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仕事とアート活動は両立できる: 明治産業・菅本千尋さんインタビュー

明治産業に2022年4月に入社し、現在は営業として日々の業務にあたるかたわら、社員主導のアート活動「MAC会議」の中心メンバーとして活躍している菅本千尋さん。
学生時代から現在まで演劇の現場に携わり続け、大学院ではアートと社会の関わりについて研究。昨年秋には自身の演劇活動に専念するために2ヶ月間の休職を取ることにもチャレンジしました。
彼女はどうしてアートを専門にした就職先でなく、明治産業を選んだのか?そして今、日々の業務と自身のアート活動を両立させていることが、互いにどのような好循環をもたらしているのか? たっぷりとお話を伺いました。

菅本千尋さん(2022年4月入社)

なぜ、明治産業に?

——菅本さんはどうして明治産業にご入社されたんですか?

菅本さん
大学院2年生の年明けくらいから「就活どうしようかな」と考え始めました。自分の中では博士に進みたい気持ちもあったけど資金的な部分で厳しいなとか、そもそも自分が研究者になりたいのかな?ということもすごくあって。進学するのか、就職するのか。

当時からどんなことでも「現場」に面白さを感じる人間だったし、そこにい続けたいと思ったので、まず大学を離れて就職することに決めました。また私は演劇をやっていたので、演劇×現場×会社員となると、じゃあ照明会社に入るのか? それともやっぱりフリーの演劇人になるしかないのか? みたいな選択肢がまた生まれ始めました。

ただ、私はとにかく演劇や舞台照明が好き過ぎたから、もし仕事にしたせいでそれらを嫌いになってしまったら、もうやっていけないなとも思ったんです。だから、生活と好きなことはちょっとだけイコールにならないようにしよう、と考え始めました。とはいえその時点で既に、有り難いことに月1回以上のペースで演劇の現場へ関わらせてもらってもいたので、やっぱりこの縁も大事にはしていきたい…と悶々と悩みましたが、まずはリクナビを開いてみることにしたんです(笑)。

演劇の現場を通じて福岡に繋がりがたくさんあったので、東京に行く選択肢は一旦「ナシ」にして、リクナビで「仕事場が福岡」で絞り込み。そして「転勤がない」「土日祝が休み」「年間休日数が120日以上」「残業が少ない」と条件を選択していきながら、最期に検索ワードに「アート」って入れてみて、えいって叩いたら、1社しか出てこなくて。それが明治産業だったんです。

そこで会社のプロフィールをよく見ていくと、社内研修で寸劇をやっていたりとか、VTS(対話型鑑賞)を使った研修もやっていると書いていて。ちょうどその時私も、VTSを絵画作品だけでなく演劇にも援用できないかと可能性を感じてもいたので、「VTSをやってる会社が福岡にあるんだ!」とすごく驚いて。

それ以外の条件もぴったりだし、正直その時は明治産業が何の仕事をする会社なのかはあんまり分かってなかったんですけど(笑)、どんな仕事でも絶対に楽しいことも辛いこともあるから、そこは割とどうでも良いか、と。当時から「何の会社なのか」よりも「どんな社風か」の方が大事だと思っていました。

とはいえ、自分は色んな人と話すのが好きだから業種は営業が良いとか、毎日同じスケジュールで生活するのが好きではない、といった希望もあるにはあったんですけど、ここならそれも全部叶えられそうだと思って。「えいっ!エントリーだっ」みたいな感じでした(笑)。

——そこから採用試験はスムーズに進んだのですか?

菅本さん
そうですね。明治産業は採用試験もほんとに独特で、面白くて。確かSPI試験も、学歴について問われたことも、ほとんどなかったと思います。
その代わりに「『アリとキリギリス』の物語の続きを書いてください」という試験だったり、「野球」や「レモン」などランダムな単語が4〜5個並んでいて「これらを組み合わせてショートストーリーを書いてください」みたいな試験だったりしました。私は小学6年生から自分で小説を書いていたので、思わず「任せろ任せろ、もう大得意や!」ってなって(笑)。こんなに面白い会社だからきっとたくさんの人が受けてるだろうと思ったこともあって、絶対そのなかで一番面白い作品を書いてやる!と張り切りましたね。

