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映画「五つの銅貨」主題歌“The Five Pennies”…子役Susan Gordonさんを偲んで(3/3)

「映画"五つの銅貨"主題歌“The Five Pennies”…子役Susan Gordonさんを偲んで」(1/3)(2/3)の続き(3/3)です。



なんと、それから8年後に、筆者は、この映画の子役Susan Gordonさんに日本語を教えることになった

筆者は、1969年4月よりSan Francisco近郊のHayward市にあるCalifornia State College at Hayward(後California State University at Hayward/現East Bay)に籍を置き、英文学修士課程で学ぶ傍ら外国語学科日本語科で日本語を教えることになりました。筆者25才の時でした。

(1971年Suzuki Elementary Japanese Iの履修者名簿:7番目にSusan Gordonさんの氏名)


(1971年Winter Quarter CUCS Foreign Language Dept. 担当表)

Gordonさんは1971年Winter QuarterにElementary Japanese Iを履修し、その後もIIとⅢを履修したと記憶しています。筆者自身も学生であった為に、履修者の皆さんとはあまり年齢差がなく、非常に楽しいクラスでした。後に筆者のアメリカ人の親友となるJack Wilsonはこの時の学生です。Gordonさんは落ち着いた感じで、いつも微笑み、日本語と日本文化に興味を抱く熱心な学生さんでした。あまり自分のことは話さなかったので、クラスメートも彼女が“The Five Pennies”や当時有名だった「逃亡者」(“The Fugitive” 1962)などの話題作に出演したなどとは知りませんでした。
筆者は1972年3月までHaywardに滞在し、同年4月に一時帰国し、確か、その夏に日本を訪れていたGordonさんと東京で会って会食したと記憶しています。筆者はその後にUniversity of Hawaiiに移り、1973年の夏また一時帰国し、東京で英語を教え始めた親友のJack Wilsonと婚約者のPauline Takashiba(後結婚)と再会しました。開口一番Jack Wilsonが言ったことを昨日のことのように覚えています。次のようなことを言ったと記憶しています。

Hey, do you know what! Pauline and I met Susan Gordon the other day. We happened to walk in a nearby theater to watch this film, “The Five Pennies”. The little girl in that film looked so much like Susan. So I said to her, “Susan, she looks like you.” She just said, “Cause it’s me.” I looked at her comparing her with the little girl on screen. Wow! That’s Susan alright! We found her name in the cast, too! Susan and we’ve known one another since we met in your Cal Sate Japanese classes. Gee, all this time, she has never mentioned it to us!(*9)

渋谷の名画も上映する映画館で3人は“The Five Pennies”を鑑賞したようです。それを聞いて筆者も驚きました。高校生の時から耳にし、口ずさんできた名曲、大好きなLouis Armstrong、Danny Kaye、幼いDorothyが歌う名シーン、その子役がSusan Gordon(芸名と実名は同じ)というのは知りませんでした。(*10)そう言われれば、そっくりです。それはそうでしょう、本人なのですから。

筆者アメリカ留学中に先行き不安になった時に思い出した映画と主題曲

筆者は1968年から1972年までCaliforniaに滞在し、大変充実した時を過ごしましたが、一方では、将来どうなるか不安であったことも確かです。英文学で博士課程に進みたくても、当時は留学生が英文学を専攻すること自体至難の技でした。(*11)Special graduate studentとして籍を置いたもののその先は分かりません。まさに浮き草のような存在でした。そんな時、自分を励ます意味で口ずさん歌の一つが“The Five Pennies”でした。その映画の中でこの歌を歌っていたDorothyが、自分の担当した日本語のクラスに居たなど知る由もありません。

