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30歳代の方が書いたもの

 私は今年の12月で50歳になるのですが、どうも中身が伴っていない気がしてしかたない。30歳代の方が書いたものが妙にわかるわかるとなってしまう。30歳になる歳に子供を産んだのですが、20年経ったら成人になるので(当たり前のことなんですが)、どう考えても子離れというか、もう家に子供がいないということに今更ながらびっくりする。
 いま読んでいる小説の中に、主人公が自分の子供を見ながらその子が赤ん坊だった時のことを思い出せないという描写があって(*1)、あ、それわかる、と思った。四六時中いっしょにいるはずなのだが、仕事のせいとかいろいろあるのかもしれないけど、幼いころの写真を見ていると、この子はどこへ行ったと思うことが多々ある。
 赤ん坊は子供になり、高校生になり、大学生になった。
 そこにはひとりの大人がいて、子供はどこにもいなくなってしまった。かろうじて部屋の壁にいつまでも貼られている、小学校の時に描いた絵や、習字の半紙、小学生用の日本地図、ぼろぼろになったポケモンの攻略本などが、この部屋に子供がいたときの面影を残している。
 子供は成長したが、大人の私は20年分成長したのか心もとない。10年目くらいがピークであとは子供の成長曲線に反比例して私は徐々に後退していったのではと思うくらい、なんだか中身が30歳くらいに戻った気がするのだ。リセットされてしまった感じというのか。子供が巣立つと空の巣症候群におちいることがあるらしい。自分は小説を書いたり出かけたり趣味に没頭していることも多いので、そういう感じとも少し違う気もするけど、わかりやすくいうとそう呼んでもいいかなと思う。
 ようするに子供を育てていても自分が成長できるとは思えないという話である。子供はどんどん賢くなっていくが、自分はどんどん幼くなっている気がする。子育てをしている間は自分も成長したような気がしていたが、それは錯覚だったのではと感じる。リセットしてスタートラインにもどった感じがする。それで30歳代の人が書かれたものを読むと妙にしっくりきてしまう。むしろ教えてもらう感じ。あれ20歳の歳の差はどこへと思うのだが、子育てしている間のことを、よく子供を天から預かって育てて世の中へ返すみたいにいうことがあるが(言わないか?)、20年分どこかへ行ってしまったのかもと思ったりした。外見は残念ながら20年も戻れないし、中身だけ戻ってそれもどうかと思うんですが、もし今自分の中にあるなにかを小説に書くとしたら、同世代の主人公より20-30歳くらいの人物を設定してその人に内面を託したほうがうまくいくかもしれないなどと不遜なことをかんがえている。

(*1)太田靖久「コモンセンス」(『新潮』2013年10月号 p.102)

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