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【短編小説】フォーマルハウトの消えた空〈前編〉

「レシピだ」
 宿泊客の1人が差し出した2枚の紙きれをサッシャは笑顔でありがとうと言いながら受け取った。
「なんだそれは」
 ロビーの端で無表情に突っ立っていた思想矯正学士が突然いきいきと目を輝かせながら口を挟んでくる。
「ただのレシピですよ。こっちは材料のリスト。ほら、今度こちらのお客様と同じ出身の方がいらっしゃるでしょう?そのための準備です」
 思想矯正学士の濁った白目がぐるりと動いて点のような瞳がサッシャの顔に焦点を当てた。
「うまくできたら食べていってくださいよ」
 思想矯正学士の値踏みするような視線。レシピと言えど外部情報の不法入手である。だが彼らもハルの人間、配給食以外を口にできる機会は滅多にない。この男なら買収にのってくると踏んだサッシャはあえて何も言わず微笑みを浮かべ反応を待った。
「試作の手伝いなら応じよう」
 サッシャは静かにそして恭しく礼を返した。
 


 思想矯正学士はサッシャが退勤する前に監視任務を終え、宿から引き揚げた。
 情報統制学会にバレれば厳罰ものだが、うまい汁は与え続けるものだ。
「それ、つくるの大変だったんだぜ」
 レシピを手渡ししてきた宿泊客が部屋から顔を出した。思想矯正学士の前で渡させたのは無論わざとだ。秘密を共有させた方が情報漏洩を防げる。
「礼を言うわ」
「冗談さ。俺はあんたらハル人を不憫に思ったから協力しただけだ」
「不憫?」
「そう。この狂ったようにバカでかい装甲外殻都市ドームの中で科学だけを信じて生きているあんたらがさ」
「私達の社会的幸福度が低いというデータはあるの?」
「なんだいそれ?一にも二にもデータかい。正直、あんたがこの鋼鉄の城を出て魔獣を前にしたらどんな顔するか見てみたいよ」
「あなたの主観を取り除いた話がしたいだけ。それにどんなものを前にしても私は観察して解析しようとするだけよ」
 その時窓の外を玄関に向かう人影が見えた。
 夜間担当の警護学士が来たのだ。
 サッシャは男を自室に引き上げさせ急いで灯りを消し裏口からいつものように帰路についた。


 科学信仰国。それがこの装甲外殻都市ハルの他所での別名だと知ったのはつい最近の事だ。
 信仰とはよくいったものだとサッシャは思う。
 ほとんどの技術は既に500年前に失われ、今も失われ続けている。
 人々はスイッチを押せば灯りがつくことは知っている。
 薬を飲めば病気が治る事を知っている。
 だが何故灯りがつくのか、どのようにして病が消え去るのか。
 ほとんどの者が知らない。
 科学の遅れた他所のドームの人間との違いはそれが生む現象に慣れているかいないか、結果に驚くか驚かないかそれだけの事に過ぎない。結局のところ科学というラベルを信じているに過ぎないのだ。
 橙色に染まっていた街並みは青い夜の中に沈んでいこうとしていた。
 天井の太陽灯が照度を下げ、そこに投影されている外界の空は夜のそれへと刻々と移り変わる。
 サッシャは検問所につながる待機列に並んだ。
 この貿易特区内の情報や品物は個人的な理由で特区外に持ち出すことはできない。
 破れば法王の名のもとに下されるエリアHへの強制送還―全人格が破壊され、時には死に至るといわれる思想矯正が待っている。
 サッシャの両親は10年前にそこへ送られ、以来二度と帰ってくることはなかった。
「パスを見せて」
 自分の番が回って来るのにさほど時間はかからなかったが、検問学士の顔を見てサッシャは焦った。
 目つきの鋭いいかにも堅物そうな三、四十代の男―いつもの当番じゃない。
 検問所の電子設備は生きている。見るのも希なOLEDディスプレイにサッシャの個人情報と持ち込み、持ち出しの品がこと細かに表示される。
 
