フォース

日本中の牧師や信徒が集まる、大きな会議の会場。わたしは端役の係員として忙しく働いていた。同じ仲間に、わたしよりずっと若い牧師たちが数人。彼らと談笑しながら、わたしは自分の若い日々を想い出していた。


神学研究科を修了するわたしの任地が決まった。行き先を聞いた先輩たちは口々に言った。「あの先生んとこ?」「かわいそうに....」
そんな噂に負けるおれじゃないぞと、わたしは息巻いていた。

そんな噂どおり、わたしはかわいそうだった。大正生まれ、80代の女性牧師。毎日怒号が飛ぶ。「そこに座んなはい!」「す、スミマセン!」正座で、こってり2時間は絞られた。遅くなれば夜の11時までお説教は続く。そして朝は6時から板の間に正座、ひたすら祈る。師匠の祈りは長い。一人ひとり、心に懸けている人々の名前を挙げて祈る。わたしはといえば眠いし足は痺れてくるし、祈りどころではない。

田舎暮らしだったが、車どころか自転車の所有も許されなかった。「歩きなはい!」「人さまに頭を下げて、車に乗せてもらいなはい!」わたしは師匠の鞄持ちをしながら、そのたびごとに他の牧師に車の便乗を頼んだ。師匠は訪問先が病院でも大きな声で讃美歌を歌う。医師や看護師、患者たちがみんなこちらを見る。伝道のためだ、恥ずかしいと思っちゃいけない....やっぱり恥ずかしかった。

ひな祭りのころ、師匠が葬儀をするのを初めて手伝った。自死された方だった。師匠はその方の生前から頻繁に訪問し、慰め、祈っていた。亡くなられたのはとても貧しい方だったが、師匠は自らも出資し、教会からも金を出してもらい、素朴だがしめやかに葬儀は行われた。その人の遺品の、ボロボロの軽四をわたしは譲り受けることになった。

あるバイパスを運転中、とつぜんタイヤがバースト。点検を受けたばかりなのに不思議だった。それからわずか一週間後、こんどは峠を運転中、対向車がわたしの軽四へ吸い込まれるように突入。車は譲り受けてからわずかな期間でお釈迦になった。知らせを受けた師匠はわたしを指さし、教会員に向かってこう言った。
「皆さん、この男に取り憑いているものが見えないのですか!?」
この男?ああ、この男ってわたしのことね。なんだか聖書の登場人物になった気分だな。

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