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わたしの心を締め付ける綿の水分があるうちに、

本当なら出産の話をとっとと書くべきだし、それをできれば先に書きたいのだけれど、どうしても今のうちに書いて覚えておきたいことがあるので、今日はちょっとドバイ生活にはあまり関係のないことを書きたいと思います。
この、まだ生々しさが残る気持ちがあるうちに。

ご存知の通り、現在ウクライナとロシアで激しい衝突が起きています。

ドバイは一見きらびやかでとても平和な街に見えますが、日本のように海に囲まれ海に守られている国とは違って陸続きのヨーロッパに限りなく近く、そのため中東にはヨーロッパ各地や東南アジア、アフリカ、ロシアからも出稼ぎ労働者が多く暮らしていて、しかしながらまわりの国には火種も多く、結果として日本に住んでいた頃よりも内戦や戦争などの話題には近く、ある程度の年月住んでいると、よく政治や宗教、信条や戦争の話に接する機会が多いというのが現状です。

このブルジュハリファも例外に漏れず、たくさんの国籍や人種が入り乱れて暮らしていて、もしくは働いていて、身内を爆撃で亡くした方もいれば、戦地から逃れて来た方もいて。今までさまざまな話を聞いてきました。

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そんな中、
昨日、娘がブルジュハリファでいちばん慣れ親しんでいるコンシェルジュの女性がウクライナ出身であると知ったのですが、朝はまだどうにか彼女に笑顔があったけれど、娘を送り届けた後には号泣していて、昼前には憔悴して早退して行き、現在もどうやら仕事をお休みしている様子で。彼女のアカウントを覗いてみたら、心の底からの声が表されていました。

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また、今日は娘のクラスメイトとそのお母さんと一緒に遊ぶ機会があったのですが、彼らはロシアの出身だったことを知り、お母さんは今にも泣きそうな顔で「わたしは戦いなんて望んでいない」「わたしたちの国とウクライナは元はとても親しい国同士だったのに、今は非常に難しい関係性の中にある」と、絞り出すようにそれについての心情を話してくれました。

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そんな彼女たちの姿を見ていると、
わたしはもちろん戦争なんて反対だけど、上のような方々に" 戦争反対 "などとはとてもではないですが軽々しく言えなくなってしまいました。なぜならば、それらの事象には実にさまざまに複雑な理由が入り組んでいて、解決する方法などさっぱり思いつかないからです。でも、もちろん、それだからといって武力行使は絶対にあってはならないのだけど。

しかし、言葉に窮している中でもたったひとつだけ言えるのは、
こんなにも人類は長い時間を経て、繫栄と文明の発展、そしておそらくは進化も多少なりともしてきたであろうに、いまのところ、平和は残念ながらまだ永久といえるものではないし、いつ日常が突然変わってしまってもおかしくない、というのが世界情勢というものなんだろうな、というところで。

なぜなら、世界がひとつの国であれば、中心となる方々が統治すればよいだけの話になるのだけど(しかしきっとそれが現実となれば、そんなに簡単な話ではないのでししょうが、あくまでここでは雑な例えでの話とします)、現在さまざまな国という単位で、かつ、それぞれに統治する人がいて…ということになると、その国それぞれの考え方があり、信条があり、それぞれの利害や統治手法がある以上、思想の合致は友好となるけれども、逆に思想の違いは争いの種となるので、わたしにはどうしてもそれに関しては共存と衝突は繰り返されるものだというように感じてしまうのです。


昨日まであったいつもの日々が、突然大きな音を伴って消え去る。

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これについては、決して遠い異国での他人事ではなく、ドバイの場合だと隣の首長国であるアブダビ(UAEの首都。ドバイからは車で1時間半程度で着く近さ)には、先月イエメンのフーシ派からのミサイルが落ちたばかりなので、正直気になっているところであり。できれば、願わくば、叶うならば、争いなんて想像したくないし、そうなってほしくないことではあるのだけれど。

でもなんだか、今年は年明けからとても騒々しさを感じています。

今日は、クラスメイトのお母さんが帰り際に小声でぽつりと、
「ロシアは世界中の嫌われ者になっちゃったわね…。わたし、母国へ帰ることができるのかしら。ロシアに残してきた家族が心配なの。この戦争はとても、とても悲しいことよ。あなたはどう思う?でもね、わたし、日本が、あなたのことがとても好きよ。」と呟いたのですが、わたしはどうしても何も言う言葉が見つからず、ようやく最後に絞り出した言葉は、自分でもこれでよかったのか、今でも少し、複雑な気持ちになるものでした。

「たしかにこの争いは悲しいよ。でもわたしたちは人種や国籍を超えて、ひとりの母親として命を産んだのだから、それを育み続けなければならないの。そしてそれは今、女性だけが持っている特別な使命だと思います。」


…わたしは、彼女の心に、少しでも寄り添えただろうか。

ついさっき、子供たちが眠っている寝室を覗いて、自分の顔を彼らの顔に近づけて見たら、ほんのり甘いミルクのような香りがして、胸が少し締め付けられる気持ちがしました。


彼らが大人になったときに、今よりも少しだけ、ほんの少しだけでも、生きやすい世の中になっているだろうか。そうであってほしい。できるなら。


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