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学校〜不登校〜選択の義務〜名前のない気持ち

noteで記事を書き始めたのは、安部元総理が銃弾に倒れた事件が世間で取りだたされている時に、思いが溢れて一記事書いたのがきっかけでした。

その時は記事には誰からのなんの反応もなく。


放置していたら、思いつきで書いたちょっとした記事に反応してくれた方が一人いて。

そのことがきっかけとなり、noteの世界でコンスタントに記事を上げたり、他の方の記事に反応したり、していく姿勢ができました。


そして、ちょこちょこ記事を書いているうちに思ったこと…。


自信が持てない!!!!!!


自分が伝えたいことと、書いた内容が解離している感じがいつまでも拭えず…。(大げさ)

公開した後に何度も編集を繰り返し、終いには思いあまって削除してしまったり。(すいません💦)

本当にを読んでもらえてるのだろうか…。
人間不信のきらいがまた出る…。

しっかりしろ、自分!!!!!!
と、いうことで、朝から心機一転パソコンに向かう🙇

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続 不登校について。

次女と長女の不登校について前記事上げたのですが、消してしまったので、それはどうにかして復刻するとして💦

まとめると、次女は、小1の時の不登校時期を経て、今は小5になり、それなりに学校という場所を泳いでいる。

長女は、中学校に入っって、黄金連休が終わったころから、朝に行き渋りを見せるようになる。

そして、今週月曜日以外の四日間を、続けて休んでしまった。

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学校

という名の水槽の中に入れられる者たち。

その水槽に子供たちを、入れる義務を持つ者たち。

その義務は入れる者の側(親)にあるものではない。

どんな境遇の子供であっても、学校に通えるようにする、国の義務なのだ。

そこで、行かない、という選択をすることを、認めるのも、国の義務になる。

………。

変わって、夫婦別姓。

国は全く認めようとしない。

ずっと、夫婦同姓と別姓を選べる制度に改定するかどうかを議論している。

素直に選択の自由を与えればいいと思う。
そうすることで、この国で暮らす者たちの気持ちが豊かになるとは、思わないのかな?

戻って、学校に行くか行かないか。

ここには、選択の自由が実はある。

「通いたい」けど金銭面や環境面を理由に「通えない」という子供を作らない義務が国にあるだけ。

そこで出てくる、心の問題で「通えない、通いたくない」という気持ちを認める義務もそこにはある。

夫婦別姓は認められていないけど、学校に通いたくなくて、心を痛めている子供たちの存在を国はもっと素直に認めなければいけないと思う。

次女が小1の時の担任の先生は、学校に行かなきゃいけない、でも行けない。という次女の気持ちを全く汲んでくれなかった。

毎日、電話越しや玄関先で、明日は行く、という約束を無理やりさせられていた。

そして、次の日の朝も行けなくなっている次女に、電話越しや玄関先で、昨日行くって言ったでしょ?と、約束を破ったことへの罪悪感を植え付ける。

行き渋りによる、遅刻早退欠席が続いて、半年。

教室に入れずに、入り口に佇む彼女と私を、先生は無視して授業を続け、急に廊下に出てきて怒鳴った。
「М子ちゃんだけの授業じゃないんだよ!」
「ねえ、がんばろうよ!みん頑張ってるよ!」
「ねえ!」
と、怒鳴って、娘の手を引っ張った。
子供は声をうまく殺せずに、苦しそうに泣いていた。


義務もへったくれもあったものではない。
教師もへとへとではないか。

子供と私は傷ついて、近くの観音様へお参りに行った。


「行けない、できない」者たちが抱える、言葉にできない気持ちがある。

それを国が理解して受け入れないと、末端にいるものたちが、守らなくてもいいくだらないものを守ろうと躍起になって傷つけ合ったりする。

安倍総理の発言の真意を守るために、何人の人々が嘘や隠蔽を侵して、何人の人が傷つき、星になったのか。

心が痛い。

夫婦別姓も不登校も。





理解しなくてもいいから受け止めてほしい。


そんな名前の持たない気持ちたちが、
この国の空にあふれてる。


合掌。

@スター@




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