山羊座ロンド:Fractal Capricorn Rondo(フラクタル山羊座ロンド)

台湾が好きすぎて2019年~2023年に10回も台湾個人旅行に行きました。2020年~…

山羊座ロンド:Fractal Capricorn Rondo(フラクタル山羊座ロンド)

台湾が好きすぎて2019年~2023年に10回も台湾個人旅行に行きました。2020年~2022年の間、観光旅行が解禁されるまでは全く行くことはできず、その間のことや、台湾に行けるようになってからの日々をつづっています。水道橋にある「機械書房」さんの棚を借りて販売もしています。

最近の記事

毎日台湾旅行記

2023/10/12 Twitter(X)で、誰か知らない人が筒井康隆はSFや純文学だけではなく日記文学の重鎮というふうに書いていて、あ、本当にそうだ!と思う。最近結局(いつもそうなんだけど)筒井康隆からはじまった私は(たとえ藤田さんにいろいろ言われても=あの時、藤田先生はいろいろ思ってきつく言ってくださったのはよくよくわかるんだけど)やっぱり自分なりに筒井康隆さんに影響を受けたんだってことで自分なりにできることを再現と言うかやっていきたいと思うようになった(自分なりの「夢

    • 過去の日記とか「臺灣行きたい日記 完全版 その後」ということで『毎日が台湾旅行記』(まだ仮)というタイトルで出そうと思って編集中です。なので下書き状態に戻しています(公開予定は今のところない)。文学フリマ東京に出します(11/11)

      • 日記を何度か貼ろうとしてはやめている。「臺灣行きたい日記完全版その後」(「毎日が台湾旅行記」)も作る予定だからみんなよろしく!ネットより紙で読まれたい。なんか書こうとしたことと違うことを書いてしまったよ。書きたかった事って何だっけ。。

        • レビュー・ノベル『すれちがうとき聴いた歌』

          失恋したショックで本も読めないんだ、と僕は言った。 じゃあこのスカスカ本でもどう? と彼女が貸してくれた本は『すれちがうとき聴いた歌』だった。 いやー、だからさー、と思いながら、ページをめくるとそのスカスカが心地よくてすぐに半分読んでしまった。 読めるかもしれない、と僕が言うと、彼女はニヤニヤと笑っていた。 正直言うとニヤニヤ顔の記憶しか残っていない。いま、彼女はどこにいるのだろう。僕は一人の部屋でこれを読んでいる。 半分読んだところで彼女にお礼のメールを書こうとし

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        記事

          夜の老眼にやさしい『淋しいのはお前だけじゃな』

          老眼にやさしい本。 お世辞でも三十代に見えますよなんて言われると調子乗っちゃうけど。 夜になると本当にスマホの文字も読めない。 じゃあ文字大きくすればいいじゃんって思うけど 電車の中で人にスマホを読まれたくないという自意識過剰なプライドが邪魔をする そんな中高年の目に優しい本 「淋しいのは お前だけじゃな」 枡野浩一 著 オオキトモユキ(絵) この絶妙な感じがいいんだよねーと ページを開くと 夜の疲れ目にはやはり若干滲んで見えて 遠近両用コンタクトでは もう太刀

          夜の老眼にやさしい『淋しいのはお前だけじゃな』

          『愛のことはもう仕方ない』枡野浩一は全人類必読の「恋愛論」(広い意味での恋愛)

          のっけから違う書籍の話だけど深い関係があるので書いてみます。二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない」人を好きになるのか』に「心の穴」について書かれていました。私も手元にあまり本を置かない人間なのと自宅以外のところでこれを書いているので参照できずにいます。それでもこの文章を書いているのは、「あなた」にどうしてもこれを伝えたくて……だから書いているのだと思います。「あなた」とはまだ見ぬ「あなた」であり、もしかしたら既に出会っている「あなた」かもしれません。もしくは過去に出会った

          『愛のことはもう仕方ない』枡野浩一は全人類必読の「恋愛論」(広い意味での恋愛)

          「お神さん」(太田靖久著『新潮』2011年10月号)に2022年に出会った話。そして「神は細部に(こそ)宿る」。

           本文は単なる一個人としての感想であるが、同時に書かずにいられないというか忘れたくないので日記代わりに書かせていただくことをお許し願いたい。自分はひとりの作家を掘り下げて読むタイプなのと、知らずに読まなかった可能性があると思ってここに記しておく。  在宅勤務の日だった。上司からの不穏なメールが続いて、やっぱ仕事向いてないやと落ち込みながら、かたわらにあった『お神さん』を読むともなく読み出してしまう、昼休みに。  そして昼休みと歯医者の待合室で、いっきに読み耽った。  今日読

