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夢、百三年目の。

梅雨入り前、初夏の日射しが降り注ぐ暑い日に、祖母に会いに行った。
およそ一年ぶりの再会だが、百歳をこえた人の見た目は一年や二年でそんなに変化しない。相変わらず元気そうで安心する。

デパ地下で調達してきたお昼を広げはじめたら、さっそく興味津々な顔をしている。
マグロとアボガドの巻き寿司、生ハムと新玉ねぎのサラダ、豚肉の黒酢炒め、海鮮焼きそば、スペイン風オムレツ、などなど、喜ぶ顔が見たくてつい買いすぎてしまった料理をテーブルに並べていると、すぐそばに住む叔母が冷えたビールを持って来てくれた。さすが、わかってらっしゃる。三人で賑やかに話して、たくさん食べて、私は飲んで。
祖母はぜんぶの料理に箸をつけ、自分の歯でしっかり噛んで味わい、気に入ったものはおかわりもした。食べるとは生きること、そのお手本のような人なのだ。

去年から利用しはじめたデイサービスでは「なんと最年長なのよ!」と、まるで意外だというような口ぶりで話す。いやいや、百歳をこえて週二回元気に通える人のほうが珍しいから。

私の年齢を聞いて、「もうそんな歳になったの? 早いわねえ」と驚いているけれど、そりゃこっちも歳をとるよ、あなたが百歳をこえるんだもの。

祖父が生きていたころは、塩分を気にして醤油を控えるよう口酸っぱく言ってたくせに、自分だけになったらビシャビシャつけて食べている。祖父が苦手だった青魚も、「昔から好きだった」と言い出した。まったく、世の中は長く生きた者勝ちなのだな、と思う。

一方で、昔のことはよーく覚えている。
数十年ぶりに同窓会に行った叔母の話を聞いているうちに、自分の学生時代を思い出したようで、教室で席が後ろだった○○さんはとても優秀だったけど歌が下手だったとか、仲が良かった○○ちゃんは急に夜逃げして会えなくなってしまったとか、八十年以上も前のことを詳しく話してくれた。

そして、「女学校の同窓会やりたいわ。何人くらい集まるかしら」なんて真顔で言うので、私と叔母は思わず顔を見合わせて笑ってしまった。自分が元気だから同級生も同じように元気でいるはずと思っているんだろうか。
えっとね、ばあちゃん、そんなに何人も集まらないんじゃないかな、たぶんだけど。。。

でも、百歳をこえてなお「やってみたい」と思うことがあるってすごいかも。
おいしいものが食べたい、みんなに会いたい、そうやって楽しみに思えることがある、つまりは、これから先の未来に心が向いているということだ。
目の前のあれこれにいちいち悩んだり落ちこんだりしている私なんかよりも、よっぽど前向きだ。


本当は、訪問を少し先に延ばそうかと思っていた。仕事が立てこんでいて心身ともにちょっとお疲れモードだったから、申し訳ないけど予定を変更しようかと考えていたのだ。でも、会いに来てよかった。
私に会いたいと思ってくれていることを、私自身が少しも疑わずに信じることができる、そんな人は滅多にいない。そんな人には、会いに行かなくちゃだめなのだ。
仕事の出来や肩書き、着ているものや髪の色、どんな私でも100%肯定し、歓迎してくれる。昔も今も、同じ呼び方でかわいがってくれる。この人の前なら、「両親の娘」という役割さえ手放すことができる。その時間はとても気楽で安心で、気がつけば、私はすっかり元気になっていた。


女学校の同窓会は難しいかもしれないので、他にやりたいことを聞いてみた。

「卵が入ったマクドナルドを食べてみたい」

月見バーガーのことらしい。秋になったら買って持って来ると約束をした。百三歳のあたらしい夢は、きっとすぐに、叶うだろう。


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