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迫り来る「あの頃はよかったな」マインドと江戸東京博物館

世界でいちばん大好きな博物館、江戸東京博物館が4月から長期休業に入ると知り、激烈な衝撃を受け、悲しみに打ちひしがれている。

日本史が好きなわたしに、「きっと喜ぶよ」と母が初めて連れて行ってくれたのは、17歳の秋。
「度肝を抜かれる」見本のような体験をし、ここに住みたいと願ったし、本気で将来働けないか考えたりもした。

大学受験が終わったご褒美に、友人と企画展・常設展を6時間かけて見学したこともいい思い出だし、江戸東京博物館のおかげで歴史学を学び、学芸員資格も取得した。

最後に行こうとしたのは震災直後の大学時代。
何もかもうまくいかない日に、江戸東京博物館に元気をもらおうと向かう道中、まさかの休館日と知り泣いた記憶。

そして、コロナになる直前。
お互い地方から東京に集合して遊んでいた親友と、「次は江戸東京博物館で五箇条の御誓文を見よう」と約束してから早2年。

江戸東京博物館、令和7年度まで、工事するそうな。
つぎに行けるとき、やすこ、もはやアラサーじゃ済まない。
いつでも行けると思っていたら、すごく遠くに行ってしまった。
もう、わたしが、工事したい。


着ていた服さえ、覚えている

「あの頃はよかったな」と過去を振り返ることが、癖になっている。

もちろん、江戸東京博物館に初めて行った日、着ていた服まで記憶していて、もれなく「あの頃はよかったな」と思ったところだ。

「あの頃」とは今から数年前の自分を指していて、「あの頃」「あの頃」「あの頃」の繰り返しで、結局いつだって過去を振り返っている。

その時その時で、悩み、苦しみ、病み、太り、楽しいことばかりではなく、辛いことももちろんあったのに。
なぜかいつだって、今よりも過去の自分を羨んでいる。


結局いまの自分も「あの頃」になる

最近気が付いたが、毎年、毎月、過去の自分を「あの頃」と羨望するならば、近い将来、いまの自分も「お前はいいな」と思われるのでは。

いっぱい存在する「あの頃」は、それぞれによかったなポイントがあって、順位があるわけでもない。

「あの頃」は何しても太らなかったとか、「あの頃」はMMKモテてモテて困っちゃうだったとか(だまれ)、「あの頃」は仕事が楽しくなってきた頃だ、とか。

アラサーのいま、生クリームのことをまいにち考えて、たまにnoteを書くこの日々を、「あの頃はよかったな」とうっとり思い出す日がいつか来る。

どうせ来るなら、いまのわたしは、しあわせなはず。いつだってどうせ、しあわせなのだから、小さなことで悲観したり悩んだりはやめて、ハッピーに生きよう。

「思い出迷子は負けの始まり」
東京事変もそう歌っていた。

きょうが、いつか素敵な「あの頃」になるように、あしたからも、えいえいおー!だ。

江戸東京博物館。
またあなたに逢える日を楽しみに待ってさようなら。

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