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操車場



 しめやかな夕暮れ、風を受けて萩の叢(むら)がりが、波濤のように揺れている。



 人間は、両足と人体の巧緻な力学により、支えられて、生きているのではない。眼前の情景により、真に支えられて、生きている。



美しいと見る絵。
美しいと思って見る絵。


私の館


私の館。
至る所クールベの絵が飾ってある。
部屋は全て南に面している。
広々とした食堂。
重厚で立派な木製のテーブル。
きらきら光るクリスタルの高杯(たかつき)。
硝子戸は開け放たれている。
地平線上で夕靄のピンクと白雲が溶け合っている。
曇天を突く針葉樹の小さい黒いシルエット。
峰の稜線に触れて流れるように落ちてゆく夕日影。
涼風。
私の館。



花は美しい。
その縁取りが美しいのか?
その色具合が美しいのか?
全てに於いて、それは美しい。


貨車


清々しい夕映えの下
平原で一輛の貨車がポツンと野晒しになっていた。
彼方には線路が敷かれていて
立派な汽車が時折走り過ぎてゆく。
吐き出す煙りは天高く立ち昇ってゆく。
誰がどうしてここまで引き離してしまったのかは分からない。
錆びて草に蔽われて鳥の棲み家。
昔ここまで支線でもあったのだろうか。
形跡はどこにも見当たらない。
もう誰も気が付かない。
気が付いてももう誰も引き取ろうなど無駄なことはしない。
向こうからはどう見えるんだろう。
立派な貴人のお墓かしら
もう土の乾き切った。



「清新な」
「瑞々しい」
「豊かな感受性」
そんなガラクタごみ箱に抛(ほう)ったところで、音さえ立たない。



人間は一年経てば
笑っても
泣いても
およそ人智では辿り着けない所まで運ばれて行く。
しかし絶対に後戻りはしない。



人は、何を目印に歩いているのだろう。



菊の花を食べている
と思っていたら
ビスケットだった。



紅い紅葉もいいけれど
黄色い黄葉が
私は好き。


木の標


木の標に曰(い)う
昔、才智と胆力で浪人から摂政にまで登りつめた男の邸(やしき)跡。
今そこにあるのは時化(しけ)た時計屋。
やっているのか
やっていないのかわからない。


操車場


望んでいた光は風と為(な)って私の肌を撫でて行く。

草の反復する揺らぎと遠方の朧げな黒だか灰色だか判然としない影の集まりの辺りから鳴り渡って来る無機質な音の渾然とした感覚に一瞬たじろいで、軽い吐き気まで催していると、雲の船団に助けられ支えられ私は歩き出すことが出来た。

線路脇の無人の道を進むと、操車場の大きな拡がりが待ち構えていた。

鉄の柱や灰色の壁が夕映えをしっかりと物の見事に支えている。

私一人心のままに静かな清冽な区域に立ち入って、あの灰色の建物を目指す。

そこには友情が愛が、過去が未来が咽(むせ)ぶ程に息づいているのが怖い程鮮やかに見て取れる。

それでも「これは版画では」という地獄のような想念に襲われもするが、私を凍てつかせるどころか、灰にするどころか、この血肉の真っ赤な色使いをより決定的なものに仕上げてしまっている。

何の憂いも遠慮も無く、優しい光に塗(まみ)れている戸の中に入ると、この広くて高い空間は私の体に加わった。

天井近くの窓の外を大きな鳥の群れが舞い上がる。

きっと何処かに有る筈と趣味良く整然と設えられた祭壇を探すが、何処にも見付からない。

手に握り締めていた石礫(つぶて)をポーンと高く放つと、遠くに落ちたが予想に反して乾いた音が少しも聞こえない。

その代わり、青い空が反転して戻り反転して戻りという夢に苛まれてしまい、到頭その建物を後にした。

余りに息苦しく、目に映る金網目掛けて一目散に駆け出した。

手に傷や痣(あざ)が付くのも構わず、夢中で金網を攀(よじ)登り、その頂から草叢へ飛翔する。

私の屈(かが)められた体は地面に叩き付けられた後、何回転かして止まった。

怖くて目が開けられない。

顔を撫で続ける草に安心して目を半開きにすると、空の海が広がっていた。

体を横に向けると、濃い緑色の草の茂みの街だった。



二つの意志力。
立ち止まる時。
進む時。



権威を拒絶して権威を得る人達。



『私』と言いながら、『私』でない人が居る。

経世済民。😑