——そんなにユニークな試験だったんですね。

菅本さん
 そうなんです。その次の試験では、みんなで話し合って解決策を考えるようなグループワークもあったんですが、確か私たちのチームは「『浦島太郎』に登場する乙姫様のその後を考える」みたいな感じでした。 何をやっている会社なのかは、いよいよ分からなくなっていたと思いますけど(笑)、とにかく社風としてすごく合うなということが感じられたんです。

通常、アート系の就職先って言ったらまずは広告代理店だと思い込んでいたので、一応代理店とかも受けていたんですけど、明治産業に受かった時点でもう全部辞退して。自分でも正しい選択だったと思います。会社に入ってからも色んな企画に挑戦してみていますが、社員のみんながちゃんと受け入れてくれる、すごくノリが良い人たちばかりで。本当に毎日楽しく仕事させてもらっています。

演劇活動と、大学で学んだこと

——かたや菅本さんは、入社前から現在まで演劇にまつわる活動も本格的に続けておられます。演劇はもともと、どのように始められたのですか?

菅本さん
 小学校6年生の時、美術の図版の左隅に、たしか錆びた鉄の廃材で作られた、でっかいマウンテンバイクのかたちをした作品の写真が載っていて。私はそれを見た瞬間に「これに乗るのは巨人で、その巨人の隣には小さい女の子がいるんだ」と思って、その物語を自分で書こうと思ったんです。 もともと本を読むのは好きでしたけど、書くことは誰かに教わったわけでもありませんでした。たった一枚のその写真との出会いがきっかけで、自分ひとりで小説を書き始めたんです。

中学校には文芸部もなかったので、ひとりでぽちぽち3年間、パソコンに向かって家で書き続けていました。書いたものを国語の先生に持って行くと、「面白かったですよ」とか「ここの表現はとても秀逸です」といった感想をくれたんです。今思い返してもかなり拙い文章だったと思うんですけど、先生がそうやってすごく上手に褒めてくださるから、ずっと続けられていて。高校生になってやっと念願の文芸部に入りましたが、結局書くときはひとりだし、それまでの4年間とそんなに変わらない感じがしていました。

せっかくならもうちょっと他人と一緒に何かしてみたいな…と思っていたところに、「演劇部の人が足りないから入ってくれ」と声をかけられて。当時から俳優をやる気は全くなかったんですけど、パソコン作業はずっと好きだったこともあって、なんとなく機械をさわれる人間に憧れがあり、「テクニカル(技術系の裏方)をやりたいです」と入ってみたんです。そしたら高校の講堂の後ろに、音響や照明の機材がドーンって入ってる調整室があって、それがまるでコックピットみたいでかっこよくて、「私がこれら全てを司る!」とすぐにハマりました。

その後、大学に入ってからも演劇は続けたかったので、勧誘で立っていた先輩に「高校でも演劇をやっていましたが、私は照明しかやりたくありません。それでも入って良いですか?」と尋ねたら「いいよ」って言われて、「ええっじゃ入ります!」みたいな感じでした。

——「照明しかやりたくない人」なんて、その先輩もラッキーだったかもしれませんね。

菅本さん
そうですね(笑)。だけど入ってみたら、同期7人くらいいたなかで高校から演劇をやっていたのは私だけで、あとはほぼ全員が大学から演劇を始めた人たちだったんです。

そこにはどうしても埋められないギャップがありました。例えば一緒にお芝居を見に行ってもイマイチ話が合わないことが多くて、すぐに物足りなくなってしまいましたし、その子たちのお芝居を見ていても「もっと出来るでしょ!」みたいに感じちゃって。いよいよ部の中でひとりだけ尖って、浮いちゃって。

多分そんな私を見かねた先輩が、「今度自分が出演する部外の現場が照明担当を探しているけど、やってみる?」みたいな感じで声をかけてくれて。もう喜び勇んで「行きます!」となったのが、大学2年生の時でした。