  【サッシャ・ヴィオネ】
   貿易特区内任務
   宿泊施設運営
   
  【階級】
   法王直轄軍軍事学修士
   経済学士
   栄養学士
 
  【生年月日】
   865年12月1日

  【年齢】
   24歳
   
  【持ち込み・持ち出しリスト】
   バッグ
   特別配給カード
   特別支給化粧道具一式
   筆記用具一式
   ※全て持ち込み時チェック済み

「多才だな」
「ありがとう。見ない顔ね。シセは?今日は彼の当番じゃなかった?」
「彼は休みだ。風邪をひいたらしい。持ち物をテーブルに出して」
 サッシャは言われた通りに全てをテーブルの上に広げる。
 なんという事だ。この日を選んだ意味がない。シセならば特別配給品の酒を横流しするだけでよかった。
「なんだこれは。リストにないな」
 検問学士は2枚の紙きれを目ざとく見つけて言った。
「レシピとその購入品リストよ。明後日、外のお偉いさんが来るからもてなすのよ」
「持ち出しリストにないものは許可できない」
「でも練習しておかないと上手く作れないわ」
「規則だからな」
「わかった。マルティン…マテュー検問学士…ね。外周警護と兼務なのね」
 サッシャは男の胸の階級章を見ながら言った。
「…なぜ?」
「上にあげなきゃ。口頭だけど一応ね」
 検問学士は一瞬沈黙した。
「前任に話しは?」
「引き継ぎは?」
 サッシャは逆に質問で返す。
「…慣例ってやつか。いいさ、通れよ」男は折れた。
 サッシャは丁寧に落ち着いた物腰で持ち物をしまう。
 そして最後に接客で見せるいつもの笑顔を浮かべた。
「ありがとう」