          「お神さん」(太田靖久著『新潮』2011年10月号)に2022年に出会った話。そして「神は細部に(こそ)宿る」。

          30歳代の方が書いたもの

           私は今年の12月で50歳になるのですが、どうも中身が伴っていない気がしてしかたない。30歳代の方が書いたものが妙にわかるわかるとなってしまう。30歳になる歳に子供を産んだのですが、20年経ったら成人になるので(当たり前のことなんですが)、どう考えても子離れというか、もう家に子供がいないということに今更ながらびっくりする。  いま読んでいる小説の中に、主人公が自分の子供を見ながらその子が赤ん坊だった時のことを思い出せないという描写があって(*1)、あ、それわかる、と思った。四

          愛より親切、憧れより冷徹さを

           恋愛感情ほどやっかいなものはない、とつくづくおもうようになった。  こどものころ、家も学校もいやで、でもどうにもできなかった。合法的にそれらから出られたのが18歳の時で、それよりまえはずっと本の世界に逃避していた。本のおかげでやっと「外」に出られたけど18歳の私は18歳という仮面をかぶった12歳くらいの子供だった。「外」はそれまでの世界とはまたべつのつらさがあったがもう戻ることは出来なかった。どっちつかずのまま宙ぶらりんな世界にいたが、恋愛というフィルターをかけることで日々

          読書会のまえとあと。(補足資料あり)

           「本当のことを小説というフィクション(嘘、作り話、創作、語りの技術…etc)をつかって語るのが本職だから、」と書いたけど(自分で書いたその記事をどうも消してしまったみたいだ)、「本当のこと」→この世に真実があるという書き方は不誠実でたちが悪いというお話を伺い、さっき書いた言葉は違うんだな、とちょっと訂正したくなりました。読書会でのお話なのでどなたの言葉とか書きづらいので本当にメモで申し訳ないのですが。ほんとうのこと、と「真実」はイコールではないと思っているのですが。読書会で

          『ののの』太田靖久 著 書肆汽水域、初出 新潮2010年11月号(第42回新潮新人賞受賞作)~読書会へのお誘い

           個人的な話からはじめるが、2010年当時も小説は書いていた。カルチャーセンターで時々文芸誌を読むこともあった。ただ1997年ごろから小説を書いていたので、新人賞を毎年のように読んでいたこともあれば、仕事や子育ての関係で、なかなか追いきれないことも多かった。つまりこの小説は本当ならそのとき読んでいてもおかしくなかったのに、わたしがこの小説に出会ったのは今年(2022年)になる。  2011年3月の震災があり、それから11年の時が経過している。子供の11年は長いが大人の11年は

          『ののの』太田靖久 著 書肆汽水域、初出 新潮2010年11月号(第42回新潮新人賞受賞作)~読書会へのお誘い

          あったことをなかったことにされるということ(遅れてきた『ののの』ファンです)

          私、遅ればせながら、いまごろなんですけど、『ののの』でデビューされた太田さんのファンです。もっと早く知りたかった、そしたらもっといろんなイベントに参加できたのに、と思いますが、まぁ仕方ないですね。下にも書いていますが、昔、筒井康隆さんのファンになったとき、SFファンの方とのイベントが楽しそうでもっと早く生まれてきたかったと思いましたが、それと同じで時間は戻りませんので……。(もっともその後、交流する機会に恵まれました。逆にファンのすごさと熱量に圧倒されました) 『ののの』読

          あったことをなかったことにされるということ(遅れてきた『ののの』ファンです)

          太田靖久「ししし」(『しししし4』双子のライオン堂2021年12月)を読んで。

          小説の冒頭になぞらえて、幼少期のことを思い出した。小説を読んでいると、ときに、そういう忘れていたことを思い出したりする。 小学校一年生が幼少期にあたるのかわからないが、私はぼーっとして生きてきた子だったのか、人より成長が遅かったのか、写真に依拠しない幼いころの記憶の始まりが幼稚園の年長あたりからになる。 小学1年生の時、今から40年ほど前、左利きの私はひらがなの書き写しで、担任の指導ですべて右手で書くように言われていた。利き手でないため震えないように鉛筆をしっかりと握って

          太田靖久「ししし」(『しししし4』双子のライオン堂2021年12月)を読んで。

          昼休みに太田靖久「ひひひ」を読んだ(2021年8月号「すばる」掲載作品を読んで)

          昼休みに読んだ「ひひひ」は短編ながらも二十年の時が流れている。 タイトルや内容的にも「ののの」のスピンオフ的作品というか「ののの」の世界を彷彿とさせる箇所があるのだが、「ののの」を仮に読んでいなくても、この「ひひひ」にはひとつの世界が構築されているし、一方で「ののの」の世界へもいざなってくれる。 太田靖久氏が2010年に『ののの』で新潮新人賞でデビューした時のインタビューのタイトルは「僕の小説を読まない人のために」とあって、その中にけっして代弁者ではなく、後押しされている

          昼休みに太田靖久「ひひひ」を読んだ(2021年8月号「すばる」掲載作品を読んで)