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自分の気持ちに耳を傾けるためにnoteを書く

noteを週1ペースで書き始めて2ヶ月経った。
結構続いてて嬉しい。多分向いている。

ガスコンロ周りの掃除をして、
いつものベーカリーカフェへ

もともと内省が好きでよく思考をメモにしたためていた。
しかし自分の中だけに留めるのではなく発信できる形にしたいと思い、noteをとりあえず再開してみた。

しかし、最近は、いざPCを前にしても、指が動かない。脳が回転しない。
思考を巡らせて溢れ出てくる言葉を書き連ねるのが好きなのだが、湧き出るものの勢いが落ち着いてしまっている。

最近noteのネタ探しをしていると、頭の中で「きれいな」構成を作り上げてしまっている。
こういうふうに流れを持っていけば面白いかな?こうすれば刺さる文章になるかな?などという具合に。

最近とあるオシャレOLのイケすかないVlogを頻繁に見ているのだが、
「そういう他人の人生であるVlogを延々と見てしまうのは自分のおしゃれ生活を取り入れたいと思っているのだ!」
というようなとってつけたような構成が思いついてしまって、割と絶望した。
イケすかないと思っている女のVlogだぞ?取り入れたい!って素直に思うわけないだろうよ……。

確かにこの構成でも書けるが、
綺麗な言葉を連ねただけのいい子の文章(道徳の教科書、と私は呼んでいる)になる。
提出期限に間に合わせるためにこじつける論文と同じ。
そうやって出した文章は、本当にB評価しかつかなかったなあ。

なぜそうなってしまうのかというと、
記事の結論が思いつかないからだ。
「こう言うことがあったけど皆さんはどう思いますか?」で終わる文章は流石に読み応えがなさすぎる。
だが、日々思うことについて自分の中で「〜〜だからこうだ。」まで行き着いていないことが多いのだ。
「こういうことってモヤつくよね、嫌だよね」というネタになることはたくさん起こっているはずなのに。だから、何かしら手頃にオチに使えそうな、こじつけた綺麗事の結論を探してしまうのだ。

普段から、「こうだよね」がないことがあるなと思う。
友人と話している時に、話を広げるつもりで「この人がこういうこと言っていた!」と言うことがある。
「うんうん、だから何だろう?」と次に続く言葉を待つ友人の顔をみて、「だから、うん……」というなんとも歯切れの悪い受け答えをしてしまう。
自分の意見を形にできていないのだ。

もともとは、自分の考えや感じたことを自分の言葉にできるようにという気持ちから文章を書くようにしたのではなかったか?
自分の意見が見えるまで目を凝らしてみよう。
大層な論を展開しなくていい。感想でいいから。

読まれそうな記事を狙って書くアフィリエイトみたいなことはしたくない。
結論を手頃なところから探すのではなく、感情の深掘りから生まれる文章を書いていきたい。

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