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生きること、死ぬこと、そのむこう

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牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧…
このマガジンの記事を踏み台に、「そういえば、生きてるってなんだろう?」と考えを深めて頂ければ幸いで…
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2018年10月の記事一覧

意味のインフレ

Twitterはわたしにとって路傍伝道の場所だ。140文字ひと塊が無数に渦巻く雑踏で、わたしは福音…

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空席は語りかける

アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。                        …

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強化ガラスの壁

あなたは境を置き、水に越えることを禁じ/再び地を覆うことを禁じられた。 詩編 104:9 新共同…

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深読みをやめて表面にとどまる。

聖書、とくに福音書には、登場人物たちの内面描写がない。表情や身振りに現れる喜怒哀楽は描か…

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フォース

日本中の牧師や信徒が集まる、大きな会議の会場。わたしは端役の係員として忙しく働いていた。…

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神のオルゴール

それにしても音楽や映像の「PLAY」を、いったいだれが「再生」と翻訳したのだろう?すばらしい…

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方向指示器より安き我が命

前にも書いたが、牧師になってから無職になったことが二度ある。二度目はいろいろ腹をくくっていたので、それほど苦にはならなかったが、初めての無職は、それはもう辛く、恐ろしかった。30代も後半のことであった。 つれあいが病に倒れ入院。わたしは関西と四国の職場とを往復していたが、それも限界にきた。じゅうぶんな仕事ができないと思いこんでしまったわたしは、とにかく「辞めなければもうだめだ」と。教会を年度途中で辞任、無職になった。 当初わたしは楽観的だった。近隣に同窓の少ない困難な任地

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二組の野生の眼

つれあいが帰郷中に体調を崩し、わたしの仕事場へと帰って来れなくなった。結果的にわたしは仕…

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あいまいであること

最近、人類学関係の本をよく読む。 きっかけは前任地での体験である。わたしは牧師そして幼稚…

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自由と保護の袋小路

むかし、こんなことがあった。あることがきっかけで、教会にホームレスの方を泊めることになっ…

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「表現の自由」を、わたしは信仰する

これを読んでおられる方のほとんどは、インターネットの世界では匿名で表現活動をしておられる…

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言葉が「こと、もの」になるとき

入院していた時に、トーベ・ヤンソン著、冨原 眞弓訳『小さなトロールと大きな洪水』を読んで…

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地下鉄と樹登り

東京に来て、あっというまに3年目。地下鉄で通学する小学生たちの風景も見慣れてきた。 先日、…

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信頼と信心と信仰と

「クリスマスを祝い、初詣に行くのは節操がないことである」とは、とくにクリスチャンのあいだで言われてきたことである。信仰を貫くのが大変であった時代、信仰共同体が瓦解しないためにも、ほかの宗教には見向きもしないという姿勢は重要であった。そして、今でもそのような信念をもって他宗教とは一切関わりを持たないという人にも、わたしは共感と敬意を抱いている。 その一方で、そこで言われる信仰という言葉には、「決断すること」の意味あいが強い。たしかに、キリスト教信仰には洗礼があるから、洗礼を受

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