そこから福岡の小劇場の現場でフリーとして活躍されている先輩たちとたくさん出会いました。先輩たちの「照明やりたいなら、現場来てみる?」という言葉を私は本気にして、現場に通い始めたんです。そこから「次の現場も行きたいです!」と仕込みからバラシまでどんどん現場に出るうちに、みるみる縁も広がっていきました。

そのうち先輩のもとに来ていた「予算の無い現場だから若手でお願いします」みたいな相談を回してもらったりしていたら、福岡学生演劇祭の実行委員に関わることになって。最初は出場者から始まって、次に照明の統括をやって、最終的には演劇祭全体の統括をするようになって…という具合でした。

——菅本さんは、大学でもアートにまつわる分野を専攻されていたんですよね。

菅本さん
 はい。学部生のときから自分が書いていた小説という表現の「読書体験」自体に興味があったので、そういうことを学び深めるにはどの学部が良いのかと調べてみたら、どうやらそれは「美学」という分野っぽいぞとなって。そこで「美学だーっ!」と踏み込んでみたら、九大文学部の美学美術史研究室は、もう九割九分が美術史の勉強で、はじめは自分の関心と全然違う場所に踏み込んでしまったんじゃないか…と戸惑いました。

私はといえば、大学1年生になるまでほとんど1枚もきちんと絵画を見たことが無くて、ピカソとゴッホも何が違うのか分からないような人間だったんです。でもその研究室では、みんなめっちゃ絵画の話するし、よく分かんない専門用語もいっぱい出てくるしで、「どうしよう…」みたいな感じになっていました。

その研究室では毎週1回、美術館に行く実習があったんですが、そこでも私は「なんか全然分かんない」だったんです。「みんなそんなに何を見ているの?」「なんでみんな、こんなにひとつの美術展に1時間も2時間もいられるの?」みたいな感じで、ひとり取り残されてたんですけど、それを2年半も続けていると、段々と自分の中にも見方が出来てきたんですね。

でもそれは、絵だけを見て獲得していったのとも違う気がしています。いつもみんなより早く見終わってしまって暇だったから、それならと「みんなは一体この作品の何を見てるんだろう?」みたいなことをひたすら考え続けていた。それが多分大きいんだと思います。

私は当時、演劇や小説については、ストーリーを「動いている」ものとして捉えていて、そのダイナミズムに合わせて鑑賞者も一緒に「動く」ことで没頭出来るものだと思っていました。だけど絵画はそれらとは違って、「もう動かないもの」「固定的なもの」「完成しちゃっているもの」だと感じていたので、そういうものをどのように見れば良いんだろう?ということがずっと分からずにいました。

だけど北九州市立美術館で開催された「ブラマンク展」に行ったときに、私ははじめて 絵画に感動出来てしまったんです。絶対に動かない絵たちを前にしているはずなのに、私はどうしてこんなに感動しているんだろう?となりました。そのあたりから、段々と絵画だけでなく、インスタレーションなど色んなジャンルもひっくるめた「鑑賞体験」が、自分の興味の核心のひとつとなっていったんだと思います。

そんなこともあって、卒論では小説や美術展など3つの違う表現ジャンルについて、それぞれ自分自身の芸術体験を分析してみるような内容にしました。

——そして大学院でも引き続き芸術にかかわる分野を専攻されたんですね。

菅本さん
 私が通っていた大学院は、九州大学の「芸術工学府 芸術工学専攻 コミュニケーションデザイン科学コース ホールマネジメント エンジニアリング講座」っていうところで、名前が長いんですけど(笑)。ホール・劇場のテクニカルな部分や製作的な知識と、社会・アートの知識とを結びつけて、劇場職員や行政の人/観客/アーティストという三者を繋げられる人材の育成が目指される場所でした。

私はもともと「作品そのもの」よりも、人々にとって「作品がもたらす体験」とはどういうものなのか?ということの方が気になっていたんです。「社会の中で、この作品はどういうことが出来るんだろう?」とか「どうすれば劇場の外側と繋がっていけるんだろう?」とか。

そんな中、大学の先輩のツテを頼りに、兵庫県の城崎国際アートセンターに合計2週間くらいのインターンへ行きました。アーティストのそばについて現地で一緒に製作のサポートをするうちに、その劇場と城崎の温泉街の人たちが深い連携を結べていることを目の当たりにして、かなり大きな衝撃を受けたんです。劇場って、こんなにもコミュニティの中に溶け込むことができるのか、と。

そういう関心が強まったこともあって、段々とアートマネジメントや芸術体験といったことへの興味が強くなっていきました。大学院でついて下さった指導教官が芸術社会学の中村美亜先生で、そのすぐ隣にはアートマネジメントの長津結一郎先生がいたことも、自分にとっては大きかったのだと思います。

明治産業 史上初の「アート休職」

——そんな菅本さんが明治産業に入社されたわけですが、いま会社ではどのようなお仕事を担当されているんですか?