それから数十年経ちふと思い出してSusan Godonさんの消息を調べると

筆者はその後Washington D.C.に移り、長い留学生活を終えて1978年帰国しました。その間にSusan Gordonさんの消息も途絶えてしまいましたが、2011年のある日、当時赴任していた大学の研究室で、ひょんなことから彼女の名前が頭によぎり、ネットで消息を検索していたところ、次の記事に遭遇して絶句しました。
Rest in Peace Susan Gordon
そして、彼女の歩みを綴るサイト記事とYouTubeのスライド・ショウを見てさらに驚きました。
Susan Gordon
Susan Gordon-Slide Show of Susan Gordon's Career
サイト記事の後半に、彼女は旅行が好きで50カ国以上を訪れ、別けても日本が大好きで、大学卒業後に日本を訪れるや、13年間滞在し、そこでご主人に会ったとあります。という事は、筆者が日本で彼女と再会した1978年がその卒業直後の初来日ということになり、13年後の1985年まで日本に滞在したことになります。
筆者は、その間に、University of Hawaiiで1年、Georgetown Universityで5年、念願のPh.D.取得した1978年に帰国し、慶應義塾大学で教鞭をとるようになり7年の年月が過ぎていました。日本にいることを知っていたら、再会していろいろな話に花が咲いたことでしょう。サイトの写真にあるように、小柄で、笑顔を絶やさず、明るく、気さくな人でした。他のサイトには、難病の子供たちを救済する慈善活動をしていたとも書かれていました。“The Five Pennies”でDorothy役を演じたこととこと肝心なシーンの台詞を覚えてしまいました。

Susanさんが好んだRobert Frostの詩

詩が好きで、Robert Frostの詩The Road Not Takenが好きであったようです。

引用します(*12)

The Road Not Taken

Two roads diverged in a yellow wood, 
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;

Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that the passing there
Had worn them really about the same,

And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,
I doubted if I should ever come back.

I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence:
Two roads diverged in a wood, and I—
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.

(2019年3月10日記)



(*9)1970年代のアメリカのテレビ局は深夜や休日に古い名画を放映していました。“The Five Pennies”も何度か放映されました。また、古い名画のみを上映する映画館もあり、小津安二郎、溝口健二、黒澤明などの作品も上映されていました。(*10)筆者はこの映画を機にDixieland jazzが好きになり、その後、来日したClarinet奏者George Lewisの虜になってしまいました。最初にLouisiana State University at Baton Rougeを選んだのはNew Orleansが近かったからです。本コラムの第86号で筆者と同じ頃 、George Lewisに魅せられ、以来、大阪で活動しているラスカルズを紹介いたしました。ちなみに、Louis ArmstrongもGeorge Lewisと同じbandで演奏した時期があります。筆者個人にとってこの映画はこういう意味でも特別な思いを寄せる映画です。Dixieland jazzは“hot or traditional jazz”とも称されますが、本コラム前回で取り上げたMcLuhanはradio時代のjazz をhot mediumとしていますが、もし、Dixieland jazzをhot mediumとするとしたら筆者は異論を唱えます。Dixieland jazzは、戦前、戦後のradio全盛期のjazzですが、元々は当時のアフリカ系・アメリカ人のcommunication手段の一つで、Mississippi 河流域のNew Orleansなどの都会ではjazz、農村地帯ではbluesとして発達しました。かなり参加型のcool mediumではないでしょうか。関心のある読者はBlues from the Delta(William Ferris 1988 Da Capo)を読むよう薦めます。University of MississippiのBlues Archivesも一見の価値ありです。世界中の著名musiciansが訪れています。

Blues from the Delta(William Ferris 1988 Da Capo)

(*11)1980年代には大分緩和されたようです。文学の世界にもglobal化が押し寄せ、古今の英文学が他の多くの文化の影響があって初めて成立していることが分かったからではないでしょうか。個別文学からglobal(village)literature、ひいては、literacyそのものが問われる中、他の表現芸術との融合を考えなければならない時代になりつつあります。筆者はCalifornia State University(前身College)在籍中に履修したフィリッピン人作家N.V.M. Gonzalez教授の授業は英文学を超えていました。1988年に出されたThe Bamboo Dancersを読んでみてください。

(*12)Frostが居たNew Englandの紅葉(実際には黄色が目立つ)の時期の森を詠んだものと思われます。俳句の世界に近いですね。Gordonさんは東部に移り住んでいたので紅葉の中でこの詩を味わえたのでしょう。ちなみに、当時のCalifornia State College at Hayward(現California State University at East Bay)のEnglish Departmentでは詩の研究が盛んでRobert Frostらの現代詩もよく読んでいました。




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