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小説/N市の記憶。もしくはその断片。#13 若き探偵の死 #2

 望月家の玄関先で、私は嘘をついていた。見ず知らずの男が突然押しかけて、息子さんが殺された事件のことを知りたいと言ったところで、快く応じてくれる可能性はかなり低い。それで「生前、倫太郎くんとお会いしたことがありまして。最近になってご不幸があったことを知りまして、できればお仏壇に」と話したのだった。
「倫太郎とは、どちらで?」と志穂さんがたずねてくる。
 当然だ。私と倫太郎さんとでは、二十歳以上も歳が離れている。
「Twitterをされていたと思うのですが、そこで推理小説について意気投合しまして、何度か二人でオフ会を」と私はこたえた。
 半分は賭けだった。望月倫太郎さんとシン・プロゴルファー猿さんが同一人物である可能性は高かったが、それを確認するために来たわけで、そうだとして、自分の息子が何に興味を持っているのか知らない母親なんてざらに存在している。推理小説というキーワードを入れたところで通用するか、内心は祈るような気持ちだった。
「そうでしたか」と志穂さんはお茶を飲む。
「知っているつもりでも、知らないことのほうが多くて」
 仏壇に置かれた遺影を見つめながら言う。
「わたしもTwitterをしてるんですが、ときどき、フォロワーさんのアイコンがぴかぴか光ってるときがあるでしょう? あれって、押してみてもいいんです?」

 望月倫太郎さんの遺影は、おそらく高校で撮影された卒業アルバム用の写真だった。
 どうして卒業アルバムというやつは、嘘くさい笑顔をさらすことになるのだろう?
 自分もそうなのだが、倫太郎さんも例外ではなかった。オーナーが不祥事を起こした児童劇団のパンフレットのような笑顔で、白すぎる歯を見せていた。
 線香をあげさせて頂く。
「あの」と私は言った。「倫太郎くんにお貸しした本がありまして。できれば、その本を返して頂けたらと」
 志穂さんは驚いた顔をする。「それは失礼しました」
 お返ししたいが、どんな本なのかわからないので、自分で探してもらえないか、と志穂さんは言う。
 倫太郎さんの部屋は、死んでからも手をつけられることなく、令和四年五月二十六日のままだという。
 二階にあがっていく途中、「お願いが」と志穂さんが言う。本を探してもらうのはかまわないが、できるだけ現状のまま、むやみに物を移動させないでほしい。
 少しでも、令和四年五月二十六日の、息子が出かけたときのままの部屋を残しておきたい。
 私は承諾する。
「帰って来ないのは、わかってるんですけどね」と志穂さんは微笑む。

 望月倫太郎さんの部屋で、まず目に止まったのは本棚だった。
 Twitterのヘッダ画像のままだ。
 本の順番、一冊だけ傾いている津原泰水も同じだ。画像に映されていなかった棚には、ブックオフで買ったのだろう、背表紙が日焼けした夢野久作や小栗蟲太郎がならんでいた。漫画もある。漫画は、藤本タツキや芥見下々といった最近の作家が多い。残念ながら、藤子不二雄Aの名前は発見できず。
 机の上には読みかけの小説、詠坂雄二の〈遠海殺人事件〉が栞が挟まれた状態で置かれている。
 もう一つだけ、と私は視線を泳がせる。
 シン・プロゴルファー猿さんは、〈最近、買った自慢のものをさらせ〉というタグに対して、メタリフェルホソアカの標本を画像をつけて投稿していた。メルカリで購入したらしく、「昆虫標本を飾っている大学教授みたいな部屋に憧れて」とツイートしている。
 あった。
 それは箱型の額に入れられて、ベッドが置かれている東側の壁にかけられていた。
 望月倫太郎さんがシン・プロゴルファー猿さんであることは、もはや間違いなかった。

 志穂さんの許しを得て、少しの時間、望月倫太郎さんが座っていたイスに座らせてもらう。
 ここに座って、倫太郎さんも事件のことを考え、推理に頭を働かせたのだ。
 行方不明になっている田沼文乃。
 N大学裏の雑木林で殺害された香山沙織、深谷夏帆。
 その殺人事件の犯人として、すでに逮捕されている杉下公宏、木幡猛。
「犯人がわかってしまった」と呟いた望月倫太郎。
 そして、その望月倫太郎を殺害し、自分は急行電車に飛びこんだ男——
 次にやるべきことは決まっていた。


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