菅本さん 会社では営業を担当していて、いま3年目です。仕事の内容としては、オーナーさんのところを定期訪問として回って、「最近どうですか?」とお話を聞いていきます。建物を売りたい・買いたい・建てたい・ちょっとここが気になってる…といったニーズをヒアリングして、自分たちの会社で出来ることからご提案して、というような仕事をやっています。

——お仕事では、ひとりで動くことが多いですか?

菅本さん そうですね。完全に個人作業、個人営業です。私は一応、福岡市が中心エリアですが、熊本にもお客様はいらっしゃるので、あまりその辺りも厳密ではありません。数で言えば、多分250とか300くらいだと思います。

——そんな菅本さんは昨年秋、自身の演劇活動に集中するため会社を2ヶ月間休職されました。これまで会社としても前例の無かったこのチャレンジについて、詳しくお聞かせください。

菅本さん 2023年の 11月から12月にかけて自分が関わる演劇の現場が集中していて、このチャンスを逃したら絶対後悔すると思ったので、会社に相談して2ヶ月間のお休みを「私用による自己都合休職」として頂戴し、演劇の活動に専念してきました。

明治産業は社長も、同じ営業のチームのメンバーも、社員のみんなも、アートにすごく理解のある人々だと分かっていたので、一か八か相談してみることにしたんですが、すんなり「良いよ」と言ってもらえてとても有り難かったです。

そのとき参加した現場は、かなりの量でした。まずは『puyey(ぷいえい)』という劇団の「おんたろうず」という演目に演出助手で入り、北九州市、宮崎県、大分県を巡るツアーに参加。そして福岡で活動している『マルレーベル』の作品には照明で参加して、福岡、大阪、横浜のツアーへ。さらに芸工大時代からの仲間で今は東京拠点で活動している『がらくた宝物殿』という劇団の浅草公演。さらに東京の北千住にあるBUoY(ブイ)という場所で、様々なアーティストやダンサーが即興で数時間踊るというイベントにも照明で参加することになっていて、それらがほぼ1か月の間にまとまっていました。

特に後半は、浅草でバラして福岡に帰ったその日に別の現場を仕込んで、本番終わったら今度はその足で横浜へ行って…という感じで、まるで日本の地理を知らない人間が組んだようなスケジュールだったのですが(笑)、なんとか完走してきました。

——怒涛の2ヶ月間でしたね。それを終えて再び通常の会社業務に戻るのは、どんな感覚でしたか?

菅本さん 最初はさすがに「もうダメだ、会社員的振舞いはもう全部忘れてしまった…」とか思っていたんですけど(笑)、戻ってみると同僚たちの温かい気遣いもあって、すんなり平常運転に戻ることが出来ました。それに、その2ヶ月で新たに得た色んな縁や、たくさんの種を撒いてきた手応えもあったので、「もっとこの会社で出来ることがあるぞ」と感じられたことも覚えています。

——会社からの反応はいかがでしたか?

