地下鉄と樹登り

東京に来て、あっというまに3年目。地下鉄で通学する小学生たちの風景も見慣れてきた。
先日、小学2年生くらいの、伝統がありそうな制服を着た女の子が、椅子へと溶けるように熟睡しているのを観た。もう何駅も眠り続けている。乗り過ごしているのではないか。犯罪に巻き込まれないか。心配でならない。どうやらほかのお客さんたちも気になるらしく、視線が彼女に集中している。だが、わたしは彼女に声をかける勇気が出なかった。ほかのお客さんたちも同じだったようだ。
もしもこの子が男の子だったら、どうだったかと思う。ジェンダーでものを言うのはよくないと分かってはいる。だが、もしも男の子だったら「起きなくてだいじょうぶ?」と、わたしはその子の肩を揺さぶったかもしれない。「中年男性が少女に手をふれる」という奇妙な縛りが自分のなかにあって、どうしても彼女に声をかけることができなかった。彼女はわたしが降りてもなおそのまま眠り続け、電車は発車した。わたしは苦々しい後味を噛みしめながら、前任地の子どもたちのことを想いだしていた。

わたしはそこで牧師だけではなく、幼稚園の園長もしていた。いやむしろ、園長業務が仕事のほぼすべてであった。海辺にある幼稚園。とても広い園庭。大きな樹が何本か生えており、子どもたちは裸足で樹によじのぼる。「おった!」器用な子どもは、クワガタムシやカブトムシを発見し、誇らしげにわたしのところへ持ってくる。巨大なヒキガエルを見せてくれた子もいた。目の前の海は入りくんだ干潟であり、そのまんなかの島はシラサギの営巣地である。学童保育にやってくる小学生たちも、すぐに裸足になる。わたしは小学校にお迎えに行っていたのだが、彼らは水路でヤマトヌマエビを捕まえたり、どんぐりをむしって食べたりしていた。

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