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2018年12月の記事一覧

須田さんを必要としない歳になったあたし😎🐧NEW🐧

須田さんを必要としない歳になったあたし😎🐧NEW🐧

この雑文は音声入力で書いているのだがSidiがバカなのでよく誤変換を起こす。漢数字の一が特に苦手でこのように漢数字で一を入力しようとするとこの1が出てしまうのである。それでこのノートのタイトルは英文表記でIssei Sudaとさせていただく。夫また変換ミスですね。 須田さんに初めてお目にかかったのは 1966年の4月29日。場所は皇居であった。昭和天皇の誕生日のその日なのである。私はその時に撮影し

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デジカメは15年前のモデルで10分である。エプソンRD1を持って冬のヨーロッパを取り歩いた。原稿用紙5枚😎📷NEW📷

デジカメは15年前のモデルで10分である。エプソンRD1を持って冬のヨーロッパを取り歩いた。原稿用紙5枚😎📷NEW📷

手元にあるフイルムカメラは60年とか70年の古いやつだが手元にあるデジタルカメラも15年前のやつである。それで別に不便はしていない。ただし仕事の時はクライアントに迷惑がかかるからレンタルするのである。私が老人であるから普段使うには同じ時代の古いカメラの方がなんとなくしっくりくる。

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オリンパスワイドの正しい使い方😎原稿用紙5枚📷NEW📷

オリンパスワイドの正しい使い方😎原稿用紙5枚📷NEW📷

 1950年代後半にワイドカメラブームの元になったカメラがこれだ。当時の日本はまだ新しい日本を良くしていこうと言う真面目な考えがあったから社会の不正をただし少しでも良い国づくりをしようと言う考え方があった。それでリアリズム写真が流行したのである。半世紀以上前の話だから今とは世の中の風潮がかなり違いますね。

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1988年12月24日ハリネズミ昇天日30周年。😎🐧NEW🐧

1988年12月24日ハリネズミ昇天日30周年。😎🐧NEW🐧

うちのハリネズミが昇天して30周年になるのでここらでハリネズミのことを書くのはやめようと思う。ハリネズミを飼っていたのは80年代終わりの2年か3年に足りない時期なのである。当時はまだハリネズミの黎明期であって獣医さんに連れて行くと珍しがられてもっと見せてくださいと言われた。真面目にハリネズミの話をしたのは坂崎幸之助さんと映画監督の羽仁進さんぐらいなものである。

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和久俊三さん10月10日ご逝去88歳

和久俊三さん10月10日ご逝去88歳

和久俊三さん10月10日ご逝去88歳

 NHKでは和久俊三さんが亡くなったことを知った。光文社から出した書き下ろしの文庫本でカメラは病気と言うタイトルであったと思うがそこで和久俊三さんと対談をしたのである。

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コンポラ写真の神様フリードランダーに会う。1979 Facebookで179のいいねをいただく。🐥NEW🐥

コンポラ写真の神様フリードランダーに会う。1979 Facebookで179のいいねをいただく。🐥NEW🐥

アメリカの写真リーフリードランダーが大好きで。お付き合いが長いから彼の最初の自費出版は郵便のマネーオーダーで注文したのだけどなかなか来ないから問い合わせたらもうすぐ出ると言うことであった。彼のアドレスはニューシティーところなのであるそれまで New York City とばかり思っていた。これは1979年にオーストリアのグラーツで撮影した。天国にも昇る気持ちであった。

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田中長徳ブラパチワークショップでいろいろなことが判明した。町歩きの記憶と町歩きの現実って摩訶不思議で実に面白い。🦉12/11NEW🦉

田中長徳ブラパチワークショップでいろいろなことが判明した。町歩きの記憶と町歩きの現実って摩訶不思議で実に面白い。🦉12/11NEW🦉

昨年の10月からブラパチワークショップがスタートした。この前の日曜日で15回やったことになる。そして来年の1月13日に予定している新春恒例の開運フォトワークショップで16回目。ただし今年の11月には私は捻挫をしてしまったので1回休みになった。老人だからといって体に自信を持ちすぎてはいけないカメラも体も資源も大切に使いましょう。

木村伊兵衛さんの有名なスナップショットで本郷森川町の交番を撮ったとい

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佃日記 草稿 2003年5月1日ー 7月7日     原稿用紙200枚

佃日記 草稿 2003年5月1日ー 7月7日     原稿用紙200枚

5年前限定として300部出版された紙の本 田中長徳佃日記の続編を公開。

佃島への旅。リスボンへの旅。イスタンブールへの旅。

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