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小説/N市の記憶。もしくはその断片。#25 六月六日 #1

 戸塚絢という生贄を拒否したが、私が知るかぎり何も起こらなかった。
 N市で地震が起こったとか、電車の脱線事故があったとか、そういうこともない。新しい殺人事件もいまのところ起きていない。
 訂正。
 この世界上から殺人事件はなくならない。事実、N市でも殺人事件は発生している。痴情のもつれ、介護疲れ、悪質な交通事故——殺人事件が起きていないというのは、黄魂山との関連性がないという意味で、呪いや祟りがなくても、人間は殺人を犯す。

 私の体調は戻りつつある。薬で治すことは諦めて、ある整体師に相談すると、「ここですね」と背中のツボを押された。それ以来、重度な肩凝りは嘘みたいになくなった。
「原因がわからなくて」と整体師の先生に伝えると、「運動不足ですね」と即答される。その日から、なるべく歩くようにしている。

 峰岸邸で発見された白骨死体は、田沼文乃のものだと特定された。遺骨は田沼家に帰され、先月、葬式も執り行われた。関わった事件なので、私も焼香をあげさせて頂いた。
 久しぶりに逢う田沼氏は、認知症が進んでおられるのか(孫娘が戻ってきたことで安堵されたせいかもしれない)私の顔を見ても、覚えていないようだった。しばらくして「はいはい、あのときの」と言って思い出してくださったが、私と田沼氏を繋いでいたのは田沼文乃の行方不明であり、その行方不明が解決した現在となっては、話す言葉はあまりに少ない。
 田沼家までは電車とバスを乗り継いで六時間の道のりだったが、五分ほど滞在しただけで、早々に後にした。
 続けて発見された四体の白骨死体については、まだ身元も判明していない。

 女子大生殺人事件で逮捕された、杉下公宏、木幡猛には手紙を送った。
 事件の再調査をしている。事件について話を聞かせてもらえないだろうか?
 返信は二人とも同様の内容だった。
 反省している。ご遺族に対して申し訳ない気持ちだ。事件については裁判で明らかになっているので、話すことは何もない。

 峰岸邸は取り壊しが決まった。
 跡地の利用は未定。当分は更地のままだろう。
 そういえば、あの夜、田沼文乃の居場所を教えてくれた日傘の貴婦人が誰なのかも謎のままだ。峰岸家に所縁のある人物なのか、犠牲者の一人なのか——

 そして今日、私はN大学に来ている。黄魂山に詳しい教授がいるというので、戸塚絢に紹介してもらった。
 富井教授のドアを叩く。
「どうぞ」想像よりも大きな声が聞こえる。
 ドアを開けると、振り返る形で、富井教授と思われる人物がイスに座って、こちらを見ていた。全体的に大きい人だ。顔が大きく、体も大きい。頭は禿げているが、後ろ髪を伸ばしている。眼鏡の奥に、ペーパーナイフで切り裂いたような細い目がある。
 部屋のすみに応接があり、富井教授は、私に席に座るように大きな掌で導いた。自分も作業机から移動して、私の対面に座った。

 富井教授の話は三時間にも及んだ。前半は、すでに知っている事柄の再確認が多かったので割愛し、ここでは後半、私の知らなかった情報のみを記載することにする。

「黄魂彦神社ができる前から、黄魂山は特別な場所だったようです」
「山岳信仰ですか?」
「日本は山が多いですからね。自然崇拝の一つとして、山を信仰の対象とする文化がありました。仏教や神道、修験道と混ざりあって、それはいまの日本人のなかにも生きていると思います。しかし、すべての山を信仰の対象としているわけではない。特別な山だけです」
「特別な山とは?」
「エネルギーを宿している山、なのだと思います。わかりやすく言えば、それは火山であったり、稲作に必要な水をもたらしてくれたり——人々が畏怖、もしくは感謝の念を持っている山ですね」
「黄魂山は、火山ではありませんし、水源もありません」
「そうですね。均整のとれた山、というのも神聖な場所になりやすいようです。ピラミッドみたいにきれいな四角錐の山ですね」
「それも黄魂山には当てはまらないと思います。上空から見ると、整った円形をしているみたいですが、昔の人が上空からの形状を確認できたとは思えませんし」
「エネルギーを宿した山でもなく、均整のとれた山でもなく、それでも黄魂山は信仰の対象だった。ここまではよろしいですね?」
「はい。ここまでは」
「では、どうして黄魂山が信仰の対象になり得たのか、なのですが、たとえば、黄魂山では何かの目撃例が多いとしたら、どうです?」
 富井教授はそこで言葉を区切る。立ち上がって、壁一面の本棚を物色しはじめる。大きな背中を向けたまま、富井教授は再び話しはじめる。
「私はね、黄魂山は古墳だと考えているのです」
「古墳ですか?!」
「縄文、弥生の時代からの特別な場所。神聖な場所。人工的な建造物——しかも埋められているのは、当時の豪族ではない」
「お墓ではない古墳ということですか?」
「そうです。しかし眠っているのが人ではないというだけで、ある種のお墓なのかもしれない」
「?」
 私は富井教授の論法についていけず、首を傾げる。そんな様子を見て、富井教授は目尻だけで笑う。棚から拾い集めた資料を手にして、再び私の前に座る。
「黄魂——黄色い魂と聞いて、何を連想されますか?」
「私は黄泉の国を連想しました。死後の世界の魂です」
「中国の五行説ですね。黄色は土を意味し、土から地下の世界、すなわち死後の世界を意味する」
「そうです」
「もっと素直に連想すると、どうですか? 黄色い魂、黄色い玉です」
「そうですね、出雲大社で見た大国主の銅像を思い出します」
「幸魂、奇魂を頂く、という場面ですね」富井教授が笑う。「そうです。私は、日本書紀に出てくる幸魂、奇魂は、黄魂山における黄魂と同じものだと思っています」
 これを見てください、と富井教授は持ってきた資料を開く。そこには空を撮影した写真が貼られている。切れ切れになった雲が浮かぶ青空、その中央にまさしく黄色い魂が飛んでいる。
「これは……?」
「UFOです」
 写真の下には、撮影した日時が記録されている。
「ろ、六月六日にUFOが?!」


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