方向指示器より安き我が命
前にも書いたが、牧師になってから無職になったことが二度ある。二度目はいろいろ腹をくくっていたので、それほど苦にはならなかったが、初めての無職は、それはもう辛く、恐ろしかった。30代も後半のことであった。
つれあいが病に倒れ入院。わたしは関西と四国の職場とを往復していたが、それも限界にきた。じゅうぶんな仕事ができないと思いこんでしまったわたしは、とにかく「辞めなければもうだめだ」と。教会を年度途中で辞任、無職になった。
当初わたしは楽観的だった。近隣に同窓の少ない困難な任地で6年間奮闘したのだから、自分は学閥からあるていど評価されているはずだと踏んでいた。友人たちのなかには自分で頼んでもいないのに「こんな任地あるけど、どう?」と先輩から勧められるままに次の場所へと転勤した者もいる。わたしにだって、そういう声の一つや二つはかかるだろう、と。だが「放り出して辞めた」との評価は、わたしを厳しい立場に置いた。こちらからしつこく頼んでも、なかなか次の任地は見つからない。任地は見つかるのか否か。声がかかればいつでも動ける状態にしておきたかったので、アルバイトを探そうという気持ちにもなれなかった。つれあいの身の回りの世話をしながら、わずかな貯金を切り崩して生活。貯金がなくなってしまうかもしれないと思うと、とても不安だった。
しかしそれ以上に辛かったのは、自分自身のアイデンティティの問題だった。自分が何者でもないこと。これはほんとうに辛い。つい先だってまで、自分は牧師であり、幼稚園の園長であった。地域とのつながりがあり、「先生」と呼ばれ町の人々から親しまれていたのだ。しかし今、わたしに声をかけてくれる人はいない。借家の近辺でわたしを知っている人など一人もいない。わたしの唯一の慰めは、つれあいの邪魔にならぬようヘッドホンで音楽を聴くことであった。音楽から流れ出るあれやこれやの想い出が、わたしの身を突き刺すのも痛くも心地よかった。
友人たちはとてもやさしかった。みんなでカンパして、数万円のお金をわたしに手渡してくれた。ところが───これはとても贅沢な悩みで、口に出すのもはばかられるのだが───わたしにはこの善意こそが辛かったのである。友人たち皆がわたしにやさしいこと。わたしに対して、見るからに手かげんして接してくれていると分かってしまうこと。うがった見方をするなら、腫れ物に触るようにわたしに接していたということ。わたしは彼らともはや対等の友だちではなく、一方的に憐れまれる存在となってしまったということ。
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