言ってぶっきらぼうに自分の手袋を貸すような父だった。
母は父を亡くして5年
毎日のように仏壇に語りかけているのだ。
「やすこぉ、みかんようけお隣さんからもらったさけ、食べて帰りや。」
昔ながらの京都育ちの母はそう言って
炬燵の中で寛いでいる娘の私に向かって、
みかんを1つくれた。
年の瀬のみかん
そのみかんを眺めながら、
今年1年家族が無事に過ごせたことに想いを馳せた。
「お母さん、また年明けたらお父さんに会いにいこうか!」
そういうと洗濯ものを畳んでいた母が、私の方を振り向き嬉しそうに
「それはええねぇ、あの人もあんたが来たら喜ぶわ」と言った。
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