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愛とジゴトとナイチンゲール(2)いい看護師の定義って?

国武芽以|主人公。新人看護師。仕事ができず落ちこぼれ、かなり迷走している。
吉井艶子|めいの病棟に入院中の重症リウマチ患者さん。72才。
田中先輩|3年目の先輩。芽以を気にかけてくている。

看護師は患者さんにジャッジされている


いい看護師が辞めるというのは、実は患者さんにとっても、いや本来は患者さんにこそ大事件である。確かに『看護師』は病院にはたくさんいる。しかし患者さんにとって、看護師は大勢の中の看護師でありながら、実はそうではないからだ。

それは一体どういうことか。

患者さんの中には、看護師の『名前』を覚えていない人も少なくない。白衣を着て病院内を歩いていれば、みんな『看護師さん』と思っている患者さんが多い。

それでいて患者さんは『話しやすい看護師』と『そうじゃない看護師』とにしっかり区別して認識している。

もっと言えば『物言いの冷たい看護師』とは話したくないとか、『採血があんまり上手くない看護師』には当たりたくない、とか。

実は看護師は患者さんにじっくりと観察され、非常にシビアに分類されているのだ。患者さんはそんなことは看護師には話さないけど、私には何となくわかる。そりゃ話すわけないよね。そんなこと、言えるわけないもの…。

患者さんと看護師が対等だなんて真っ赤なウソ


そもそも『患者-看護師関係は対等だ』って教科書には書いてあるけど、実際に現場に出たら、どこが対等なの?と目を疑った。歴然とした上下関があるように私は感じる。他の看護師にはこの上下関係は見えないみたい。むしろ、吉井さんみたいな患者はモンスターで、自分たちの方が弱者で、振り回されてると思ってるフシがある。

私が吉井さんをほっとけないというか、一目置いているのは、この上下関係に負けず、自分の要求をキッチリ通すところが好きだからだ。「嫌われるかもしれない」とか「しつこいかもしれない」なんてこと一切考えていないような潔さに憧れもある。

他の患者さんは、気の毒なくらいナースコールを押さない。トイレに行きたいとか用があってもギリギリまで我慢してる。生理的欲求に関わることは絶対に我慢しないで欲しいと思うから、私も『ナースコールを押せないタイプ』の患者さんは我慢してないかちゃんと気にかけている。その一方、吉井さんが看護師がやってくるまでナースコールを鳴らし続けるのには、天晴れって思ってしまうのだ。

とにかく、『いい看護師かそうでない看護師か』の分類は、患者さんにとっては『看護師個人の名前』よりもずっと重要なことなのだ。

だから、気兼ねなく雑用を頼めたり、答えが出ない話でもニコニコと聞いてくれたりする看護師がいなくなることは、患者さんにも一大事なのだ。

こんなふうに私がグダグダと考えているうちに、田中先輩の送別会の日がやってきた。送別会は、例の病院裏のイタリアンで開かれた。19時スタートに合わせて、日勤者はいそいそと仕事を終わらせる。

夜勤者は早めに来店し、師長から離れた末席を確保し、すでに談笑していた。パラパラと遅れてきたスタッフが着席すると、会が開かれた。主任さんが音頭を取った。

「非常に優秀だった看護師の田中さやさんが今月末で退職されます。これからリーダー業務はもちろん、感染症委員会や看護研究など、たくさん活躍してもらうつもりでしたが、大変残念です。今後の田中さんの前途を祝して、乾杯しましょう!お疲れ様でした!」カンパーイ!

主任の言葉には多分にトゲが含まれていたが、誰も気に留めているふうではなかった。管理者はいつも去りゆく者にこのような洗礼を授けているのだろう。

声にならない声で小さくカンパイと言い、私もここでカシスオレンジを飲んだ。日勤後で喉が乾いていたのでひとくちでは済まず、ごくごくごく…と一気に半分くらいグラスを空にした。

ザワザワ…そこかしこで談笑が始まる。

そこで、私の席の近くに座っていた勤続16年のベテラン看護師・安藤さんが「いい人はどんどん辞めてっちゃうよね…。残ってるのはさあ…」と声をひそめて言い、チラッと師長さんの方に視線を送ると、周囲からクスクス忍び笑いが起こった。

どうやら病院という場所は、いい看護師は何かに取り憑かれ、退職に追いやられてしまうらしい。数日後、先輩は「頑張ってね、応援してるからね」と私を激励し、惜しまれつつ退職していった。




※この物語は取材に基づくフィクションです。


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