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好きなもののことだけ考えてみたい

 ここ数年、私、「小説を書いて投稿しなきゃ」って強迫観念に取り憑かれてるんですよ。
 確かに仕事は(ざっくり言うと)ライター的なこと(の、多分すごく下層に位置するもの)ですし、二次創作で小説を書いたりたまーに同人誌を出したりはしてるんですけど。
 でもね、正直私、0から1を作り出す才能がないんです。もう絶望するほどない。そもそも子供の頃から「お話を作って楽しむ」なんて経験なかった。
「漫画家になりたい」とは言ってましたが、オリジナルの漫画をちゃんと描いたこともないです。アニメや漫画のキャラの絵を描いたり同人誌を出したりしただけ。「無から有を創作する力」はゼロなんです。
 それでもまだ「書きたい話がある」「こういうものが書けたら」みたいなのがあれば分かるんですけど、それもない。書きたい話なんかひとつもない。
 何度かプロットのようなものを作ろうとはしてみたものの、書きたいものなんか何もないから当然何も出てこない。考える作業はただただ苦痛。「何も書けそうにない自分」を再発見するたび「自分=無価値な存在、負け犬」という自己否定が積み重なっていくわけです。
 一度だけ、かろうじて短編を書き上げたことはあったんですよ。応募しました。一次選考で落ちましたね。ショートショートみたいなのも一本だけ書いて送りましたがそれも当然落選です。

 そもそもなんで「小説を書いて投稿しなきゃ」なんて強迫観念に取り憑かれたのかというと、これはもう分かってるんです。見栄です。見栄、自己顕示欲、承認欲求。
 誰からも必要とされてない、常識を欠いた低学歴低賃金40代独身こどおばが「ほめられる」「ちやほやされる」「他人より上に立つ」には「小説家というすごい生き物」にクラスチェンジするしかない、と思ったんですね。「小説家」なら色んな人から「わあすごいね!」って言ってもらえるでしょ?
 で、何度も何度も挑戦しようとはしたものの、結局のとこ「本当にそれがやりたくて挑戦しようとしている」わけでは全くないのでどうにもならず、結果「なんでこんなクソつまんない小説が売れてんの?」「なんでこんなしょうもない小娘が“文筆家”ヅラしてんの?」と四方八方に嫉妬を撒き散らすだけのクリーチャーになりました。

「人より多少は出来る」と自分で思えることが「文章を書く」ことだけだったので、それにすがって何とか自分を「今の自分ではない上位の生き物」に押し上げようとしたんですが、ダメでしたね。
 私が「本当に小説家になりたい人」だったら、43歳の今までに何かしら書き続けていると思うんですよ。追い詰められて絞り出してやっと短編一本書くとかじゃなくて。うん。私、多分、向いてないというか。本当は「絶対それがしたい」わけじゃないんです。多分。

 最近、私って本当は何がしたいんだっけ? とか、私って何が好きなんだっけ? とか、色々考え込むようになってきました。自分のしたいことが全然分からない。
 私はずーっとこれを楽しんでいこう、とか。
 私にはこれがあればいいや、とか。
 これのために頑張って働いていこう、とか。
 そういうのがもう分かんなくなってきてるんです。

 なのでこれから少し時間をかけてですね、自分の「好きなもの」や「やりたい気がすること」の棚卸しでもやっていこうかなって思ってます。
 自分はこんなにろくでもない人間だ、みたいなテーマでもまだまだ書くこといっぱいあるんですけど(まだあるの……?)、そういうことばっかり書いてるとただでさえ地の底の自己肯定感が一層深く潜っていっちゃう気がするので。
 好きだと思うことに改めて触れてみよう。考えてみよう。なんて思った次第です。本でも人でも物でも食べ物でも、もう思いつく限り書いてみます。長くなっても短くなっても。「もうこれ以上好きなもの思い付かないや」ってところまで書き尽くしたら、多少は自分がどういう人間か、何を好んで何のために生きようとしてるのか、分かってくる気が……するようなしないような……

 最終的には「あ、私はこうやって生きていこう」って思えたり、「私はこれをするのがすごく好き、楽しい」ってことを見つけられるといいな。ずーっと先の話かもしれませんけど。
 強迫観念に追い立てられながら生きるんじゃなくて、本当に好きなことを楽しみながらのんびり生きてみたい43歳独身こどおばです。


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