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人生の転機/自己紹介

皆さん初めまして。
沖縄で建築の仕事をしている30代のオスです。

平均寿命の1/3程度しか生きていない僕が人生語るには生意気な気がするけど自己紹介も兼ねて書いていきたいと思います。

人生には何かしらの転機があって、今の生き方に至っていると思う。僕にも転機と思える事がいくつかあった。僕の場合、特に思い返されるのは学生時代で以下の4つです。

1.団地から新築一軒家へ
2.中学1年時の担任
3.虚しい中学時代
4.充実させた高校時代

これらがあったから今、建築家として安定、安心など無い生き方を楽しめています。

1.の"団地から新築一軒家へ"は僕が「建築」に興味を持ったきっかけです。
 僕は、小学3年生まで家族5人で団地暮らしでした。団地の部屋は、広く無いし、エアコンも無い、5階に位置しエレベーターもありませんでした。そんな家から二階建てコンクリートの新築一軒家に引越しをしました。自分の部屋も与えられ、さらにエアコンも付いている。僕にとって快適な空間になるはずだったのですが、実際は違いました。お家は広くなったけど、何故かさみしい。団地の狭さが心地よかった。子供だった僕は、家族が物理的に離される一軒家の空間(間取り)があまり好きでは無かったのです。それぞれが部屋に籠れない、家族を身近に感じれる団地が好きでした。そんな経験がきっかけで、高い買い物である家は自分で作りたいと漠然と思っていました。

2.の"中学1年時の担任"は僕の「生き方」に大きい影響を与えた先生の話です。
 僕の記憶が正しければその先生は確か25歳くらいだったと思います。THEウチナーンチュの顔をして、サッカー部の顧問で、色黒、筋肉質、言う事が熱い、いわゆる熱血教師でした。思春期真只中だった僕はその熱さがダサいと思っていました。その先生がよく言っていた言葉が「俺はいつ死んでも後悔の無い様に生きている」だったのですが、言われた時は全然心に響かず、正直「キッツ〜」と思っていました。そんなひねくれ思春期を過ごしていたある日、休日明け学校に登校しクラスに着くと、いつもと何か雰囲気が違うと感じました。それは、担任の先生が、フルマラソン出場中に急死してしまったという噂が流れていたからでした。全然現実味が無く、半信半疑だったのですが、朝のホームルームに担任では無い先生が来た時、本当なのだと悟りました。3日前まで元気な先生の姿を見ていたので、当時の僕は急な出来事に混乱し、現実をすぐには受け止められませんでした。時間が経ち現実を受け入れざる終えなくなると、ひねくれていた僕でも、何日も泣いていたのを覚えています。”人は急に死ぬ”という真実を叩きつけられた僕に、先生が言っていた言葉「いつ死んでも後悔の無い様に生きている」が何度も何度も繰り返し僕の頭の中を駆け巡っていました。
 先生が伝えてくれた、この生き様は僕のその後の生き方に大きすぎる影響を与える事となりました。

3.の"虚しい中学時代"は「後悔という感情に気づけた」という話です。
 それまで大きな後悔という感情を抱いた事がない鈍感な子供だったので、先生が教えてくれた生き様が本当の意味で理解出来ていない時期もありました。僕は中学一年生の一学期までは部活に行っていましたが、途中から幽霊部員になっていました。久しぶりに部活に顔を出すと、僕より下手だと思っていた友人が僕より上手くなっていて、それを受け入れたく無いので、また行かなくなり、最終的には辞めていました。プライドだけ高かった。放課後はゲームセンターに行ったり、友人達と適当に時間を潰すというとてもヒマな生活を送っていました。中体連などの大会の際は、選手として体育館の舞台に並ぶ友達が本当にかっこよくて、「自分は何をやってんだろ」と、オスとしての劣等感を感じ、とても惨めな気持ちになったのを覚えています。
「意味のないプライドは捨て、下手な自分を受け入れてれば良かった。達成感の無い、無駄な時間を三年間も過ごしてしまった。」と思いました。これは、後悔という感情が僕の脳に強く刻み込まれた体験でした。

4.の"充実させた高校時代"は「後悔の無い生き方を実行」したという話です。
 高校に入ってからは、とにかく下手でも逃げずに部活を続けるという事をしました。練習がキツくてゲロを吐いたり、ある先輩には下手くそという理由で強くあたられたりもしたが、とにかく続けました。その結果、運もありますが下手くその僕がレギュラーになる事が出来ました。これは僕にっとっては大きな成功体験になりました。「やれば出来る、やらないと出来ない。」と気付けた経験でした。少し自信の付いた僕は進路を決める頃に、小学生の頃から漠然と抱いていた、家は自分で造って後悔の無い様にしたいという気持ちを、実行するべく建築士を目指すのでした。

 これが僕の「人生の転機」です。建築家になった今でも何か迷ったら、死ぬ間際に後悔が過ぎらない方という価値観で判断し、生きています。全く後悔が無い生き方が出来ているかといえば嘘になりますが、やってみないと分からないことも多いので、やって気付けた後悔は良しとしています。ただ、同じ失敗は繰り返さない様にすることで、最小限にしているつもりです。

 子供の頃僕が感じた残念な気持ちをお施主さんには感じて欲しくないし、設計者の技術力や経営的な理由等で妥協や後悔をさせたくない。それが建築家として僕が出来る、先生から教えてもらった後悔の無い生き方なのだと思います。

もっと短くまとめるつもりが長々と書いてしまいました。最後まで読んで頂きありがとうございます。

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