見出し画像

【1-1】樹齢400年を超える桜の木の下で歴史に思いを馳せる「光厳寺」[あきる野市・戸倉]

みなさんこんばんは。バックスリーです。

今回はあきる野市・戸倉エリアのスポット紹介第1弾として、城山の麓にある歴史を感じるお寺「光厳寺(こうごんじ)」を紹介します。

歴史の話が多めになりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです!

それでは行きましょう!

画像1

■光厳寺とは?

光厳寺とはあきる野市の戸倉エリアに佇む桜が有名な小さなお寺です。

毎年春には、境内のヤマザクラが多くの人を魅了するまさに西多摩の穴場“桜スポット”です。

桜に注目されがちなこの光厳寺ですが、実はその歴史はとても古く、建武元年に後に室町幕府を開く足利尊氏により創建されたと伝えられます。

「光厳寺」という名称も、南北朝時代(以下で説明します。)に、弥仁親王(のちの後光厳天皇)が南朝方の攻撃から逃れるために、しばらくこの地に滞在したことから、名付けられたとされています。

境内の建物は何度か火災にあい、焼失してしまったみたいですが、現在は復旧されています。

画像2

■南北朝時代とは?

ここでは、上の項目で出てきた南北朝時代について簡単に説明したいと思います。

南北朝時代とはだいたい鎌倉時代から室町時代に移行する頃の時代を指します。

南北朝時代をすごく簡単に説明すると皇統(血筋)の違う2人の天皇が同時に存在していた時代です。


もともと鎌倉時代の途中から天皇家の内部で2つの血筋が対立(持明院統vs大覚寺統)していたため、天皇の選出もこの2つの皇統から交互に行われていました。(日本史用語ではこれを両統迭立といいます。)

鎌倉幕府滅亡後に、大覚寺統の後醍醐天皇が即位し、京都で天皇中心の政治いわゆる建武の新政を行いますが、彼の政治は天皇や公家(貴族)中心であったため武士等の不満を強く招きます。

その結果、大覚寺統の後醍醐天皇は足利尊氏に京都を追放され、足利尊氏は持明院統の光明天皇を新しく即位させます。

一方、京都を追放された後醍醐天皇は吉野(奈良県)に逃げ、京都の足利尊氏が擁する光明天皇(北朝)に対抗すべく、南朝を開きます

こうして、京都(北朝:持明院統系)と吉野(南朝:大覚寺統系)に2人の天皇が併存することになり、この時代を南北朝時代といいます。

北朝、南朝とも互いに自らの正統性を主張したことから、多くの戦乱等も起こり、足利義満(金閣寺を立てた人!)の時代に南北朝が統一されるまで57年弱かかりました。

画像3

■山号と宗派

山号(仏教系の寺院に付けられる称号):鷲峰山(じゅほうざん)
宗派:臨済宗建長寺派

臨済宗は禅宗の1つです。その中でも建長寺派は鎌倉時代に北条時頼が中国(当時は宋の時代)から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)という僧を招いた結果広まった宗派です。

鎌倉の建長寺は現在も観光スポットとして有名です!

■見どころ①樹齢400年超えのヤマザクラ

冒頭でも紹介した光厳寺のシンボルともされる大きなヤマザクラ。春には満開の花で多くの訪問客を魅了します。

このヤマザクラ、樹齢はなんと400年を超えているということで、東京都の天然記念物にも指定されています‼︎

あきる野市の観光パンフレットによると見ごろは4月上旬とのこと。

ちなみに東京都内の3大巨樹とも言われているみたいです。

あきる野の四季「春」を紹介します。 | あきる野市
www.city.akiruno.tokyo.jp

画像4

■見どころ②ところ芋の碑

おそらく皆さん「ところ芋」って何?と思うでしょう。

私もわからなくて、ネットで調べたところ、怪しい苦みで虜にする魔性の芋とか出てきました(笑)

このところ芋の碑ですが、江戸時代に起きた天保の飢饉(ききん)を伝える史料として重要なものみたいです。

ちなみに、天保の飢饉とは江戸時代の天保4年から天保7年にかけて起こった全国的な規模の大飢饉のことです。飢饉の原因は気温の異常低温等による凶作と考えられているみたいです。

飢饉の結果、百姓一揆が多発し、大阪では天保8年に大塩平八郎の乱がおこっています。

光厳寺内の碑文には、天保の飢饉が起きた際に、当時の名主(村のリーダー)が、地域に自生するところ芋について、よその村の者にも採集を許可したようなことが書いてあります。

当時この村にいた名主の寛容さと、天保の飢饉の悲惨さが碑文から読み取れます。

画像5

■さいごに

光厳寺は素朴ながら、多くの歴史エピソードが垣間見えるお寺です。

天然記念物の桜を見ながら、さまざまな歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

私はとりあえずところ芋がどのような味か気になります笑

画像6

画像7

画像8

【参考一覧】

・あきる野市HP 「あきる野市寺院一覧」

・あきる野市寺院一覧 | あきる野市
https://www.city.akiruno.tokyo.jp/0000000282.html

・『日本史B用語集』山川出版社

・『五日市町史』五日市町(1976)

文責:バックスリー


この記事が参加している募集

#最近の学び

181,435件

#この街がすき

43,508件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?