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「流星ひとつ」沢木耕太郎

初版 2016年7月 新潮文庫

あらすじ
何もなかった、あたしの頂上には何もなかった―。1979年、28歳で芸能界を去る決意をした歌姫・藤圭子に、沢木耕太郎がインタヴューを試みた。なぜ歌を捨てるのか。歌をやめて、どこへ向かおうというのか。近づいては離れ、離れては近づく二つの肉声。火の酒のように澄み、烈しく美しい魂は何を語ったのか。聞き手と語り手の「会話」だけで紡がれた、異形のノンフィクション。(アマゾン商品紹介より)

また長くなって、言いたいことぼやけるかもしれないからはじめに言っとくけど、
インタビューによって一人の人間の絡まった心が浄化されていく様子が、
ライブ感覚で伝わってくる。ボケもツッコミも笑いも計算も駆け引きもない。
ただのまじめな会話の中から、烈しくも透明な魂が浮かび上がってくる。
それは、儚くも美しい、奇跡のような二人の時間だった。
そして本書との出会いは、私にとって素敵な読書体験だった。

本作は、あらすじにあるように、
1979年秋、ホテルニューオータニ40階バー「バルゴー」にて行われた一夜のインタビューを地の文章なし、会話文のみで一冊にまとめたものだ。
当時、藤圭子28歳。沢木耕太郎31歳だった。
冒頭、藤圭子は
「インタビューなんて馬鹿ばかしいだけ。同じ質問をされるから、同じ答えをするしかないんだけど、同じように心を込めて二度も同じようにしゃべることなんかできないじゃない。あたしはできないんだ。心の入らない言葉をしゃべるのって、あたし、嫌いなんだ」
と先制ジャブを繰り出す。
それに対し、沢木は
「本当のインタビューというのは、相手の知っていることをしゃべらせることじゃない、と僕は思っているんだ。すぐれたインタビュアーは相手さえ知らなかったことをしゃべってもらうんですよ」
と、応戦する。
「あたしも、自分の知らなかったことをしゃべらされるわけ?」
「ハハハッ。さあ、どうだろう。それはこちらの力量にかかっているんだけど・・では、始めるとしますか」
「うん、いいよ。ちょっと恐いけど・・」
こんな感じで始まるんだけど。もう、わくわくするでしょ?
この先の詳細は読んでのお楽しみということで。
あとはざっくりした私の解釈で内容説明すると。
ようは28歳で引退を発表した藤圭子の「本当の理由」を聞き出すことがこのインタビューの主旨なんだけど、それは見事に成功している。
一応、世間的には「歌手とは違う人生を生きてみたくなった」と説明していたようだけど、週刊誌では再婚説、肉親関係の摩擦説、事務所トラブル説などが踊っている只中で。
それについては事実無根のでっち上げと藤圭子は説明し、沢木はあっさり納得する。
話題は辞める理由からいったん離れて、生い立ちから聞いていく。
最初のうちは、「知らない」「覚えてない」「別に」と、
何を聞いてもぼんやりとした答えが返ってくるだけで。
私は沢尻エリカを思いだしちゃったけど・・・
沢木も「欠陥品ですねえ、あなたの記憶装置は」なんてあきれて。
しかしそれはどうも本当のことで、別にふてくされてるとか、怒ってるとか、そういうことじゃないということがわかってくる。
若いころは無心というか、無欲というか、何も考えずに行動していた、そこが良かったと。
ある程度経験していろんなものが見えてきたことで、怖くなった。歌えなくなったと。
それがどうやら「本当の理由の1つ」のようだ。
(もう一つ決定的なのがあるんだけど、それはほんとに言わないよ~)
で、まあようするに、その「無心であることが良い」というのが藤圭子独特の哲学で、無心でいられなくなったから辞めるというわけ。
藤圭子は早咲きだったわけだから、もう23歳ぐらいからそういう状態だったと。
まあ、言ってることはわからなくもない。
沢木もわかると、一度は受け止めるものの、しかしと反論する。
