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ドゥカティで巡るOKINAWA〜慰霊の日に寄せて


昨年のことだが、友人の結婚式に招かれたのを機に、私たちにとって初めての沖縄を、オートバイを借りてぐるっと周ってきた。再婚同士で子どももいる我々は、まだ二人だけの新婚旅行に行けていない。そういうつもりで、少し贅沢な旅のプランを練った。

◼︎DAY 1

那覇空港からゆいレールで隣の駅赤嶺、そこから徒歩3分のところにあるショップで、我々は2台のドゥカティを借りた。どちらも走行距離が7千キロ程度の、まだまだきれいな車体が充てがわれた。
 
早朝のフライトで来たものの、やはり昼食は混む前に入店したいので、市街から離れたところにぽつんとある沖縄料理屋さんに直行した。旅先で土地のものを頂くのも大事なことだと、私は再婚してから宗旨替えをした。
 
前入りしてる友人たちとそこで合流し、その後すぐ近くにあるひめゆりの塔を見学。ただきれいな景色を見るだけでは足りない、小さい頃から、沖縄に行ったら必ず訪れたいと考えていた場所だった。

太平洋戦争末期、日本軍は壮絶な戦闘の果てに南方にある拠点を次々に失い、そこから直接飛来する爆撃機によって、東京を始めとする各都市が空襲に晒されていた。

欧州では既に戦争が終わりつつあって、あとは一億玉砕を唱える軍部に引きずられた日本の戦後処理に、連合国の関心が集まっていた。

結局、玉砕したのは沖縄だった。少なくとも、沖縄の人はそう感じているのではないか。

長く琉球国としての歴史を重ねてきたおきなわにとって、第一次世界大戦で負わされた巨額の賠償金により経済的に困窮し続けたドイツや、日清、日露と戦勝が続き大東亜共栄圏を夢見た日本の事なんか、他人事としか思えないだろう。

その後、私たち二人は、家内がどうしても行きたかった斎場御嶽(せいふぁーうたき)に向かう。
 
調べたら、御嶽というのは神様が来るところであり、せいふぁーうたきは沖縄では最も神聖な場所だという。

石灰岩地形がここではとても不思議な形状を成しており、これが古代の人々に特別な何かを思わせたとしても不思議ではない。
 
夜は再び友人たちと市内で合流し、前夜祭で盛り上がった。

◼︎DAY 2

例によって遅くまで飲み過ぎた為、朝はやや出遅れた。午後から式があるため、この日予定していたいくつかの経由地から真栄田(まえだ)岬だけを選び、一路会場であるホテルへ向かう。
 
オートバイでは、あまり荷物を運べない。3日間豪雨の中を走る覚悟もしての雨具と一泊分の着替え以外は、当日の服装を一式、事前にホテルまで送っておいた。

到着がやや遅れたのでウェルカムドリンクをいただく時間はなかったが、シャワーを浴びて気持ちも整えた後、みんなと式に参列した。

両家のご両親と近しい仲間だけの、素敵な結婚式だった。沖縄の空はどこまでも青く、美ら海の向こうに沈む夕陽をみんなで眺めた。パーティが終わって部屋に戻ってからも、祝宴は続いた。

◼︎DAY 3

この日の予定走行距離が、一番長い。まず、近くにある備瀬の並木道を、オートバイでトコトコ走った。

前日に行けなかった古宇利(こうり)島へは、一緒に式に参列した友人夫妻がクルマでホテルから併走して走行中の映像を撮影し、編集までしてまとめてくださった。走ってるところはなかなか撮ってもらえないので、とても嬉しい。
 
小さな島をくるっと一周回ってから、海沿いの道を北上し沖縄本島の最北端を目指した。左手の青い海の上に、さっきまでいた古宇利島が浮かんでいる。
 
途中、右に曲がって少しだけ林道にも寄り道、原生林の中を辺野喜(へのき)ダムまで向かった。このあたりを、山原(やんばる)というのだ。九州の山奥とも植生が違うのが印象的だった。

落ち葉や苔に覆われている、狭くて舗装も悪いワインディングロードを、こういう道があまり得意ではなさそうなドゥカティでゆっくり走り抜けた。ところどころにある動物注意の標識がすべてやんばるくいなのデザインだったが、この珍しい飛べない鳥が我々の目の前に現れることは、ついになかった。
 
辺戸(へど)岬は南部と違い溶岩地形で、見たこともない多肉植物にも覆われていた。そこから今度は東側の海岸線を南下する。

この辺り、途中に集落はほとんどない。しかし、それでもところどころ几帳面なフェンスを見かけた。都市部でも山間部でも、どこへ行ったって沖縄は華奢な国境で切刻まれている。
 
大浦湾越しの遠くにクレーン船が見えた時に 、そこが辺野古沖の埋め立てなのだとすぐにわかった。

しばらくして、急に渋滞が現れた。追い越し禁止の県道は道幅も狭く、でっかいダンプカーがたくさんいて、横をすり抜けることもできない。工事による片側交互通行にしては、止まってる時間が長過ぎると思った。転回して、島の西側まで大きく迂回する案も頭に浮かんだが、しばらくして車列が動き出した。
 
案の定、その先でデモをやっていた。北から砂利を運んできたダンプカーの行列は、キャンプシュワブ横のゲートに次々に吸い込まれる。見た限り数十名ほどの活動家と、同じくらいの民間の警備員が、2月というのに既に汗ばむ陽気の中、日本人同士で対峙していた。

◼︎旅するオートバイ

ドゥカティは美しいデザインと、軽くてコンパクトな車体によるキビキビとした走りを兼ね備え、跨っても眺めても乗る人を満足させる、素晴らしいマシンだった。

L型と呼ばれる90度のバンク角を持つツインエンジンには、その個性として、独特の振動がある。ハーレーダビッドソンのそれともちょっと違う荒々しさ、そしてちょっと回転を上げれば馬鹿力を惜しみなく発揮する。

旅先でオートバイを借りるというスタイルは初めてだった。自走で行けない場所の方が、この地球上には遥かにたくさん広がっているのだから、夢は広がる。

テントや調理道具一式をがっつり積んで、どこまでも長い距離を走るのが私たちの好むツーリングのスタイルだけど、お洒落着のようなオートバイで美しい風景の中を走る夢のようなツーリングは、もう二度とできないかも知れない。

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ずっとものづくりに携わってきました。