菅本さん 戻った後も「戻ってきたねー」「楽しかった?」という感じで、すごく暖かく受け入れてもらえて、本当に有り難いことだと痛感しました。大学時代お世話になっていた教官からも「(会社に戻ったあとにも)ちゃんと居場所あった?」とからかい半分で言われたんですけど(笑)、全然大丈夫でいてくれた会社の仲間たちには、本当に感謝が尽きません。

社長はよく「仕事と遊びは地続きだ」といったお話をされるんですけど、それは私もちょっとわかると思っていて。「会社だからモードが変わる」みたいなことは、私もあんまり無いですね。それはいま、仕事の場であるにも関わらず自分自身が興味のあるアートのワークショップ企画をさせてもらえていることや、アートを一緒に楽しもうとする社員の仲間がいてくれることもあるんだとは思うんですけど。仕事とアートの活動の間に、ほとんどギャップを感じずにいられているんです。

もちろん会社の業務が365日ハッピーなことばかりというわけでもありませんし、演劇やアートの現場だって全部が楽しいわけじゃない。ただ、私はもともとネガティブな気持ちが持続しない性格であることも幸いしているのかもしれません。

以前、大学の先生に「出来事は出来事でしかなくて、そこには『良い』も『悪い』も無い。どう捉えるかは人それぞれであって、結局は自分の受け止め方次第」というアドバイスをもらったんですけど、私はそれにすごく共感していて、いつも心に刻んでいます。

仕事とアート活動の両立が 新たな価値を生む

——ご自身のアート活動や関心が、会社の業務で生きた場面はありますか?

菅本さん
まさにそれが最近あったんです。もともと物件のエントランスに絵を飾られていたオーナーさんとの雑談の中で、今まで絵を描いてもらっていた画家の方がご高齢になったから、今後は絵画のレンタルがないかと考えている、と仰ったんです。「出来れば季節ごとに絵が変えられると良い」とか、「単身物件なので若い人が見ても楽しい絵だとなお良し」といった条件もそれとなくお話しされたので「すぐにご提案します、まさに得意分野です」とお応えしました。

そのオーナーさんは、ご自宅にも絵やお花を飾られているような、普段からアートを大切にされる方だったこともあって、とにかくご要望を細かく探っていきました。そのうち、名画のレプリカはあまりお望みではなさそうなことや、輪郭線が太い絵もお好きではないようだ、とか、でも逆に印象派っぽくなりすぎてもちょっと違いそう…といった具合で、やり取りのなかからそのご希望されている作品の雰囲気や解像度を上げていきました。

同時に色んなアートレンタルの会社を調べながら、オーナーの条件に合って、かつ絵の掛け替えまでやってくれる会社はどこなのか探していきました。 そのうちいくつかの会社さんは「あ、この会社はアートが好きなわけでなく、単なるビジネスとしてやっているな…」みたいな感覚もわかってきて、そういうところは候補から落としていきました。

最終的にはアートテクノロジーズさんという、福岡にも事務所を構える、アートのサブスクリプションサービスをやっている会社さんとご一緒することになりました。彼らのアートへの姿勢や、自分たちの扱う作品を大切にされているようすに共感しましたし、彼らのサービスを利用することで若手作家やアーティストさんたち自身の活動支援になる点もポイントでした。無事にオーナーさんとご成約いただけて、とても嬉しかったですね。

——不動産やインフラを扱う会社と、社会にアートを浸透させていく活動は相性が良いですよね。

菅本さん
私もすごくそう思います。今、もうひとつ大きな可能性を感じてるのが、企業向けのワークショップです。いま私たちは、社員自ら企画・実施するアート活動=「MAC会議」を続けていますが、その手応えからも、アートを活用したワークショップを企業研修として行うことにはかなり効果があるんじゃないかと感じています。MAC会議で私たちが見つけた事例や可能性を、他社さんにもプログラムとして持ち込んでみたいんです。

7月にもひとつ、会社で「リスペクトコミュニケーション研修」という研修を準備しています。延々と退屈な動画を見せられるようなハラスメント講座や内定者研修ではなく、地元の劇団が目の前で実演してくれる演劇を通じて、社員同士のコミュニケーションを考える研修にする予定です。

たとえば会社で上司と話す時だったり、会議で難しいことを考えて発言する場面って、やっぱり緊張するじゃないですか。そういう緊張がある場で、関係性を育むためにアートを使って遊んでみることには、きっと可能性があると感じています。そういう活動をやっている会社ってまだ少ないと思うし、少しずつ他社に持ち出してみたり、発信もしていけたら良いなと思っています。

——演劇やアートを取り入れた企業研修は、「興味はあるけど、どこにお願いしたら良いか分からない」という企業も多そうです。きちんとプログラムに出来れば、あとは会社ごとの悩み事に応じて柔軟な展開もしやすそうです。

