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小説/N市の記憶。もしくはその断片。#1 依頼

〈あらすじ〉
 田沼継治から行方不明になった孫娘の捜索を依頼された私は、二つの女子大生殺人事件を同時に調べていくことになる。
 二つの殺人事件はすでに犯人が逮捕されていたが、ネット界隈では〈真犯人は別にいる〉という論調が存在していた。私は「犯人がわかってしまった」と呟いた一つのアカウントに注目する。
 調査を進めるにつれて、ある怪談を耳にする。その元ネタになっているのは、駅のホームで少年が殺害された事件であり、その少年こそ、「犯人がわかってしまった」とツイートしたアカウントの持ち主であることがわかる。
 犯人は自殺しており、空家になっている犯人邸宅からは、白骨化した遺体が発見される——


依頼

 雨が降りはじめる。自然と駆け足になるが、雨に濡れるのが早く感じる。ゆっくり歩いたほうが雨の勢いは弱く感じるが、そのぶん雨に打たれる時間が長くなる。
 結局、どちらのほうが雨に濡れるのが少ないのだろう。
 小学生のころから考えているがわからない。

 その事件を知ったのは、世間よりも少し遅いぐらいだった。犯人が逮捕されてから知ったのだから、その事件はすでに完結した、知られざる領域を残していないように思われた。
 雨が降っていた。
 どしゃ降りの雨が事務所の窓を打ちつけ、絶えず蛇行する曲線をつくって流れていく。
 依頼者が準備してくれた資料は、新聞の切り抜きをスクラップブックに糊づけしたものだった。波打ったページには、事件の記事が所狭しと貼られている。
 二人の女子大生が殺害された。
 遺体が発見されたのは、N県N市にあるN大学の裏手にある雑木林で、令和二年六月に殺害された香山沙織さんは、早朝、ランニングしていた夫婦によって発見された。着衣に乱れはなく、具合が悪くなり倒れているのだと思い、急いで救急車を要請した。しかし検死の結果、香山沙織さんはその六時間前の午前一時には息を引きとっていた。死因は絞殺。
 令和三年六月に殺害された深谷夏帆さんの場合は、もっと異常な状況だったようだ。彼女の死体は木に吊るされていた。首吊りではなく、操り人形のように両手首、両足首を縛られて吊るされ、着衣は何も身につけていなかった。その体には無数の刺し傷があり、死因は多部位もしくは不明部位の損傷。
 二つの殺人事件の共通項は、被害者がN大学の学生であったこと。遺体の発見現場がN大学裏手の雑木林であったこと。
 異なる点は、死因、遺体状況。
 特に遺体の状況から考えると、同一犯による連続殺人とは考えにくい。前者の場合はシンプルに殺人を目的にしていることに対して、後者の場合は猟奇的で、殺人を楽しんでいるかのような異常性を感じる。
 実際、二つの事件では、別々の犯人がすでに逮捕されている。

 香山沙織さん殺害で逮捕されたのは、杉下公宏。
 当時三十二歳の大学病院事務員で、そのころ耳の不調から通院していた香山沙織さんの個人情報を病院システムから入手。その後はストーカーとなり、香山さんに付き纏っていたらしい。殺害される二週間前、香山さんからはストーカー被害届が出されていたが、事件を未然に防ぐことはできず、警察はこの事実を隠蔽していたため、後になって謝罪会見が行われる事態に発展している。
 杉下公宏は事件の夜、アルバイト帰りの香山沙織さんの跡をつけ、背後から首を絞めたと自供している。

 深谷夏帆さんの殺害で逮捕されたのは、当時、交際していた木幡猛。
 こちらの事件では当初、木幡は犯行を否認していたようだ。しかし、深谷夏帆さんに対する日常的な暴力行為があったこと。深谷夏帆さんが友人に「木幡に殺されるかもしれない」と話していたこと。木幡の所有するパソコンから性的嗜好を示唆する大量の画像(縛られて鞭で打たれている女性など)が発見されたことで印象を悪くし、警察としては木幡=犯人の一本線で捜査を進めたらしい。
 物的証拠もあった。
 木幡が内装の仕事で使用していたワンボックスカーからは、深谷夏帆さんの血痕、および、死体を縛っていたロープと同素材の繊維くずが見つかった。また、木幡が所有していた靴(木幡自身はこの靴を捨てたと供述している)が現場で採取された足跡と一致。深谷さんの体内からは木幡猛のものと思われる精液も検出されている。
 木幡はその夜、深谷さんのマンションを訪ね、性交渉があったことを認めている。
 深谷さんのマンションを後にしてからは、自宅のアパートに帰ってすぐに寝たと言ってみたり、コンビニで缶ビールを買ってそのまま駐車場で飲んでいたと言ってみたり、供述にはあいまいな点が多かった。
 取調べから十二時間後、木幡猛は深谷夏帆さんを殺害したと自供した。