「確かに、何も見ないで走っているとき、その人は強いよ。特に、走り始めたばかりの人・・つまり、その世界の新人には、あたりを見回している余裕なんかないから、風景も眼に留めずその世界を走り抜けることができる。だから、新人は、ある意味で強いわけだ。しかし、やがて、その新人にだって、風景が見えるときがやって来る。あなたの理論では、そのとき、その新人・・もう新人ではないけど、そいつは駄目になってしまう。もしそうだとしたら、誰でも新人の時代が終わったら駄目になるということになってしまうじゃないですか。技術とか技能といったものが磨かれるということが、ありえなくなってしまうじゃない」
「人の場合は知らないよ。あたしは、あたしの場合はそうだと言っているだけ」
「誰でも、初めの頃はひとつの方向に集中しているものだと思う。でも、5年、10年と続けていくうちに、どうしても拡散してくる。それはどうしようもないことだと思うんだ。しかしね、その拡散した後で、もう一度集中させるべきなんじゃないだろうか。もしそこで集中できれば、新人の頃とは数段ちがう集中になるんじゃないだろうか」
「そんな、仙人みたいなことできないよ」
と、沢木はただインタビューするだけにとどまらず、時に、率直に自分の意見をぶつけ、
相手からも率直な感情を引き出す。素敵なやり取りだと思う。
そして、ここにインタヴューだけじゃない、コミュニケーションの本質がある気がする。
だが、昨今の世間一般では、とかく否定を否定する。人とのコミュニケーションは肯定するのが良い。意見や議論など必要ない。自分自身に対しても自己肯定感が高いのが良く低いと悪いとか。すべては肯定欲求と承認欲求によって成り立つ。
私は常々そこに異を唱えたいと思っているのだが・・
それ語りだしたら長い脱線になりそうなのでここは控えておこう。
で、沢木も何とか辞めるのを考え直せないかと、言うことは言って、
藤圭子の意思も堅いとわかると
「歌をやめるというあなたに、もう余計なことをいう必要もなさそうだな。あとは健康で、頑張って。次の何かをまた見つければいいんだろうな」
「うん。そうする」
と締めくくられる。
そしてこれ、「あとがき」がまたいい。実は、本文よりあとがきでウルっときた。
1979年当時、このインタビューは書籍として出版する予定だったけど
冷静に考えて出版をお蔵入りにすることにしたんだそうで。
その理由というのが、藤圭子にしてみれば一大決心なんだけど、まだ28歳だったわけだから、もしかして10年後とかに考えが変わって復帰したくなった時に「あの時あれほどまでの決意を語っていたのに」と非難されたりするかもしれないと、要するに新しい人生を切り開いていこうとする藤圭子にとって、この作品は邪魔にしかならないと思ったということと。
沢木も31歳という若さで、ノンフィクション作家として野心に満ちていて、本作も会話だけという画期的な方法論により作品タイトルも「インタビュー」とし、新潮社から書籍化することが決まっていたのだが、
しかし、そのアイデアに陶酔し、方法論のために藤圭子の引退を利用しようとしているのではないかという思いに駆られてしまったこと。
以上主に2点の懸念から出版を思いとどまり、新潮社と藤圭子にその旨を伝え、了解を得たうえで沢木自らお蔵入りにすることにした。と。
しかし・・
2013年8月、藤圭子は新宿のマンションの13階から投身自殺をした。
娘、宇多田ヒカルと元夫宇多田照實氏のコメントが発表され
「藤圭子、謎の死」は、精神を病み、永年奇行を繰り返した挙句の投身自殺、という説明で落着することになったのだが・・。
しかしそれでは忍びないという思いに駆られ、約30年の時を経て書籍化することになったという。タイトルを「流星ひとつ」に変えて・・。
それは沢木にとって、藤圭子の墓に手向けることのできる一輪の花のつもりであった。と。


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