菅本さん
 そうなんです。あと、社長とのお話しによく挙がるのは、物件にアートを入れたい、街にアートを溢れさせたい、という点ですね。

アートを美術館やホワイトキューブ、ブラックボックスに閉じ込めるのでなく、街のなかにも「アート」と区切らなくても良いほど自然で身近なものとして溢れていると良いよねといつも社長は仰っていて、私もすごく共感しています。そうでないと、美術館にまで足がなかなか伸びないのかな、とも思ったり。

——でもその一方で菅本さんには、ただアートの敷居を下げていくだけでもいけないのではないか?というジレンマもあるようですね。

菅本さん
 はい。それこそ会社でVTSをやってみても、ただ「面白かったね」で終わるだけでは勿体ないと思っています。

私が美学美術史の人々に囲まれた学生時代を過ごしたせいもあるんですが、どうせVTSをやるなら、ただ感想を交換するだけでなく、やっぱりきちんと画家のことや、その絵がどんな時代の中で描かれたのかといった話までは絶対にしたいし、しなくてはいけないものだと思っているんです。

——近年のVTS流行りにおけるジレンマですね。もちろんまずは一人ひとりが「作品を見て自分が感じたこと」をそのまま言葉にして、鑑賞を楽しめるだけの安心感や自信を獲得して欲しい。だけどそれが行き過ぎて「どんな作品も自分都合で好き勝手に読み替えても良い」となってしまっては、それもまた良くない。作品を自分たちの満足に奉仕する道具のように消費してしまうのでなく、美術が長い年月をかけて積み上げてきた歴史や基本もセットで学びながら、楽しく活動を続けていくにはどうすれば良いか。

菅本さん
 もちろん好きに作品を見て、自由に感想を交換することだって大事なことなのですが、出来ることなら自分の見方だけに留まらず、もっと「作品自体を見て・知ってもらうこと」の面白さを広められたらと思うんです。そんななかで最近は、大学時代に後小路雅弘先生から受けた授業を参考にすることにしています。

その授業は、絵に描かれたものをひたすら言葉で描写していく「ディスクリプション」という作業を延々とやるものだったのですが、私たちも今このディスクリプションをやらないかん、と思って、MAC会議でも自分なりに新しいスタイルの対話型鑑賞ワークショップを開発してみたんです。

——そのワークショップの内容は、MAC会議について別のインタビューでお聞きしました( 同記事の11回目企画の箇所を参照 )。
同じ作家が描いた、見た目の似た絵画を三枚準備して、参加者の一人がそのうち一枚をひたすら言葉で説明=ディスクリプションし、 残りの二人がそれが三枚のうちどの一枚なのかを当てる、というものでしたね。

菅本さん それです。その時のディスクリプションについては「とにかく絵に描いてある事実しか言わないでください」「オノマトペ(擬音語)も質問も禁止です」という感じでルールも設定してみました。これから回数を重ねてもっとブラッシュアップしていきたいものではありますが、まずはみんなにもっとディスクリプションを体験してもらいたかったんです。

菅本さんが企画した、第11回目のMAC会議ワークショップのようす

——実際にそのワークショップをやってみて、社員のみなさんの反応はいかがでしたか?

菅本さん
 「当てっこゲーム」みたいなかたちを取ったこともあって、結構楽しんでもらえた印象でした。あちこちで「わー当たった」とか「外れた」みたいな声も聞こえていましたが、それはぶっちゃけ、どっちでも良いんです。まずは自分で絵を徹底的に説明してみることが何より大事で、その役割を担当した人たちはやっぱりすごく一生懸命に 絵を見ていたんですよね。

自分が目にしているものを言葉だけで描写して伝えなくちゃいけないから「まずここに何々があって…」と目で図像を追っていく作業が始まる。そうしていくうちに、色んなことに気付いていくんです。なんてことない田園風景に見えていたものでも、「なんか路地があって…」「あ、その先には家もあって…」「その家はこういう形と色をしていて…」みたいに続いていく。私もその様子を見て「これは継続し甲斐があるぞ」と感じましたし、やっぱり出来る限り「対話を通じて作品を見てもらう」ことが大事なんだと思いました。