 点と点の殺人。
 連続性は感じられない。
 資料を読んでいた顔をあげて、依頼者の顔を見る。私の疑問を察知したのか、何かを言う前に依頼者がこたえる。
「六月六日なんです」
 薄くなった白髪。日焼けした顔。
 大きめの背広に赤茶のループタイをしている。普段は背広など着ないのだろう。着慣れていない感じが所作から伝わってくる。足元を見ると、靴のなかまで濡れているようだ。朝から降りはじめた雨は、昼過ぎにはどしゃ降りに変わった。事務所のなかまで雨音が立ちこめている。
 事前に記載してもらった調査依頼書を確認する。
 田沼継治。七十二歳。
 依頼内容は、行方不明になっている孫娘の捜索。

「六月六日ですか」そう言って、事件資料に目を戻す。
 一人目の香山沙織さんが殺害されたのが令和二年の六月六日。
 二人目の深谷夏帆さんが殺害されたのが令和三年の六月六日。
 たしかに二つの事件が起こったのは、年違いの同月同日であるらしい。
 しかし日付が一致するからといって、この二つの事件を関連づけるのは少々乱暴な気がする。
 日本で発生している殺人事件が年間1000件ほど。発表されているだけの件数なので、実際はもっと多いかもしれないが、単純に考えれば一日に三人は殺されている計算となる。それはすなわち、誰かと誰かは同月同日に殺されている。
 ——と思うが、それが同じ場所で発生した殺人となると、どれぐらいの確率になるのだろう? 偶然の一致と片付けてよいのか? とも思う。
「この翌年……令和四年の六月六日ですが、やはり殺人事件が?」
 私がたずねると、田沼氏は首を横に振った。
「私が知るかぎり、なかったと思います」
 犯人が捕まって、殺人事件も起こらなかった。そのままだ。
「この二つの事件とお孫さんの……」私は依頼書を見る。「田沼文乃さんの行方不明が関係していると?」
 その問いについても、田沼氏は首を横に振った。
「わかりません。文乃もN大学に通っていたので、もしかしたらと……」
 テーブルには、行方不明になっている田沼文乃の写真が置かれている。高校を卒業したときの写真らしく、卒業証書を手にして田沼氏とならんで微笑んでいる。
 髪は短く、健康な印象。
 高校では剣道部に所属していたらしい。
 田沼氏を見ると、私の言葉を待っている様子。
 孫娘が行方不明になっているのだ。田沼氏としては、藁にもすがる気持ちなのだろう。しかし、私はこの依頼を断ろうと考えていた。田沼氏はもしかしたらと言うが、田沼文乃の行方不明が二つの殺人事件に関係しているようには思えなかったし、仮に関係していたとしても、そのほつれのようなもの、この線を調査していけば真実にたどり着けそうだ、という糸口も見えなかった。ただ無意味に時間を浪費し、安くない費用だけを請求する。そういう事態はなるべく避けたかった。
 もう一つ、田沼文乃が行方不明になったのは、平成二十八年——いまから七年も前のことである。何らかの事件に巻きこまれたのだとしたら、生きている可能性は低く、事件に巻きこまれたわけではなく自発的な蒸発なら、東京や大阪——とにかく、私よりもそういう調査が得意な人間はいくらでもいた。
 田沼氏にそのことを伝え、失踪者の捜索を得意としている人間を紹介すると申し出たが、しかし、田沼氏は薄くなった頭を下げるだけで、「お願いします」と言って譲らなかった。
 田舎の人は頑固なところがある。
 私は渋々、二週間の調査——その二週間で不審な点が見つからなければ、調査を打ち切ることを条件に、田沼氏の依頼を受けることにしたのだった。


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