 検問所の目と鼻の先、サウスゲートステーションにはすでに装甲外殻都市ドーム外環をめぐるオート・トロッコが停車していた。
 トロッコとはいえ風防もあり折りたたまれたイスを出せば長距離移動にも使える。
 無人で周回し続ける車両には人も荷も載せ放題。物流の主力である。
 目の前でゆっくりと動き出したトロッコにサッシャは飛び乗る。
 数分で隣のエリアA経済学ブロックに到着した。
 サッシャの住居はその沿線沿いの居住区にある。
 この地区は電力の供給システムが老朽化しており、もはや機能していなかった。
 天井に映し出された夜空の月明かりのみを頼りに薄暗い路地を歩く。
 真っ暗な自宅の2階、ベランダで人影が動くのが見えた。
 サッシャは静かに玄関のドアを開け、階段をそろりと上る。
 物音がした。
 忍び足で人の気配がする部屋まで歩み寄り、勢いよくドアを開け放った。
「お帰り。姉さん」
 弟のブレーズは夜空を見上げたまま振り返りすらしない。
「小さい頃は驚いたのにねえ」
 サッシャは大いに不満げな口調で言った。
 真っ暗な室内は開け放たれたガラス戸から入る外気で既に外と同じくらい肌寒い。
「帰って来るの見えたし。姉さん本当に直軍学会の会員なの?」
「あんたの目が良すぎんのよ。また天井見てたのね」
「今日は雲が少ないから星が良く見える」
「火星と木星が見えるわね」
「姉さんの好きなフォーマルハウトも見えるよ」
 魚座の一等星。南の低い空―控えめな位置で煌めく孤高さが好きだった。
「綺麗ね」
 刹那、その星空にノイズが入った。
 一部がモザイク状に乱れ、数瞬後持ち直す。
「偽物の空だけどね」
 ブレーズは星空を睨み付けて言った。
「映像だけどライブでしょ。完全に嘘ってわけじゃないんだから」
 ブレーズは首を左右に振った。
 その体がぐらりと揺れ、サッシャは慌てて支える。ブレーズの額に置いた手が熱かった。
「熱あるじゃない」
「いつもの事だろ」
「今日は終わりよ」
 弟をベッドに寝かせ、ガラス戸を閉める。
「姉さん…」
 ブレーズはサイドテーブルのガスランプを点け、枕の下から本を取り出した。
 父と母が遺した禁書だ。二人はおそらくこの本の内容に関する研究をしていて思想矯正所送りになった。
「…ムゥサはやってきた。
 一人の高潔な古代人との約束を果たすために。
 彼らは滅びゆこうとしていた種族全てを銀河中から集めてこの星に移住させた。
 滅びの精神的要因は封じられ、
 世界に遺跡が残り、
 魔獣は生まれた…」
「宗教はここでは最も触れてはいけないもの。もうそれにこだわるのはやめましょう」
「僕はこの一節が宗教的な思想だとは思わない」
 ブレーズはその本の挿絵を示した。
 それは星図。だが地球のどこにもない空だった。
 調べてもまったく架空のでたらめなものだとわかり姉弟で落胆したものだった。
「ここ」
 弟はその挿絵の端、数桁の数字の羅列そしてNのついた2桁とEのついた3桁の数字がなぐり書きで記されている部分を指さした。
「多分、母さんの字だ。羅列した数字は外界の日付で…このNとEは」
「北緯と東経だって言うんでしょ?ほんとは熱のない日に渡したかったけど…手に入ったわよ」
 サッシャがポケットからレシピと購入品リストの紙切れを取り出すとブレーズは飛び起きてそれをむしり取り、サイドテーブルにしがみついた。
「もう…これで終わりにするよ。その本に関しては」
 姉は優しく弟の体に毛布を掛ける。
 ブレーズは購入品リストを見つつ、ぶつぶつ言いながらレシピの特定の文字を塗りつぶしていく。
 そしてその作業が終わるやいなや両手で顔覆った。
「ほら、無理はだめよ?」
「…違うよ…姉さん…。見てよ。この購入品リストに隠された指示に従ってレシピの文字を黒く塗りつぶした」
 ブレーズはサッシャの目の前にレシピを掲げた。
 たしかに紙面には黒く塗りつぶされた文字が点在していた。
「本と同じだ」
 その点の配置はブレーズが示した本の挿絵と同じ形に見えた。
「これでこの挿絵の星図がこの座標から見える外の星空だって確認できた。つまり、この本に書かれている事の信憑性は格段に跳ね上がる。ムゥサがなんなのかはわからないけれど僕達は今地球にいないんだ!」
「何を言ってるの?」
「父さんと母さんはそれに気づいてた」
「ライブカメラの映像はどう説明するの」
「だから偽物なんだ。あれは過去の夜空の投影なんだ。地球にいた頃のね」
「でも配置は似たように見えるだけの事もあるわ。それにまた聞きじゃ実証できたとは言えない」
「そうだね。だから確かめよう」
「確かめるって…どうするのよ」
「外に出るのさ。防護服無しで」
 サッシャは絶句した。
「何言ってるの。外は生物兵器で汚染されてるのよ?少しでも外気に触れただけで死ぬのよ?」
 しかもただの死ではない。皮膚が分解され、呼吸器官が侵され、地獄の苦しみを味わいつつ死に至る。死体はもはや人の姿を留めてはいない。その死に様はハルの人間なら大人になるまでの間に必ず何度か記録映像として見せられ、心に深く刻みこまされる。トラウマになる人間すらいるのだ。
「それも嘘だよ。外には細菌もウイルスもいない。いるのは遺跡と魔獣と呼ばれる未知の生物だ。上のやつらは僕らが外に出ることを恐れている。一生この中で奴隷のように働かせたいのさ」
「それでも食べて…生きていけるわ」
「姉さんは真実を知りたくないの?」
「知りたいわ。でもこれ以上はやめましょう。危険だわ」
 弟は体が弱い。ハルの医学をもってしても治せない病にかかっている。貴重な時間を無理に縮める必要はない。
「実は面白い場所を見つけたんだ」
「あんた、その体で出歩いてたの?」
「まあね。1年ぐらいかけた。僕にしては焦らず時間をかけただろ?」
 呆れた姉にブレーズは1枚のメモを見せた。
「エリアAの装甲隔壁沿い。配管地帯の裏に隠れた気密扉がある」
 拡張工事の名残りである配管地帯は直径が1m以上の巨大な配管が蠢いている場所で普段立ち入る人間はいない。
「この気密扉は大昔の非常用連絡路への入り口なんだ。そこを上がれば外界へ出るための気密扉に辿り着ける」
 ブレーズはサイドテーブルの引き出しから粘土状の塊を数個取り出した。
「プラスティック爆弾。つくってみたんだ。闇市ってなんでも揃うね」
「嘘でしょ?」
 ブレーズは物理、化学に秀でた秀才だった。サッシャの6つ歳下だが飛び級での進学を繰り返し来年から博士課程に進む。
「あんたまさか気密扉を壊して中に入るつもり?」
「そのつもり」
 そういうとブレーズは激しく咳き込んだ。
 サッシャはブレーズに横になるよう促し、優しく布団をかけた。
「危険な事はやめましょう。あんたの体じゃ外に出る前に力尽きてしまう」
「姉さんがこれまで僕のためにしてくれた事には本当に感謝してる。軍隊に入って生活を支えてくれた。貿易特区に配置換えを志願して情報を集めてくれた。でもそれって姉さんも本当の事が知りたかったからでしょ?父さんや母さんがどうして連れ去られたのか、間違った事をしたのか、知りたかったからでしょ?」
 サッシャは言葉が喉につかえた。
 ブレーズの言う事は正しい。
 だが今やたった一人の家族であるブレーズに危険な橋を渡ってほしくないという思いもまた偽りのない本心だった。
 サッシャは弟を宥めるように微笑む。
「夜はやめましょう。良い考えが浮かばないから」
「…わかったよ」
 サッシャはガスランプを消し、ブレーズの部屋を出た。
 後ろ手に扉を閉めると同時に苦し気な咳が何度か聞こえた。