あと、朝礼の時間で見せる作品は、出来るだけちゃんと美術史の中で評価されている画家の作品が良いですね。適当な絵をネットで拾ってくるのでなく、きちんと美術館のサイトから引いてくること。もっとも、このワークショップを続けていくのに一番大変なことは、同じ作家が描いた、見た目の似た絵を3枚揃えることなんですけど…(笑)。

——「画面に描かれたものを、感情を抜きにしてひたすらディスクリプションしてみる」ことと、このインタビュー前半で菅本さんが触れた「出来事を感情から切り離して、出来事のまま捉えてみる」ことには繋がりがあるようにも感じます。それはそのまま仕事や現実への対応能力やマネジメント能力といったことにも直結しそうですね。

菅本さん 確かに!そうですね。あと、私としてはこれからどうやって社員一人ひとりがもっと自信を持って企画を提案できるようなムードを育てていけるか、という点も大事だと思っています。

MAC会議では社員と一緒に、アートにまつわる色んな企画にチャレンジしている

いまMAC会議では、社員なら誰でもアートの企画を提案して実施も出来る仕組みになっています。私はそういう企画を考えるのが大好きだからいくらでも提案出来るんですけど、アートの経験もまちまちな、いきなり集められた社員のメンバーたちにしてみたら「アートの企画を出してみて」「それを実際にやってみて」と言われてもそりゃ難しいだろうし、どうすれば良いか困っちゃうだろう、ということも分かってきて。私が提案する企画だけを続けていても仕様が無いとも思っていますし。

何事も、やったことのないことに挑戦するのは難しいし、何も分からないなかでいきなり「やってみたいです」とはやっぱり言いづらいじゃないですか。実現出来るかも分からないし、 何も分かっていない自分が提案なんかして良いわけない、と思うことだってあるかもしれないから。

でも私がいまMAC会議を1年以上やってきた感覚としては、みんなのなかにそれぞれ「こういうのが面白いからやってみたい」とか「こういうことにちょっと興味がある」といった種があることは分かる。だからここからのMAC会議は、その種をどのように芽吹かせる場になれるのか、どうすればもっと「会社的ではない」場に出来るのか、ということを考え続けています。

また、実際に企画が走り出したあとにも、アートの活動ではふと「あれ?私たちって結局何を目指していたんだっけ?」とか「私たち今何やってるんだっけ?」みたいに迷子になってしまう場面がよくあります。だから今後は年間か半期ごとに、みんなのアイデアの中からちょっとした目標やゴール地点を立てるようにして、そこを共有しながら進められないかな…みたいなこともいま、妄想しているところです。

——そのためにも、これからますます社員の皆さんに「なぜ明治産業はアートに取り組むのか」という根っこの部分 が浸透して、自信を持って大胆な企画にも挑戦してもらえるようになると良いですよね。

菅本さん そうなんです。迷ったときに立ち戻れるコンセプトがあることはやっぱり大切だと思いますし、これからもっと社員のみんなを巻込んでいきたいんですよね。

まずは皆とのMAC会議を通して見えてきた今後の企画の種をたくさん温めて、どう磨かせようかと考えるだけでもワクワクしています。そしてみんながもっと自信を持って企画を出し合えるような雰囲気になっていけますように。引き続き自分もみんなと一緒になって、楽しんでいけたらと思っています。


【編集後記】
2018年にLOVE FMのラジオ番組として「明治産業 presents, OUR CULTURE, OUR VIEW」が始まったとき、明永社長と「いつかこうした明治産業のアートの活動がきっかけとなって、これまで御社にいなかったような新しい人材が入社してきたら、会社は一層面白くなりますね」とお話ししてから数年。いよいよそれは実現し、明治産業のアート活動も単なるCSR活動とは違う、新たな領域へと踏み出し始めています。

社員たち自身も新たな「文化の熱源」となって、楽しみながらアートの面白さやその意義を街へ広めていく。れからの明治産業によるアートの取り組みが一層楽しみになるインタビューとなりました。


PHOTO:橘ちひろ
TEXT:三好剛平(三声舎)

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