 今日の帰りの検問所にはいつもの男がいた。
「あら、シセ。もう具合はいいの?」
「ああ…」
「また遊び過ぎたんでしょ?」
「違うよ。具合が悪かったり報告書が溜まったり色々あってさ」
 いつもなら笑い飛ばすようなサッシャの軽い冗談をシセは受け流すことなく真面目に受け取った。
 瞬きの回数も多い。
 隠し事をしている。
 サッシャは持ち物をしまう際わざとそれを落とすアクションを利用して辺りをさりげなく観察した。
 特に不審な人間はいない。
 ゲートを出て、駅へと入る直前に振り向いて、ゲートを見つめ、笑顔で手を振る。
 さも検問所の向こう側に知人がいるかのように。
 見つけた。
 待ち合わせを装った男。見知った顔だ。
 サッシャはいつものように帰りのオート・トロッコに飛び乗る。
 男もついてきて二つ後ろの車両に乗った。
 思い出した。
 アルマン・マテュー。昨日の検問学士だ。
 胸騒ぎがした。
 プラットフォームに入り減速したオート・トロッコが停止しきらないうちに飛び降りる。
 やはりマテューもついてくる。そしてもう一人いる。さらに後ろ。思想矯正学士の制服。
 駅舎を出てすぐの十字路を家と逆方向に折れる。
 そこから手近な建物に入った。
 共同住居の階段を上り、2階から道を跨ぐ連絡通路へ進む。
 マテューと思想矯正学士が自分を見失って慌てているのが見えた。
 サッシャは弟が心配になり駆け出した。
 しばらく共同住宅の二階通路を走り、適当な場所で階段を降りる。
 いつもの帰り道にでた。
 追手の影はない。
 そのまま自宅まで駆ける。いつものように暗い部屋で星を眺めていてくれと願った。
 1階に灯りがついていた。
 サッシャの背筋が凍りついた。


〈後編へ続く〉


※文字数は前回より少し増えた程度なのですが今回は私の都合で前後編に分けさせていただきました(´▽`)

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